AIの前では、藤井聡太八冠といえども勝つのは難しい。ではAIがますます発達する時代に、野心のある若者が成功するにはどうすればいいのか(写真:東京スポーツ/アフロ)

近年、AIの発達を巡る議論と、資本主義論がかまびすしい。AIは今後も大いに発達するだろうが、AIの発達によって資本主義は影響を受けるか?

AIの発達はどのような形でわれわれの前に現れるのか


この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら

筆者は、次のように考えた。AIは、人間の能力を拡張するだけであって、AIを使う人間の側にはリスクを取る人と取らない人がいて、後者が安定した雇用と報酬を求めて安く働くことによって価値(カール・マルクスの言葉なら剰余価値)を提供することは変わらない。

あるいは低利でも確実に運用したいと思って、預金や債券を通じて安い資本を提供して、彼らが価値を提供することも変わらない。資本を提供する形でリスクを取る人が巻き上げていくことで利益が生じる経済循環の本質は変わらないのだろうから、資本主義はしぶとく残ると考えていた。

ところが、ふとした拍子に、筆者は自分の読みに見落としがあることに気づいた。単なる思いつきの思考実験なのだが、AIの発達とAIの完全な民主化と言えるような普及は、資本主義を殺すのではないだろうか。

AIの発達は、どのような形でわれわれの前に現れるのか。それは、全知全能の正解を知った、世界の問題を解いた者として現れるのではなく、人間よりもましな意思決定ができる判断力として現れる。

将棋のようなゲームがわかりやすい。今や、人間で最強の藤井聡太八冠よりも、ソフトを積んだパソコンのほうが強い。しかし、ソフトといえども、将棋というゲームの必勝法を解ききったわけではなく、「手が深く読める」「読みが速い」「疲れない」「ビビらない」「見落としが少ない」といった要素で形成される総合的な能力・判断力で、人間に勝つ確率が高いというだけだ。

「シンギュラリティ」という言葉を使うと大げさだが、AIにも弱点がある状態で、しかし、人間よりは能力が高いものとして現れて、徐々に能力を高めていき、やがては人間側が競争を諦めて、研究用に使うようになる。

そこで、さきほどの要素を見直したときに気がついた。AIが「ビビらない」ことは、あまりに重要ではないか。

つまり、人間が自分の働き方や資産の使い方に関する判断をAIに任せると、経済に利潤を提供するはずのリスク回避的な労働者や運用者が、適切なリスクを取るようになってしまうではないか。資本に利潤を提供してくれる「カモ」がいなくなってしまう。

そして、もう一つ変化が生じる。AIが進化し、個人がこれを広く利用できるとすると、稼ぐ能力の主たる源泉である知的な力に「差がつかなくなってしまう」。参加者が皆、藤井八冠よりも強いAIソフトを載せたパソコンを持って来る将棋大会を想像されたい。大会自体が、無意味になる。

「会社は誰のものか?」と考えるのは正しい?

「会社は誰のものか?」という古くからある問いについて考えてみよう。これは、そもそも会社は「もの」ではないから、この問い自体が「カテゴリー・ミステイク」(哲学者ギルバート・ライルの言葉)なのであって、「株主のもの」「社員のもの」「ステークホルダーのもの」、などと考えること自体が愚かだ。

では、会社とは何か。

会社とは、他人を利用し合うことを目的とした人の集まりだ。経営者は労働者を利用するし、労働者もまた経営者を利用するし、会社の中のメンバー同士も営業、総務、財務、人事など、異なるスキルを持ったメンバーをお互いに利用し合う。

利益の獲得自体を集まりの「目的」とするという建て付けで会社を作ることも可能だろうが、もう少し気取って整理させてもらうと、「利益」は会社の存続条件であり、「目的」をより良く達成するために重要な「手段」であるにすぎない。

では、目的とは何だろうか。最終的には、誰を顧客として、どのようなメリットを提供するのかに落ち着くべきものだ。この「事業立地」(経営学者の三品和広氏の用語だったと記憶する)の選択こそが、唯一「戦略」の名に値する経営行為だ。

経済力の格差はどこで生じるか?

さて、将来はAIが「リスクにビビる心」と「知的な能力の差」をつぶすときが来るかもしれないとして、現状はどうなっているのだろうか。社会を構成する個々のメンバーの経済力の格差はどこから生じているのか。

1つには、人的資本までを含めた自分の資産でどれだけリスクを取るのかだ。リスクを回避したがる者が提供する価値を、リスクを取ってもいいと思う者が吸い上げるのが経済循環の仕組みであり、私有財産たる資本にリスク・テイクの対価を帰属させ、これに株式投資を通じて参加することができるのが、現在の資本主義の仕組みだ。

投資家、資本家は、リスクを取っているのだから、少しも悪いことをしているわけではない。全体は契約の合意のうえに成り立っている。そこで、資本の収益力が働いている。

また、もう1つ収益力の源泉がある。それは、リーダーシップだ。形は会社ばかりとは限らないが、会社的な人の集まりでは、そもそも集まる目的を考案し、集まり全体の戦略を考え、人の集まりをコントロールするリーダーが1人ないし少数必要だ。通常の人の集まりでは、彼らがより大きな経済的対価を取ることが納得されやすい。

