激動の人生を駆け抜けた”伝説のストリッパー・ファイヤーヨーコ”の生き様「奈落の底から這い上がれ!行動、ガッツ、奉仕の精神さえあれば、必ず道は開ける」

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日本には、「花電車」と呼ばれる芸を披露するストリッパーがいる。花電車とは女性器を使ったパフォーマンスのことで、令和の現在、花電車芸ができる人物はごくわずか。
そんな貴重な花電車芸人の中でも、ひときわ異彩を放つのが、股間から火を噴くなど、唯一無二の芸をするファイヤーヨーコさん。ストリップ劇場からライブハウスへと活動の場を移したヨーコさんは、ライターや骨盤底筋の体操講師としても活躍中だ。

今回の「テレ東プラス 人生劇場」は、華麗なるショーの全貌をレポートするとともに、ヨーコさんの素顔に迫るべくインタビュー! 仕事への思いから人生観まで、話を伺った。



私にとって"奉仕の精神"とは、お客様を楽しませる、後進への道筋をつけること


ヨーコさんの出身地は高知県。置屋を営む父と、スナックを経営する母のもとで生まれた。生家はストリップ劇場の3軒隣だった。
勉強はよくできたものの、父親のDVや両親の離婚などを経て、中学校をドロップアウト。 その後は、カジノディーラーやカメラマン、ホステスとして働き、飲み代の売掛金を逃げられた事で借金を抱え、裸で踊るショーパブの世界へ身を投じる。
やがて女性器を使ったパフォーマンス「花電車」の技を練習する機会に恵まれたヨーコさんは、生まれ持った器用さ、類まれな筋力が功を奏で、すぐに数々の芸を習得。 その後ストリップ業界にてデビュー。転落に次ぐ転落の人生だったが、その奈落の底の舞台こそが彼女の天職だった。


――軽快なトークと圧巻の芸で観客を魅了するヨーコさん。勝手なイメージではありますが、女性の観客がここまで多いことも想定外だったというか...。ショーを観終わった後、不思議と爽快感やパワーがみなぎるのを体感することができました。
大らかで優しい笑顔が魅力的なヨーコさん、なぜストリップ劇場からライブハウスへと活動の場を移したのでしょうか。

「そうですね。元々ストリップ劇場で披露してはいましたが、実は自分の芸はエロスの世界だとはあまり思っておらず、"とにかくお客様をビックリさせたい""度肝を抜かせたい"という思いでここまでやってきました。
ストリップ劇場は主に男性の世界ですが、ライブハウスでパフォーマンスすることで、女性にも見てもらいたかった。そして私のパフォーマンスを見ることで、女性器に悩みを持つ皆さんが"大丈夫かも⁉""まだまだやれる!"と自分の可能性に気づいてもらえたらいいなと。
例えば尿漏れで悩んでいる女性に、『膣圧を鍛えれば治せるんじゃないか』と希望を持ってもらうなど、私の芸を通して、諦めずに立ち向かう勇気を与えられたらいいなと思って、日々パフォーマンスしています」


――「悩める人たちにパワーを与えたい...」というヨーコさんの想いがひしひしと伝わってきました。また性別を問わず、一丸となって「ファイヤー!!!」と雄たけびをあげる様がコミカルであると共に、ストレス発散にもつながるというか...。ヨーコさんのライブは不思議な魔力があります。
火を噴いたり鉛筆を折ったりと、ヨーコさんの技は並大抵の努力では成し得ないことだと思います。体力的にも大変だと思いますが、芸を続ける原動力はどこにあるのでしょう。

「日本のストリップ産業はどんどん衰退していて、ただでさえストリッパーが存続していくのは難しいのですが、花電車となるともっと難しい。ストリップ劇場では、1枚いくらという形でポラロイドを売っていますが、それは全て劇場の収益になってしまいます。花電車芸人はポラロイドを売らないので、劇場側からすると利益が出ず、支払うギャラが高額になってしまうので呼ばれにくくなっているという裏事情もあります。 ポラロイドを売り、今の芸風を変えれば熟女系の踊り子として仕事があったかもしれませんが、私はどうしても花電車芸人として終わりたかった。だから活動の場をライブハウスに移そうと思いました。

