増田有華、一人になって素直に「AKB48時代 敵だと思っていた大人が実は陰で頭を下げてくれていた」
AKB48時代から圧倒的な歌唱力と演技力に定評のある増田有華。2012年に主演したミュージカル『ウィズ〜オズの魔法使い〜』の主演ドロシー役で一躍注目を集め、ドラマ、映画、舞台と多方面で活躍。江戸川ローマ役を演じたNetflix 作品『全裸監督2』での、体当たりの演技も大きな話題を呼んだ。10月20日公開の映画『Love song』では、愛する人のために暴力団に敢然と立ち向かう主人公を演じる。今回の主人公はAKB48時代の自分に似ているという彼女に、アイドル時代の思い出と映画について語ってもらった。
【写真】『全裸監督2』での体当たりの演技も話題に、増田有華の撮り下ろしカット【10点】
映画『Love song』で演じる主人公の藤咲花は、増田曰く「勝気で周りに弱音も吐かず周りからは勘違いされがちですが、いつでも一生懸命に真っ直ぐな普通の女の子」。このキャラクターに、AKB48時代の自分が重なった。
「初めて『Love song』の脚本を読んだときに、17、18歳頃の尖っていた私を思い出しました。花の走り出したら止まらなくて、気が短いところがAKB48時代の私に似ていたんです。当時は『全身にトゲをつけているようだね』と表現されたこともあるんですけど、人が寄ってこないようにと殺気立っていたところがあるんです。花もそういった面があるので、役作りしやすかったです」
十代の頃から心に鎧をまとっていたのは、人と密に接することで傷付くのが怖かったからで、自衛のようなものだった。
「弱かったんでしょうね。重たい鎧をまとって現場に行くわけですから、家に帰ったら疲れ果てて、本当の自分は一体どこにいるんだろう……みたいな。私は一人っ子で、誰かに甘えたかったのに、『私は一人でできます』って無理をしていたんです」
AKB48の頃は、常に自分との戦いだった。
「アイドル時代は常に序列をつけられていたので、メンバーに対してライバル心もありましたけど、『誰々に勝ちたい』とか、『この子よりこうなりたい』というのはあまりなくて。もちろん自分よりも活躍している子を見ると羨ましい気持ちもありましたけど、自分に負けたら終わりだという思いで活動していました」
AKB48時代のハードな日々を経験したことで、ソロになって活きていることは数えきれないほどある。
「あの頃は、何か言われるたびに傷付いていたら身がもたないので、かなり精神力が鍛えられましたし、あの大変な日々があったからこそ、今もタフに芸能活動を続けられているんだろうなと感じます。あと今になって思うのはトーク力。日頃から秋元(康)さんが『公演のたびに同じ話ではなく違う話をしよう』『人に伝わる面白い話をしよう』とMC力を磨くように仰っていたので、こういう取材もそうですけど、すごく役立っているので感謝しています」
2012年にAKB48を辞めて、心境の変化があった。
「AKB48を辞めたときに、敵だと思っていた大人たちが、私が知らないところで頭を下げてくれているのを周囲から聞いて、なんて私は節穴だったんだろうと思いました。それで自分本位の視点を疑うようになったら、人を許せるようになって、素直になれて。おかげさまで今は、すっぽんぽんの心で外に出られるようになりました(笑)」
ソロ活動を始めて、周りが個としての自分を評価してくれたのも、やりがいに繋がっていった。
「グループにいると、たまに『右端の子!』とか『〇番の子!』とか名前以外で呼ばれることがあって、私は何者でもないんだと思うこともあったんです。ソロになると、私を求めてくれる方とお仕事をするじゃないですか。なので現場で、『増田有華さん入られます』と言われるのが、すごくうれしくて。そもそも私は性格的に団体行動には向いていなかったので、一人で活動できる喜びや、開放感もありました」
映画『Love song』で演じる主人公の藤咲花は、増田曰く「勝気で周りに弱音も吐かず周りからは勘違いされがちですが、いつでも一生懸命に真っ直ぐな普通の女の子」。このキャラクターに、AKB48時代の自分が重なった。
「初めて『Love song』の脚本を読んだときに、17、18歳頃の尖っていた私を思い出しました。花の走り出したら止まらなくて、気が短いところがAKB48時代の私に似ていたんです。当時は『全身にトゲをつけているようだね』と表現されたこともあるんですけど、人が寄ってこないようにと殺気立っていたところがあるんです。花もそういった面があるので、役作りしやすかったです」
十代の頃から心に鎧をまとっていたのは、人と密に接することで傷付くのが怖かったからで、自衛のようなものだった。
「弱かったんでしょうね。重たい鎧をまとって現場に行くわけですから、家に帰ったら疲れ果てて、本当の自分は一体どこにいるんだろう……みたいな。私は一人っ子で、誰かに甘えたかったのに、『私は一人でできます』って無理をしていたんです」
AKB48の頃は、常に自分との戦いだった。
「アイドル時代は常に序列をつけられていたので、メンバーに対してライバル心もありましたけど、『誰々に勝ちたい』とか、『この子よりこうなりたい』というのはあまりなくて。もちろん自分よりも活躍している子を見ると羨ましい気持ちもありましたけど、自分に負けたら終わりだという思いで活動していました」
AKB48時代のハードな日々を経験したことで、ソロになって活きていることは数えきれないほどある。
「あの頃は、何か言われるたびに傷付いていたら身がもたないので、かなり精神力が鍛えられましたし、あの大変な日々があったからこそ、今もタフに芸能活動を続けられているんだろうなと感じます。あと今になって思うのはトーク力。日頃から秋元(康)さんが『公演のたびに同じ話ではなく違う話をしよう』『人に伝わる面白い話をしよう』とMC力を磨くように仰っていたので、こういう取材もそうですけど、すごく役立っているので感謝しています」
2012年にAKB48を辞めて、心境の変化があった。
「AKB48を辞めたときに、敵だと思っていた大人たちが、私が知らないところで頭を下げてくれているのを周囲から聞いて、なんて私は節穴だったんだろうと思いました。それで自分本位の視点を疑うようになったら、人を許せるようになって、素直になれて。おかげさまで今は、すっぽんぽんの心で外に出られるようになりました(笑)」
ソロ活動を始めて、周りが個としての自分を評価してくれたのも、やりがいに繋がっていった。
「グループにいると、たまに『右端の子!』とか『〇番の子!』とか名前以外で呼ばれることがあって、私は何者でもないんだと思うこともあったんです。ソロになると、私を求めてくれる方とお仕事をするじゃないですか。なので現場で、『増田有華さん入られます』と言われるのが、すごくうれしくて。そもそも私は性格的に団体行動には向いていなかったので、一人で活動できる喜びや、開放感もありました」