会社なら、社長が少々多い、社長らしい報酬を受け取り、社長室や秘書を持つくらいのことは納得されるだろう。軍政のような社会の軍のトップなら彼(彼女)には大きな権力と共に、富も配分されるだろう。リーダーシップが得る「権力リターン」だ。国によっては、書記長や主席などと名乗りつつ、実質的には「王」のような人物が君臨し、その周囲に富が集中する。

こうした様子を図解することを試みたのが、以下の図1だ。「資本主義ポジショニング・マップ」と名付ける。

(図1)資本主義ポジショニング・マップ


経済的な価値を集める力を赤の矢印で示し、個々のメンバーの経済力の大きさを丸の大きさで示してみた。この世界の経済力のチャンピオンは、主に創業者で、株式をたっぷり持っているオーナー社長であり、圧倒的だ。

実際の経済では、図の中で「サラリーマンの群れ」と記した場所に入る丸(「点」に見えるかもしれないが)の数が圧倒的で、彼(彼女)らが提供する価値が養分となって経済を循環している。

そこそこの会社に正社員として就職していると、親も本人も安心しているかもしれないが、ここのエリアには、似たもの同士の労働者が安く買い叩かれやすいことも含めて、「経済的に不利な重力」のようなものが働いている。損得的には、かなり悲惨だ。

早く気がついてくれるといいのだが、自分の不利に気づくことには認知的不協和の抵抗力が働くので、安く働く仲間同士で群れて「人生はこんなものだ」と諦めるようなケースが少なくない。例えば、娘や息子には、少なくともこのカテゴリーにだけとどまる職業人生を歩んでほしくないものだ。

「野心ある若者」が狙うべきコースは?

さて、人生では、必ずしもお金持ちを目指す必要はないのだが、経済的に不利なコースは歩みたくない。例えば、これから世に出て一旗揚げようと思う若者はどのようなコースを目指すといいのだろうか。

(図2)再掲・資本主義ポジショニング・マップ


筆者の断然のお勧めは、狙い筋Aのコースだ。すなわち「自分で起業する」「起業の初期に参加する」「ストックオプションをたくさんもらえる条件で働く」などで、株式性のリターンを求めるのだ。

この場合、リスクに晒すのは自らの「人的資本」だ。使えるものは、惜しみなく早く使おう。会社が失敗したら、あるいはクビになったら、またやり直すといいし、現在はかつてとちがってそれが可能だ。不動産投資のようなものとちがって、失敗しても借金なしだ。

繰り返すが、リスクを取らない者から、リスクを取る者が価値を吸い上げるのが経済の仕組みなのだ。無一文の若者が、何でリスクを取るか。自分の「人的資本」である。早く投資して、リターンを取るといい。

株式性の報酬にアクセスする働き方の機会がなかなか得られないとき、あるいはもっとありそうな場合として、リスクを取るには気が小さいとき、せめて自分が持っている金融資産にだけでもリスクを取る役割を担わせようとするのが、投資であり、図では狙い筋Bとして示した。

率直に言って、いかにも「チキンな(臆病な)」選択だ。狙い筋Aの人生よりも退屈だし、経済力を作るまでにはひどく時間がかかる。それでも、何もしないよりは随分いい。

もちろん、狙い筋Aと狙い筋Bを併用しても構わないし、できるならそうするのが合理的だ。

これからを生きる若者には、適切なリスクを取って、効率良く稼いで、機嫌のいい人生を送ってほしい(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)。

10日の日曜日は、阪神競馬場の芝1600メートルコースで2歳牝馬のチャンピオンを決める阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)が行われる。だが、「2歳」「牝馬」は予想するには難しい条件だ。

楽屋話で恐縮だが、イクイノックスのラストランとなったジャパンカップの日(11月26日)は、本連載の執筆陣である、かんべえ先生(双日総研・チーフエコノミスト吉崎達彦氏)、オバゼキ先生(小幡績・慶応ビジネススクール大学院教授)、それに企画から一貫して本連載を担当している編集者のF氏に、筆者の事務所に集まって頂いて観戦会を行った。

「イクイノックスが強いので2着が狂う」「いや、リバティアイランドに余力があるだろう」、などと捻った馬券を考えたくなるところだったが、結果は、読者もご存知の通り、強い順番に普通に買えば良かった。ところが「2歳」「牝馬」となると、この強い順番を判断する材料が乏しい。

ちなみに、ジャパンカップ観戦の後は将棋大会になり、筆者はオバゼキ先生に悔しい一敗を喫した。また、久しぶりに将棋を指したという、かんべえ先生が素晴らしく筋が良かったこともご報告しておく。

実は本文にある、AIが資本主義を殺すか否かの話は、将棋を指しながら、これでいいのだろうかと考えていた内容だ。いい仲間と見る競馬は楽しい。筆者が生きていたら、来年のダービーあたりでまたやりたいなあ。

難解な最強2歳牝馬決定戦は可能性を感じた「あの馬」で

さて、ジュベナイルフィリーズだが、レース動画を見て「可能性」を感じた馬を買うくらいしか手がない。

筆者の狙いは、バウルジャン・ムルザバエフ騎手の腕に対する期待も込みで、2歳戦に強いハーツクライ産駒のルシフェルだ。

対抗に新潟2歳ステークスの直線でしぶとく伸びたアスコリピチェーノ、3番手には今年の新種牡馬の中で評判のいいスワーヴリチャード産駒のコラソンビートを採りたい。以下、キャットファイト、ステレンボッシュ、サフィラまでだ。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(山崎 元 : 経済評論家)