奥野一成のマネー&スポーツ講座(9)〜日本の経済力を考える

 前回は野球部顧問の奥野一成先生から、日本と海外では、移籍や転職についての考え方がだいぶ違うという話を聞いた3年生の野球部女子マネージャー・佐々木由紀と新入部員の野球小僧・鈴木一郎。ひとつの会社に就職してそこで一生働くという意識は、もはやふたりにはないかもしれない。どちらが合理的か。奥野先生が家庭科の授業で教えている「投資」にも通じる問いだった。

 いよいよサッカーのカタールW杯が始まる。野球が大好きな3人にとっても、やはりW杯は特別のようだ。

由紀「今回は日本代表、グループリーグ突破は厳しいんだって?」
鈴木「世界一になったことがあるドイツやスペインと同じ組で戦うんだから、しょうがないでしょう」

 日本代表の最新情報とともに、開催国カタールについてもさまざまな報道がされるようになってきた。中東で初めて開催されるW杯だ。

由紀「でもW杯やオリンピックは大きな国で開かれるものだと思ってたから、カタールだと聞いてちょっと驚いたんです」
奥野「アラビア半島にあって、面積はだいたい日本の秋田県と同じぐらい。人口は285万人だよ」
由紀「高層ビルが林立し、街並みが都会的なのにもビックリ」
鈴木「秋田県の広さにピッカピカのスタジアムを8個(新設は7)も作っちゃって、カタールってそんなに豊かな国なの?」

奥野「ひと言でいえば、世界でも有数の豊かな国のひとつだと言えるね。天然資源に恵まれていて、国民ひとりあたりの豊かさを示す『世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング(2021年)』によると、カタールのひとりあたりの名目GDPは6万8622ドル(現在のレートで約1031万円)で世界8位。だいたいアメリカと同程度になる」

 ちなみにIMFによる「世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング(2021年)」ベスト10は以下のとおり。

1位ルクセンブルク 13万6701ドル
2位アイルランド 10万0129ドル
3位スイス     9万2249ドル
4位ノルウェー     8万9042ドル
5位シンガポール 7万2795ドル
6位アイスランド 6万9422ドル
7位アメリカ     6万9227ドル
8位カタール     6万8622ドル
9位デンマーク     6万8202ドル
10位オーストラリア   6万3464ドル

奥野「ひとりあたりの豊かさだから、国の大小は関係ない。むしろ上位は小さな国が占めているでしょう。

 で、それよりも問題は日本。同じ調査だと日本は3万9301ドルで27位。この金額は1994年のものとほぼ同じ。順位は前年から3つ下げていて、この20年で確実に順位を落としている。しかもこれにその後の円安の影響を加味すると、今はもっと順位を下げているのは間違いないんだ」

由紀「日本が貧しくなっているってこと?」
鈴木「どうして〜?」

1994年と同じ水準の日本

奥野「所得が減ったわけではないから、絶対的に貧しくなったわけではないのだけれども、他の国が成長しているので、この30年間、ほぼゼロ成長の日本は、世界に追いついていけなくなった。つまり、相対的に貧しくなった、ということだね。

 しかも、このランキングは2021年の数字でしょ。2021年末のドル/円が1ドル=115円前後で、今はご存じのように1ドル=150円に瞬間タッチしたところまで急激に円安が進んだから、ドル換算した日本人ひとりあたりの国民所得は、もっと下がっていると思うよ。

 1ドル=115円で3万9301ドルだとすると、円換算した所得は451万9615円。円建ての所得が変わらないとして、これを1ドル=150円でドル建てに計算し直すと、3万130ドルになってしまう。2021年の27位にとどまっていられるかどうか、ちょっと微妙かもしれないね」

鈴木「どうして他の国ではひとりあたり国民所得が増えているのに、日本だけ1994年と変わらないのかな」
由紀「うちのお父さん、52歳で部長なんだけど、『昔の部長のほうがお金持ってたよなー』って嘆いてた(笑)」。

奥野「このランキングで上位に入っている国をざっと見ると、傾向としては人口の少ない国であるのとともに、付加価値の高い産業を持っているという感じかな。

 ルクセンブルグやアイルランド、スイスは金融、ノルウェーは石油・天然ガス生産、シンガポールは観光や金融などに力を入れているんだけど、いずれも少ない人数で大きく稼げるビジネスってところがミソだよね。つまり高い生産性と、高い付加価値を持った企業がたくさんあるんだ。

 これらに対して日本はどうなのかというと、もちろん付加価値の高いビジネスを持っている企業もあるにはあるんだけど、どうしてもモノづくりの国から脱することができないのが現状で、アメリカのようにたくさんの知財を持ち、実際の製造はコストの安い新興国にやらせるというような、いわゆる先進国型のビジネスモデルが着実に育たないまま、今に至っている。

