今から四半世紀ほど前に造られた旧日本陸軍の九五式軽戦車が再び日本に戻ってきました。一度はイギリス人コレクターの手に渡ったものの、NPO法人がクラウドファンディングで買い戻したそう。その様子をレポートします。

ポンペイ島→日本→英国、そしてまた日本へ

 2022年12月12日、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」(代表理事:小林雅彦氏)によって以前から日本への帰国と保存・展示を目指していた九五式軽戦車(4335号車)が、無事に日本へ回送され、念願の“帰国”を果たしました。

 この車両は、太平洋戦争中にミクロネシア連邦ポンペイ島に派遣されるも一度も戦うことなくおわります。そして終戦後に一度は日本へ帰国しましたが、さまざまな理由から所有者が代わり、2004年にイギリス人コレクターが購入したことで日本を離れて遠くヨーロッパへと旅立ってしまいました。


日本の埠頭に陸揚げされた九五式軽戦車(NPO法人 防衛技術博物館を創る会/布留川 司撮影)。

 NPO法人「防衛技術博物館を創る会」では、この九五式軽戦車の帰国と日本での動態保存・展示を目的に活動を長年続け、2019年には自己資金とクラウドファンディングで資金を調達してイギリス人コレクターから買い戻すことに成功。その後、新型コロナウイルスの流行や、ロシアのウクライナ侵攻による物流の混乱と円安進行によって、作業の遅延や資金不足に陥ったものの、帰国のために再度クラウドファンディングを実施することで、ようやく今回の帰国を実現させたのです。

 日本への移送は海上コンテナ船による船便で行われ、九五式軽戦車は20フィートコンテナの中に積み込まれて、神奈川県内の埠頭まで運ばれました。筆者(布留川 司:ルポライター・カメラマン)も当日、立ち会わせてもらいましたが、扉が開いたコンテナの中を覗くと、九五式軽戦車が余裕なく入っていたのを確認しています。軽戦車とはいえ、コンテナ内部は手狭で、左右の空間の余裕は10cm程度しかなく、上部のハッチは蓋が引っかかるために開閉不可でした。

 ドライバーを務めるNPO法人代表の小林氏は、購入した九五式軽戦車を調査するため、今年の夏にイギリスを訪問しており、そこで管理者のイギリス人から操縦方法のレクチャーを受け、現地での操縦練習も体験済み。今回の九五式軽戦車の帰国は18年振りの国内再上陸ということだけでなく、戦後の国内において日本人の手で再び操縦されるという、2つの面で意義のある事象だったといえるでしょう。

日本に再び来た九五式軽戦車

 しかし、そうはいっても現場では、九五式軽戦車をコンテナから出すだけでも難儀していました。理由は操縦手の視界が極端に狭いことにあります。操縦席から見えるのは正面だけで、左右後方の様子はまったくわかりません。


日本の埠頭に陸揚げされた九五式軽戦車(NPO法人 防衛技術博物館を創る会/布留川 司撮影)。

 今回は自走でコンテナから出して、運搬用のカーキャリアー(トラック)に積み込むだけですが、それでもドライバーだけで走らせるのは不可能です。そこで、スタッフ1名が前方に立って戦車を誘導していました。この誘導員は両手をバンザイするように高く上げて、手の平の動きで運転手に指示を出します。

 ドライバーの目の代わりとなる重要な役目ですが、傍目で見ていると、誘導員は慣れた手つきでスムーズに戦車に乗るドライバーに指示を出していきます。後で聞いたところ、この方はNPO法人の会員で、以前は陸上自衛隊で本物の戦車に乗っていた元自衛官とのこと。戦前の戦車を、戦後の戦車乗りが誘導するという不思議な縁を感じました。

 その後、九五式軽戦車は大型の車両運搬車に積載され、埠頭から静岡県の御殿場市まで陸送され、無事NPO法人が管理する保管施設にたどり着いています。そこは原則非公開の場所であり、来春に予定されているクラウドファンディング支援者を対象とした招待お披露目会までしばしの眠りにつくとのことでした。

 筆者はNPO法人の公式記録カメラマンとして小林氏のイギリス訪問と、今回の日本帰国作業に同行しましたが、正直に言えば最初は九五式軽戦車に対して人並み程度の知識しか持ち合わせていませんでした。しかし、イギリスで初めて動くこの戦車を見て以来、愛着は増すばかり。その一番の理由は、見た目やこの戦車の性能ではなく、初めて触った時の感触でした。

「ホンモノ」を触れることの重要さ

 筆者が初めて九五式軽戦車に触れたときの第一声は「熱っ!」という悲鳴のような言葉でした。当時のイギリスは9月で気温も高く、雲ひとつない晴天。九五式軽戦車は強烈な日差しと、走行後のエンジンの余熱で車体の一部は高温になっていたのです。筆者は運悪くその部分にファーストタッチをしてしまったようでした。ちなみに今回の12月の帰国で触った時の第一声は「冷たっ!」です。

 ただ、こうした経験から筆者は九五式軽戦車が鋼鉄の塊であり、間違いなく戦闘車両として作られたものであることを実感しました。これは、この戦車に関する書物をいくら読んでも感じられないことであり、筆者にとっては何にも勝る体験だったと考えます。


日本の埠頭に陸揚げされた九五式軽戦車(NPO法人 防衛技術博物館を創る会/布留川 司撮影)。

 今回、NPO法人がこの九五式軽戦車の入手にこだわったのも、筆者のように本物を見たり触ったりすることで体験できることがあるからです。「百見は一触に如かず」の言葉の通り、国産戦車や防衛技術の理解を深めるには、九五式軽戦車のような存在は欠かすことができないといえるでしょう。

 無事の日本帰国を達成したことで、NPO法人代表の小林氏は次のように述べています。

「この九五式軽戦車のお披露目は、来春クラウドファンディング支援者を招待して御殿場市内で行う予定です。そこで皆さんとともに、この九五式軽戦車のエンジン音を聞いて、これまでの活動の思いなどを一緒に語れるのを楽しみにしています。なお、今回の日本上陸はあくまでも通過点に過ぎません。この戦車の終の住処になるであろう公設の博物館を実現させるために、今後も地に足の付いた活動を続けていきたいと思っています」

 NPO法人の活動の最終目的は、この九五式軽戦車を展示できる公設博物館の設立です。今回、帰国のために行ったクラウドファンディング(「READYFOR」にて12月26日まで実施中)は当初の目標額こそ達成しましたが、今後の活動のために現在も支援者を継続して募集中です。

 NPO法人の活動内容に賛同し、九五式軽戦車を含めてサポートしたいと思う方は、是非とも、連絡してみてください。筆者も引き続き注視していこうと思います。