これも自走砲!? ミリタリーテイスト満載「ベスパ」出自には熾烈な植民地紛争が関係
「ベスパ 150 TAP」は戦後直後のフランスが植民地で湧き上がる独立の流れを阻止するために作り出した無反動砲搭載車両です。コストパフォーマンスは最高、おまけに輸送機から降下させて迅速に展開できるという優れモノでしたが、活躍した記録がないので、どこまで役にたったかはわかりません。
レッグシールドから伸びる長モノの正体
イタリアのオートバイメーカー、ピアッジオが製造している「ベスパ」といえば、1946(昭和21)年に最初のモデルが登場して以来、現在も愛好家がいる有名なスクーターです。映画『ローマの休日』に登場するなど一般的にも知名度が高い二輪車ですが、かつてこの名車を対戦車兵器として採用した国がありました。
ベスパ 150 TAPの全容、砲が車体よりかなり長いのがわかる(アルフ・ヴァン・ベーム撮影)
スクーターの「ベスパ」を対戦車兵器として採用したのは、イタリアの隣国、フランスです。「ベスパ 150 TAP」と呼ばれたこの兵器は、当時フランスでベスパのライセンス生産をしていたACMA社の「ベスパ 150」をベースに改造されました。
改造といっても構造は単純で、フレームを強化したベスパのレッグシールド穴を開け、そこにアメリカ製M20 75mm無反動砲の砲身を通しています。全長が2m以上もある砲を小さなベスパに取り付けたため、砲身は車体前部から後端まで大きく伸び、運転手は砲身の上に作られた申し訳程度の座席に腰掛け、いうなれば砲身にまたがるようにして乗らなければなりませんでした。
フランス軍は空挺部隊向けの自走砲的な役割をする兵器として同車両を開発したようです。珍妙なフォルムではありますが、装甲車や軽戦車、状況次第では中戦車も破壊可能な75mm無反動砲を備え、座席の後部左右には3発ずつ、計6発の砲弾が携行可能な同車は、侮れない火力がありました。
フランスの苦境が開発の発端
なぜこのような車両を開発したのかというと、当時のフランスが置かれていた状況が関係しています。第2次世界大戦直後の1946(昭和21)年12月から1954(昭和29)年8月まで、フランスは現在のベトナムが独立するのを阻止するため東南アジアで「第1次インドシナ戦争」を戦っていました。
当時、フランスはまだ第2次世界大戦が終わったばかりで、国全体が疲弊しており、まともな兵器を遠く東南アジアまで運ぶのは困難でした。ゆえに火力は大きいものの、自動車よりもずっとコンパクトで輸送費や現地での運用コストが大幅に安く済む無反動砲搭載スクーターを採用したと言えるでしょう。
加えて、二輪車のため、輸送機で投下するというようなことも可能です。そこで、戦車や自走砲などを装備することが難しいパラシュート部隊に、まず装備し運用することとしました。
ベスパ 150 TAPの後方。座席部分に砲身が大きく張り出しており、走りながら撃つのは無理そうなのがわかる(アルフ・ヴァン・ベーム撮影)
その戦法は、まず、2台のベスパ 150 TAPとともに2名の兵士を降下させ、1台のベスパに無反動砲を、もう1台に弾薬を搭載して戦闘地域へ急行させるというものでした。そして、なるべく早く敵を発見し、停車、または無反動砲をおろし待ち構えるという想定をしていました。
実は走行中での砲撃は考えていませんでした。無反動砲といっても反動がゼロという訳ではないため、走行中に砲を発射した場合、最悪ひっくり返る可能性もあったようです。さらに砲身は車体に対してやや斜めになってセットされているため、乗った状態で照準するのはまず無理です。しかも、運転席は砲の上につけられていたため、おそらくそのまま発射したら火傷どころでは済まなかったでしょう。
なお、第1次インドシナ戦争には、この「無反動砲搭載ベスパ」は間に合わなかったものの、その後も研究は続けられ、当時まだフランスの植民地で独立の気運がくすぶっていたアルジェリアでの過激派などとの戦いに備る目的で、1950年代後半には完成したようです。ただ、実戦で使用されたかどうかは定かではありません。
ちなみに、ベスパとは日本語にすると「スズメバチ」という意味ですが、敵に対して手痛い打撃を与える大口径砲を積んだベスパ 150 TAPは、まさしくその名前がピッタリだといえるかもしれません。