昨年、今年とそれぞれリーグ連覇を果たしたオリックスとヤクルト。今年チームを26年ぶりの日本一へと導いたオリックス・中嶋聡監督と、昨年の覇者であるヤクルト・高津臣吾監督が指揮官として特筆されるのは、ともにチームのモチベーションアップのための空気づくりに余念がないことだ。選手たちが長丁場のペナントレースにベストの状態で臨めるよう、いかに環境を整えたかは、結果が物語っている。

 そんな時代と逆行するかのように、阪神は絶対君主のような岡田彰布を15年ぶりに監督に据えた。関西屈指の人気球団である阪神に対して、球界のご意見番である広岡達朗は怪気炎を上げるがごとく言い放つ。


2008年以来となる阪神監督に復帰した岡田彰布氏(写真左)

守りの野球こそが優勝への近道

「巨人が堕落している今だからこそ、セ・リーグの他球団は本気で優勝を狙っていけると思っていたが、岡田が監督になったことで来季は阪神が優勝筆頭候補だ。ヤクルトがリーグ連覇を達成したと言っても、圧倒的な力で優勝したのではなく、他球団が勝手にこけただけ。岡田率いる阪神はやるぞ」

 早稲田大の後輩ということを踏まえても、広岡がこれほどまでに大きな期待をかけるのは珍しい。

「岡田がオリックスの監督時代(2010〜12年)、キャンプの視察中にアドバイスを送ったことがある。『おい岡田、野球はピッチャーが70パーセント勝敗を握るのに、監督がブルペンに行かなくてどうする?』って言ったら、すぐに向かったよ。あいつは言われたら素直に言うことを聞く。阪神の第一次政権時代(2004〜08年)は、あいつ自身がまだ研究不足だったため、ピッチャーの重心を下げるにはどうやって指導していいのかを知らなかった」

 岡田監督は就任会見で「大山(悠輔)と佐藤(輝明)が中心になってクリーンアップ打って、不動のポジションでチームを引っ張っていかないと。代走も出さない」と堂々宣言した。来季のペナント奪回に向け、秋季キャンプで個々のレベルアップを図るべく練習に励んでいる。

「一塁に大山、三塁に佐藤を固定するのは大賛成だ。というより、なぜ今まで固定化してこなかったのかが不思議でならない。今シーズンの失策数は12球団ワーストタイ(86個)らしいが、それはいろんな選手に複数のポジションを守らせたからだ。ポジションを固定して指導すれば、練習時間も増え、自ずと失策数は減る。

 岡田は内野の守備陣形にこだわっているし、一塁に誰を置いたらいいのかの意味をしっかり考えている。2005年に広島からアンディ・シーツを獲った時もすぐに一塁に固定し、打撃に専念させた。佐藤に三塁を守らせたいというより、大山を一塁にコンバートしたかったのではないだろうか」

 広岡はかねてから、佐藤の守備の固定を口酸っぱく言ってきた。オーソドックスと言われようが、投手陣を含めた守りの野球こそが、優勝への一番の近道であるからだ。

「以前、岡田がショートなら捕球の際、右足を斜めうしろに引いて捕るというようなことを言っていたが、そんなことに気をとられていたらプロの速い打球は捕れない。深い位置は逆シングルで捕ったほうが理に適っているという指導者もいるが、どれだけ正しい理論だと思っていても、うしろに弾いてエラーすることが間違っていると思わなきゃダメだ。

 肩はボールに対してグラブと同じように直角になるように捕球することが重要で、打球方向やその場の状況で右足が前にいこうか、うしろにいこうがいいんだ。常にボールに対してグラブを直角にし、飛んでくるボールと両肩のラインも直角で捕球する姿勢を保っていれば、無理な体勢になれば自然と逆シングルになるものなんだ。最初から逆シングルの練習をするのは馬鹿げている」

 広岡の理念は一貫しており、「絶対に基本を疎かにするな」である。革新的なメジャー方式の科学トレーニングが導入されようとも、ゴロを捕るという野球の基本姿勢は古今東西変わることはないと自負している。

広岡が説くベッドコーチの重要性

 そして話は巨人・原辰徳監督と岡田監督へと移った。

「じつは、原を巨人の監督に推薦したのはオレだ。『おいチョーさん(長嶋茂雄)、原は純粋無垢な男だし、野球人の親父さんに困った時は相談できるから、後継者として自分の手もとに置いて育てるべき。そして勇退という形で原に譲るべきだ』と言ったことがある。長嶋が原に何を教えたかは知らないが、そういう経緯があった。原が生まれ持ってのスターという声があるそうだが、岡田だって関西の生粋のスターということを忘れてやしないか。岡田のほうが阪神からオリックスに行くなどして勉強している」

 原の父親である原貢(故人)は、アマチュア球界のドンとして君臨。三池工業(福岡)の監督時代には1965年夏の甲子園で初出場初優勝を果たすと、東海大相模(神奈川)時代は息子・辰徳との"親子鷹"として注目を集めた。辰徳は高校1年夏から甲子園に計4回出場し、甲子園のアイドルとしてフィーバーを巻き起こした。

 その後、東海大に進み、憧れの巨人にドラフト1位で入団。新人王、第48代4番として、瞬く間に巨人のスターへと上り詰めた。引退後は監督として、通算16年歴任、通算1220勝(2022年10月終了時点)はともに球団歴代1位の記録である。

 その原に勝るとも劣らないのが岡田だ。実業家の父を持つ岡田は、幼少期に当時阪神のスターだった吉田義男、三宅秀史が家に遊びにくるなど、関西の野球少年の誰もがうらやむ環境で育った。北陽高校(大阪)では1年夏から甲子園に出場し、早稲田大では1年秋からレギュラーとして活躍。4年間で通算打率.379、20本塁打、81打点と東京六大学のスーパースターとして一時代を築いた。

 ドラフトでは6球団競合の末、相思相愛の阪神が交渉権を獲得し入団。新人王、そして阪神の主力として長年活躍し、引退後は阪神、オリックスの監督を通算8年間務め、リーグ優勝1回、Aクラス4回の成績を残した。

「生まれ持っての格というのは、努力で備わるものではない。だからといって、己を律して鍛錬していかないと格は下落していく」

 そして広岡は、コーチの重要性を説く。

「チームを強化するにあたって、重要なのはコーチ陣が自分の役割をきちんとできるかどうか。ここ数年でよかったのは、内野守備コーチの久慈(照嘉)だ。現役時代からグラブ捌きがうまかったけど、コーチになって堅実な守備を自らが手本になって教えていた。『よくやってるな、頑張れよ』と声をかけると、『初めてそんなことを言ってもらいました』とうれしそうにしていた。

 今年、阪神のヘッドコーチを務めていた井上一樹なんかも、もともとピッチャーでよく知っている。現役時代の評価は、ピッチャーからバッターに転向した選手としてはよく打ったという位置づけだが、選手を指導する器ではない。とくにベッドコーチの役割は大きく、来季からヘッドコーチになる平田勝男の存在がどう左右するか。監督とコーチ陣、選手たちとの単なる緩衝材になるのではなく、岡田にどれだけ意見が言えるかどうかだ」

 名将の側には必ず参謀がいる。広岡にとって森祇晶がいたように、来季の阪神のキーパーソンはヘッドコーチの平田ということなのか。広岡は不敵な笑みを浮かべて言った。

「来シーズンはいきなり岡田の真価を問われるからな」