花電車をひっさげてライブ業界に打って出るということは、ストリッパーとしてではなく、パフォーマーとして認められないといけないという難しさはありますが、私が先陣を切っていかないと、花電車は日本から途絶えてしまう。花電車芸人を目指す後輩たちが出てきた時に、花電車が存続する道筋を作って行かなければいけないという思いもありました。
今のストリップ業界では、花電車のできる踊り子でも、ポラロイド販売の片手間に芸を披露する程度で『花電車芸人』としては食えない。私が弟子を作っても芸で飯を食わせてあげる事もできない。ならば私が先陣を切って道を切り開いてやろうと思ったんです。その道を後進のパフォーマーが私の後に続けばいい。それができれば、日本に『花電車芸』を残すことができる。
弟子や後継者を作らなかった代わりに、ライブハウスという場で花電車芸人が活躍できるレールを敷いて残して置くこと。そして次の世代はストリップ劇場ではなくライブハウスで『花電車』が観られる時代に移行させておきたいんです。それが私の『花電車芸人』としての最後の仕事だと思っています」

――現在は都内近郊だけでなく、ショーをしながら日本全国を縦断しています。

「コロナ禍で営業先がどんどん縮小する中、何も行動を起こさずにいたら、私たち演者自身も自滅してしまいます。なので、例え多少赤字になったとしても、全国を回って新境地となる営業先を切り開いていこうと思いました。 全身網タイツのシャンソン歌手・蜂鳥あみ太=4号さんとコラボし、一緒に日本全国を回ったところ、私1人では行けない会場にも行くことができ、新しい営業先をどんどん開拓しつつあります。
例えば、良い条件で出演させてくれるライブハウスを見つけた時、普通は自分たちで囲い込んでしまい、他の演者に紹介しない人が多いんですよね。だけどあみ太さんはそれを一切せず、後進のためにどんどん紹介する方だったので、"この人とだったら一緒に回れるな"と。今は47都道府県を巡り、全国のいいお店をリストアップし、後進や知り合いのバンドマンにプレゼントするつもりでやっています」

――自ら発案した鍛錬法で、女性のための尿漏れ防止や、産後のリハビリテーションの講師としても活動されています。なぜ、そのような活動を始められたのですか?

「女性のお客様がショーを観に来てくれた時、『どうやって膣圧を鍛えるんですか?』と聞かれることが多かったからです。膣がなかなか産後の状態から戻らない、尿漏れに悩む女性は非常に多く、いろんな方法を試された方もいらっしゃいましたが、それでも効かなかったと。
私自身、腰の手術を失敗して杖をつきながら生活していた時期がありますが、ステージに戻るためには、歩くリハビリだけではなく、あそこのリハビリが必要でした。だけど具体的な方法がなく、身をもってそのつらさを実感したのです。
自分が鍛えているからこそ分かりますが、産婦人科や泌尿器科で配られる骨盤底筋体操のパンフレットを見ても『こんなの効くわけないじゃん!』と思うものばかり。産科婦人科学会や産婦人科医会に問い合わせても、産後や尿漏れに関してのリハビリがなく、保険点数も認められていない。当時は産後のトラブルや尿漏れに悩む患者さんは、医療から見放されている状態でした。そこで『私がやらなきゃ誰がやるんだ!』と猛勉強。入院中に、解剖学から生理学、スポーツ医学まで学び、理論と体操のメソッドを構築しました。それまでは自分の感覚でやっていたことが、医学の知識とリンクした瞬間でもありましたね」

――実際にレッスンを受けた方からの反響は?

「かなり大きいです。私の体操を実践すると、平均2カ月くらいで尿漏れが改善します。出産時に神経を損傷し、尿が出る感覚が麻痺してしまい、おむつ生活を余儀なくされていた方も、2カ月ほどで治ったと聞きました。モニターになってくれた風俗嬢の方は、1週間のトレーニングで『絞まりがいいね』とお客さんから褒められるようになったそうですが、体操をサボったところ1週間で言われなくなり、慌てて再開したそうです。膣の周りの骨盤底筋は、普段は使わない筋肉なので、トレーニングの効果はすぐに現れます。 『そこに筋肉があるからには必ず鍛えることができるんだ』ということを、私のパフォーマンスを通じて納得して貰えたら嬉しいですね」