 モノづくりも大事なんだけど、製造コストを考えれば、日本よりもASEAN諸国のような新興国のほうが安くできるわけだから、日本は価格競争で負けてしまう。しかも、作っているもの自体の付加価値が低いので、どうしても価格競争に巻き込まれやすくなってしまう。結果、所得は伸びず、由紀さんのお父さんのように、『昔の部長はもっと給料がよかった』と嘆くことになるってわけ。

 それともうひとつ、日本人の国民所得が増えない大きな理由があるんだ。わかるかい?」

鈴木「日本人が怠け者になったから」
由紀「お金儲けがヘタだから」

お金儲けがヘタな日本人

奥野「バブル経済の頃は『24時間戦えますか』なんてCMソングもあったくらいだから、それから30年以上が経って、働き方も随分と変わってきたのかもしれないけど、おそらくそれが決定的な要因ではないだろうね。今後、DX化が進めば、人の手を煩わせる作業が機械化できるから、人間の働く時間を今以上に減らすことができて、なおかつ今以上の作業量がこなせるようになる。働かなくなるのは世界的な傾向かもしれない。

 どちらかというと、由紀さんの答えのほうが近いかもしれないね。お金儲けがヘタな日本人。言い方を変えると、持っているお金を投資に回そうとしない日本人というところかな。

 日本の個人金融資産は、2022年6月末時点で2007兆円あるんだけど、このうち現預金の占める比率は54.9%。株式が9.9%で、投資信託が4.3%となっている。

 じゃあ、アメリカはどうなのかというと、現預金比率は13.7%で、株式等が39.8%、投資信託が12.6%だから、日本とは正反対という印象を受ける。

 そしてユーロ圏は、米国と日本の中間的なイメージで、現預金が34.5%、株式等が19.5%、投資信託が10.4%となっている。

 銀行など金融機関への貯金が中心になる現預金なんて、特に日本はゼロ金利が長かったから、ここにたくさんのお金を置いといても、利息なんてほとんど入ってこない。

 でも、株式で運用すれば、配当だけでなく値上がり益も得られるから、より大きなリターンを得ることが期待できる。それはつまり『金融所得』という名の所得を増やしたのと同じことになるんだ。

 今、岸田文雄首相が一所懸命に言っている『資産所得倍増計画』というのは、『貯蓄から資産形成へ』という流れを加速させることによって、国民所得を豊かにするのが狙いなんだよ」

由紀「でも、いくら株式などで運用するとしても、株価が上がらなければ豊かになりませんよね」
鈴木「そうそう。人口も減るって言うし、経済が活性化しなかったら株価も上がらないんじゃないですか。そこをどう考えればいいんでしょうか」

奥野「まあ、これは正直、日本には先進国であり続けてほしいと願っている私としては、非常に残念なことなのだけれども、この円安が持続されるなら、ひょっとしたら日本は新興国的発展を遂げる可能性がある。

 まず『スペイン化する日本』。スペインって以前、私も行ったことがあるんだけど、基本的に観光ぐらいしか産業がない。バルセロナのサクラダファミリアをはじめ、世界的に超有名な観光地があって、そこに外国人観光客が大挙して押し寄せている。

 日本も同じだよね。京都や鎌倉だけでなく、日本のいろいろなところに観光名所があって、それは日本の非常に長い歴史によって培われたものだから、他の国にはない付加価値がある。しかも、この円安によってレストランなどでの食事はめちゃくちゃ安いし、治安もいい。外国人、特にアメリカからの観光客にとっては、もう嬉しい限りだよね。

 それから、この円安と、さっき由紀さんが言ったけれども、日本人の賃金って世界的に見て安くなってしまったから、モノの生産拠点として見直される可能性が高まってきているんだ。実際、台湾のTSMCという、世界最大の半導体受託メーカーが、ソニーと共同出資で熊本県の菊陽町に新工場を造るんだけど、この手の動きが今後、加速してくる可能性があるだろうね。

 そうなれば、再び日本が新興国的発展を遂げる可能性があるんだけど、結局、それは戦後77年を経て、日本は先進国の仲間入りが果たせなかったということ。やっぱり複雑な気持ちだよね」

【profile】
奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社(NVIC) 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)。京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2014年から現職。バフェットの投資哲学に通ずる「長期厳選投資」を実践する日本では稀有なパイオニア。その投資哲学で高い運用実績を上げ続け、機関投資家向けファンドの運用総額は4000億を突破。更に多くの日本人を豊かにするために、機関投資家向けの巨大ファンドを「おおぶね」として個人にも開放している。著書に『教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』『投資家の思考法』など。