51年前の1971年12月20日、関越道の練馬IC〜川越IC間が「東京川越道路」として開通しました。

練馬が起点な背景は


東京と新潟をむすぶ関越道(画像:写真AC)。

 今から51年前の1971(昭和46)年12月20日。関越自動車道の練馬IC〜川越IC間が「東京川越道路」として開通しました。

 関越道は1957(昭和32)年に制定された「高速自動車国道の路線を指定する政令」ならびに1966(昭和41)年に策定された「国土開発幹線自動車道」のひとつとして、東京を起点に川越・本庄・前橋を経由して新潟に至ると規定され、整備開始しました。

 前者の政令では、起点は「三鷹市」とされています。これは現在の外環道の構想を含んだものであり、現在の関越道が練馬・大泉を起点としている背景となっています。代わりに4車線の都市計画道路「放射第7号線」が整備され、目白通り・新目白通りとして都心直結を担っています。

 着工は1967(昭和42)で、4年かけて川越まで先行開通を果たしました。なお当初は川越街道(国道254号)のバイパスという扱いになっていたため、名称も暫定的に「東京川越道路」だったのです。

 その後関越道は東京・新潟の両側から順次開通していき、1985(昭和60)年に10926mの関越トンネルとともに全通を果たします。