――話は変わりますが、ヨーコさんは東日本大震災が発生した際、軽自動車に物資を積んで、支援に行かれたそうですね。

「そうですね。震災時、私を応援してくれていたお客様が、福島県のいわき市で取り残されてしまって……。地震で泊まっていたホテルを追い出され、交通手段も全て絶たれた状態でした。その後、原発の爆発の知らせが入り『私が行かなければ誰が行く!』と。 慌てて救援物資を軽自動車に山積みにし、福島まで車を走らせました。

被災地に行くのなら救援物資をと思いましたが、軽自動車に積める程度の少ない物資ですから、一番困窮している所へ、どうせなら原発に一番近い避難所に行こうと思いました。ライターの仕事もしていましたから、ビニール袋に入れた物資を一つずつお渡ししながらお話を聞かせてもらったのですが、そこは原発作業員の方がたくさんいる避難所だったんです。地震発生直後、真っ先に来たライターが女の私だったので、皆さん相当ビックリされたと思いますが、信用していただけたのかいろいろな方からお話を伺うことができ、その後も彼らから次々と情報が寄せられ、潜入取材にも協力してくれました」


――ヨーコさんの気さくで温かいその人柄が、現地の皆さんの心を開かせたのだと想像します。

「駅前にあるホテルの支配人さんが関東へ避難した後に、いわき市のご自宅を貸してくださったので、そこに泊まり込んで取材を続けました。あと、作業員の皆さんが食事をするパブが営業していたので、『食事だけ戴けたら給料はいらないので雇ってほしい。そのかわり取材をさせてもらえませんか?』とお願いしたんです。当時は食糧も満足に手に入りませんでしたから。夜はパブで働きながら、作業員の皆さんの生の証言を聞きました。早朝は原発作業員に紛れて潜入取材を繰り返しましたね。東京に帰ればお客様や踊り子仲間が集めてくれた救援物資を積んで、また福島に戻るという日々でした」

――現地は過酷な状況だったと思いますが、当時のヨーコさんの原動力となったものはなんだったのでしょう。

「『原発作業員の命を何だと思っているんだ!』という怒りからです。当時、原発周辺の状況を正しく伝える報道がほとんどありませんでした。 私がストリッパー兼ライターということもあり、大手の新聞社はどこも相手にしてくれませんでしたし、媒体も書けることが限られていました。でも、生の声が私のところに続々と集まってくる。『この真実をなんとか伝えたい』という使命感と、悔しさ、怒りがバネになっていたと思います」

――私たちが、ヨーコさんのように“諦めない心を維持する”ためには、どうしたら良いのでしょうか。

「何事も『やってやる!』というガッツが大事です。福島でも、私は後先考えずバッサリ髪を切り、胸をガムテープで縛って押さえつけた上から防護服を着て、汗まみれになりながら取材しました。それも『絶対にやってやる』という思いからで、それは花電車の仕事に対しても、骨盤底筋体操の仕事にしても同じ気持ちです。毎回毎回『私がやらなきゃ誰がやる!』で突き動かされてますね。
私がストリップ劇場からライブハウスに活動の場を移したのは50歳頃でしたが、それも『絶対にやってやる』という思いから。それまでは“伝説のストリッパー”と呼ばれて、ぬるま湯状態につかっていましたが、それを全て投げ捨て、今度は1から『アングラの女王』になってやろうと思ったんです。ガッツと行動、そこに奉仕の精神が加われば、上昇への歯車はカチッとかみ合います。私にとって奉仕の精神とは、お客様を楽しませる、後進への道筋をつけてあげることでした」

――上昇するためには、“行動・ガッツ・奉仕の精神”という、3つの要素が必要だと。“行動”の部分が一番難しいと思いますが、そこに対するアドバイスはありますか?

