小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。虚栄心から、性に関して偽ってしまった経験がある人もいるでしょう。その行為で問題なのは「蜜を吸っているふりをする女」だと森さんは説きます。その理由とは?

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2018年5月12日に公開されたものに、一部小見出しなどを改稿し掲載しています。

性の話が好きな女性は多いが、そのうちの何パーセントが、腹を割って話しているのだろうか。

性に限らず、女性は向き合う相手によって、腹の具合を調整している。小さな見栄をはったり、妙なサービス精神を発揮したり。

性に関しては、それが顕著に表れると思う。

「わかるぅ〜、女って大変だよね〜」

まず私の例だが、初潮の時期を改ざんした。私は初潮が来たのが平均よりかなり遅く、中学2年生だったと記憶する。初潮というのは早く来すぎてもわずらわしいが、遅すぎても気詰まりだ。女になっていないくせに、「女の落ちこぼれ」のような気分になってしまう。私など、プールの授業を見学している女子が疎ましくなったことさえある。女ぶりやがって、みたいな。

そんな折、年下の従妹に生理の悩みを相談された。初潮を迎えてなかった私だが、見栄をはって悩みにこたえたものだ。「わかるぅ〜、女って大変だよね〜」といった具合に、女ぶってみた。これがいわゆる『初潮改ざん事件』である。

初潮の次にやってくる女の事件簿は『初体験』だろう。中学生にもなれば、誰々が誰々と体験しただの、「私の初体験はそりゃあロマンチックだった」だの、可愛らしいエロ話に花が咲く。初体験がロマンチックだった、なんて豪語しているヤツは皆嘘つきだ、と現在の私ならほくそ笑むのだが、当時は体験していない女子のほうが多かったから、言い出しっぺの話は皆が信じてしまったのだ。

やっかいなのは、蜜を吸っているふりをしている女

中学生、高校生の女子など(男子も)、先走りたい生き物だから、皆が先人者になろうと躍起になっている。たとえ「え? こんな印鑑押したみたいな行為で終わり? しかも3秒?」と呆然としても、「ううん、きっと永遠の3秒だったの」と打ち消すだろう。余韻も腕枕もなしに、隣で果てている彼氏を見下ろして「間抜け面」とつい思ってしまっても、「なんて愛おしいの」とうっとりするに違いない。

初体験は何としてもロマンチックでなくてはならないのである。ティーンエイジャーは決して現実には屈しない。痛かろうが小さかろうが、畳の上だろうが! 断然ロマンチック! という風に脳内で変換し、本当にロマンチックにしてしまう。なので、とりわけ性の話は何が本当なのか、話している本人ですらわからなくなるのだ。

初体験の次にやってくる女の事件簿は、多岐に渡る。不倫だの略奪だの年齢差だのセフレだの、いろいろだ。どうして女は、いけないことをしている自分に酔ったり、いけないことをしている自分を棚に上げ、まともな女をマウンティングしたりするのだろう。

いけないこと=蜜の味なのかもしれないが、ここでやっかいなのは、蜜を吸っているふりをしている女だ。つまり、相手のことが好きで好きで仕方がないから不倫するのではなく、自分に酔うために不倫するような女だ。相手に対して愛もないし、自分に対しても愛がない人々だ。

愛が根底にあるならば

私は不倫も略奪も年齢差もセフレも、否定しない。セフレにしても、お互いの身体に揺るぎない愛があればいいのだ。お互いの身体のためにする、メンテナンスセックスみたいなね。

愛が根底にあるならば、いずれにしても素晴らしいと思う。言い方を変えれば、愛が根底にあるからこそ、いけないことだとわかっていても、甘くかぐわしい蜜の味になるのではないか。

しかし、蜜を吸っているふりをして、いたずらにSNSでいけないアピールをするのはどうなのだろう。まあ、最近は私も歳をとったので、いけないアピール合戦の嘘を見抜けるようになった。

そう、いけないアピール合戦は全部嘘だ。愛を持って、世間的には後ろ指さされてしまう関係を続けている人は、女子会などでそういう類の話になったさいには、ただ静かに微笑んでいる。愛や秘密は、ひけらかすものではないと熟知しているからである。