阪神が38年ぶりの日本一を決めた日本シリーズ第7戦終了後の表彰式が終わると、オリックスの中嶋聡監督は悔しさを噛み殺した表情で本拠地・京セラドームの一塁側ミラールームに現れた。

「(選手たちは)本当によくやってくれたと思いますけど、負けたわけですから。何もないですね、逆に」


38年ぶりの優勝を飾り、胴上げされる阪神・岡田彰布監督 photo by Kyodo News

【明暗を分けた1球】

 第6戦を終えて3勝3敗、総得点23対23と実力拮抗した両者の明暗を最後に分けたのは、たった1球だった。

 立ち上がりからストライク先行でテンポよく攻め込み、まったく隙を見せなかったオリックスの先発・宮城大弥に対し、阪神は4回表一死から3番・森下翔太が7球目のストレートをレフト前に運ぶ。宮城はつづく大山悠輔を2球で追い込んだが、3球目に内角を突いたストレートは死球となった。

 一死一、二塁となり、迎えるは5番のシェルドン・ノイジー。ストレートを2球つづけて追い込み、フォークが外角低めに外れたあとの4球目。オリックスバッテリーはチェンジアップを選択したが、宮城の投じたボールは引っかかって内角低めへの軌道となり、レフトスタンドに大きな当たりを突き刺された。

「あまり引っかけることがないチェンジアップが、あそこにいってしまうというのが大きかったのかなと思います」

 中嶋監督はそう振り返ったが、前日の第6戦で山本由伸からライトに先制ソロを突き刺したシェルドンは、宮城の数少ない失投を見逃さなかった。

 元メジャーリーガーによる値千金の3ランは、阪神の岡田彰布監督にとっても予期しない一発だった。優勝監督インタビューでこう明かしている。

「あそこでホームランが出るとは思っていなかったんですけどね。宮城投手、こないだ(第2戦)も0点だったんで。2点とろうと。心のなかでそう思ったんですけど、ホントに千金の3ランホームランだったですね」

 4回に3点を先行した阪神は、つづく5回にも二死一、三塁と追加点のチャンスを迎える。ここでオリックスは流れを断ち切るべく、宮城に代えて比嘉幹貴をマウンドに送ったが、阪神は3番・森下、4番・大山、5番ノイジーの3連打で3点を加点。中盤に奪った6点のリードがモノを言い、7対1で勝利した。

【ターニングポイントは第4戦】

 試合は中盤から一方的な展開になったが、勝敗を分けたのはわずかな差だった。ポイントを問われたオリックスの中嶋監督はこう答えている。

「ちょっとね、青柳(晃洋)くんを探りにいったところがあった。そこかなと思います」

 阪神の先発・青柳にストレート、ツーシーム、シンカー、カットボール、スライダーと横の変化をうまく使われ、的を絞り切れなかったのが響いた格好だ。6回から登板した3番手の伊藤将司に3イニングを無失点に抑えられると、反撃は最終回の頓宮裕真の一発に封じられた。

 試合後、京セラドームの半分を埋めた阪神ファンが日本一の歓喜に沸くなか、岡田監督は優勝監督インタビューで対戦相手を称えた。

「オリックス、強かったです。ホントにね。最後の最後までどっちに転ぶか分からない展開で。最後はちょっとタイガースに出たんですが、日本シリーズとして、今年のプロ野球の締めくくりとしていいゲームができたんで、ホントによかったと思います」

 戦前から力が拮抗していると見られた関西ダービーの頂上決戦は、大方の予想どおりの展開となった。両者の明暗を分けた差はどこにあったのか。試合後に問われると、オリックスの中嶋監督はこう答えた。

「コンディションの部分で言えば、本当によく出られたなというメンバーも多かったかな。そこをちゃんと(コンディションを)整えてあげられなかったのが、僕の責任ですし......本当によくグラウンドに立ってくれたと思います」

 主軸の杉本裕太郎がクライマックス・シリーズで左足首を負傷して第4戦までベンチ外となり、セットアッパーの山粼颯一郎はコンディション不良で3、4戦目をベンチから外れた。こうして出た歪みが重くのしかかった。

 7試合を終えて振り返った時、分岐点になったのが第4戦だった。阪神は3対3の8回裏、二死一、三塁の場面で右前腕筋挫傷、左脇腹筋挫傷などから139日ぶりの復帰となる湯浅京己をマウンドに送る。甲子園の大歓声を受けた湯浅は1球でこのピンチを凌ぐと、9回裏、阪神は大山のサヨナラ安打で劇的な勝利を飾った。

 本拠地で勢いづいた阪神は、つづく第5戦でも0対2で迎えた8回表に湯浅を投入し、三者凡退で流れを引き寄せる。

 対するオリックスは8回裏、7回までに83球を投げて無失点の先発・田嶋大樹に代えて投入した山粼、宇田川優希がいずれも捕まり、逆転を許した。継投失敗は結果論になるが、シーズン途中からリリーフに回った山岡泰輔が不調だったことも響き、阪神と比べるとリリーフ陣の駒不足は明らかだった。

 裏を返せば、シリーズ中盤の勝負どころで湯浅を迷いなく投入し、勝利を引き寄せた岡田監督の采配が見事だったと言える。その先に待っていたのが、1985年以来の日本一だ。

「ちょうど27歳だったんですけどね、前回の日本一。長かったですね。選手でも日本一達成できて、監督でも達成できてホントに幸せだと思います」

 優勝監督インタビューで岡田監督は笑みを浮かべて語った。65歳になった指揮官の、勝負師としての手腕が光った日本シリーズだった。