「私がストリッパーとしてデビューしたのは30歳の時でしたが、当時、花電車の先輩が10人くらいいて、その人たちをゴボウ抜きにしなければ食べていけませんでした。30歳というと、ストリッパーとしては肩を叩かれる年齢で、デビューした時点で背水の陣。だからこそ『絶対にのし上がってやる!』というガッツが湧いてきて、とにかくあそこを鍛え抜くという行動を起こしました。
誰にもマネできないことをやってやろうと、スプーン曲げや鉛筆折り、ファイヤー芸を始めました。鉛筆折りは、最初は割り箸を折るところから始めましたが、割り箸は梅雨時になると湿気を含んで折れなかったり、斜めに裂けると膣内に傷がついたりするので、素直に折れてくれるものとして鉛筆折りをするようになりました。それも1本ではなく、3本、4本と増やし、最盛期は10本まで折れるようになったんです。
今はそこまでの筋力はありませんが、お客さんイジりやトークなどの変化球を磨き、生き残ることができました。いまだに私を超える人は出てきませんし、同じ技をできる人もいない。

中学校を3カ月でドロップアウトした人間が、なぜライターになれたのか? とりあえず行動に移してみたからです。そして無我夢中で突き進んだからです。 仕事も恋愛もどんなことも”どうせ私なんて”と思って諦めていたら後悔しか残らないんですよ。一生後悔するぐらいなら玉砕して次に進んだ方がいい。だからこそまず行動に移してみる。そして全力で取り組んでみる。そこで手応えがあれば我武者羅に突進していく。自分の人生の扉は自分で開こうよということです。 人生の岐路の先は、後悔して泣いて暮らすか、成功するか、失敗するかの3通りしかない。行動に移すということは”後悔への道のりを一本消せる”ということ。人生の課題を3択問題から2択に自分で絞れるんです。例え失敗しても、燃え尽きれば立ち直りは早い。だからこそ行動に移してみることが重要だと思います。
行動とガッツと奉仕の精神が合わされば、道は必ず開けます。これは何度も何度も奈落の底に突き落とされては這い上がってきた、私の55年の人生の中でわかった人生の方程式です」


――なんだか私も、希望が湧いてきました!(笑) 最後に、今後の展望について教えてください。

「将来についてはあまり深く考えていません。47都道府県ツアーが終わってひと息ついたら、次を考えようかなと思っています。
実は今まで、何度も舞台から離れたことがありますが、その度にこの道に戻される人生でした。一度引退した時は出版のお話もあり、ライター一本で食べていくつもりでしたが、震災による紙不足で全部ボツに。原発の取材でお金を使い果たして、また舞台に戻りました。 自分で事務所を立ち上げ、他の仕事をしていた時期もありましたが、更年期特有のうつ症状を患い、2年ほど寝たきりで過ごしたので、その道も断たれてしまいました。記事も書けなくなってライターへの道も閉ざされました。その時も有り金を失ったので、舞台に戻らざるを得ない状況に。挫折に次ぐ挫折の連続ですよ。
他のことをしようとしても、必ず奈落の底へ、そしてまた舞台に戻される運命なのです。 多分『花電車芸人』というところにまだやり残した仕事が残ってるんでしょうね。 あまり自分の行く道は考えず、その時やれることを精一杯やっていく。いいことも悪いことも向こうから降りかかってくるし、どうせ避けられないのであれば、ジタバタしても仕方がない。その部分では達観していますね」


ショーを通してヨーコさんが伝えたいのは、“諦めずに立ち向かう勇気”。
コロナ禍を経て社会全体が変化し、年齢を重ねるにつれてできることが減っていく自分に、鬱々とした気持ちになることも多々あるが、ヨーコさんの話を聞いていると、そんな気持ちすらどこかへと吹き飛んでしまう。55歳となった彼女が全身全霊をかけ、奉仕の精神で臨むショーの根底には、そんなパワーが流れていた。

【ファイヤーヨーコ プロフィール】
元ストリッパー、花電車芸人。特に股間から火を噴く芸を得意とし、これが名前の由来となった。「最後の花電車芸人」「伝説のストリッパー」と呼ばれている。現在はストリップ劇場からライブハウスに活動の場を移している。 コラムニストとしても活動。福島原発の事故後は写真週刊誌等に記事を掲載。現在もスポーツ新聞にコラムを持ち、2004年には『21世紀の「性器考」』(河出i文庫) を出版。 骨盤底筋体操の講師としても活動し、自ら発案したメソッドを用いて、女性のための尿漏れ防止や産後のリハビリテーション、男性の勃起力回復に効果的な体操を考案。全国で講習会を行っている。 活動の詳細やライブスケジュールは以下でチェックを。

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(取材・文/みやざわあさみ)