※この記事は2020年06月18日にBLOGOSで公開されたものです

ちょうど1年前の2019年6月から、大規模な反政府デモが続いている香港。先月からは中国政府による香港の社会統制を強める「国家安全法」導入に反発する抗議デモが何度も発生している。

そんな中、かつて香港の宗主国だった英国のボリス・ジョンソン首相は、6月3日、香港市民285万人に英国での市民権取得の道を開くことを英タイムズ紙の寄稿記事の中で表明した。

国際社会には香港と歴史的なつながりを持つ英国が「香港に対しもっと強い支援対応をすべき」という期待がある。だが、おいそれとはいかない事情がある。

ロンドンに18年間暮らす筆者から見た、英国と香港の今の関係性について伝えてみたい。

香港は英市民にとって心理的に遠い存在?

テレビやラジオで熱心にニュースが伝えられているものの、度重なる抗議デモ、そして香港市民への市民権付与などについて、英国市民はどんな思いを持っているのだろうか。

その人の信条や置かれた立場によって見方が変わるため、筆者の友人たちの声が全体像を表しているのかはわからないが、筆者が知る英国市民の中で香港市民に対して格別に行動を起こすべきという声はあまり聞かない。

年金生活者のデービッドさん(与党・保守党支持者)は「香港は、すでに中国の一部だから。格別に英国が何かするべきとは思わない。植民地だったのは昔のことだよ」とひややか。

香港市民への英国市民権付与については「人数が多くなるようだと、心配だな。やっと欧州連合(EU)から離脱して移民の数を減らせると思ったのに」と残念そうに語る。

一方、大学生のジェームズさんは「香港政府の対応が悪い。中国の中央政府とべったりだ。市民の側に立っていない」と香港政府を批判。

政治デモに積極的に参加するクレアさんは香港市民に連帯感を感じるといい、「なぜ英国は、もっと中国政府に圧力をかけられないの?いらいらする」と話した。

最新の国勢調査(2011年)によれば、在英の香港出身者は約9万8000人(英国の総人口は約6700万人)。また香港在住の英国人は、約3万3000人(全人口は約750万人)である。決して多くはない数だ。

英国が中国に対し、香港の自由が侵害されていることを強硬に抗議するべき、香港の市民を助けるために手段を講じるべきと強く主張してきた大物政治家は、元香港総督クリス・パッテン氏だけ、という状況が続いている。

ジョンソン首相の発言はリップサービス?

ジョンソン首相の「285万人に英国での市民権取得の道を開く」というオファーは一見、英政府による大胆な香港市民救済措置のようだが、中身を見るとそれほど現実的ではない。

オファー内容は、「もし中国政府が国家安全法を香港に導入する場合」という条件付きで以下のようなものだ。

対象:
・約35万人の「英国海外市民(BNO=British National Overseas)パスポート」を持つ人(1997年の返還前に香港に永住していた人であれば誰でも取得可能だった)
・BNOパスポートが申請可能な250万人

内容:
・現行ではビザなしで英国に最長半年滞在できるところを1年間に延長する
・労働許可を与えて、将来市民権を取得できるようにする

ジョンソン首相の言葉は、

「多くの香港市民が、生活様式が危機に瀕していると感じている」

「中国側がこの恐れを正当化する方向に進んだ場合、英国としては道義上、肩をすくめて歩き去るわけにはいかない。私たちは英国の責務を果たし、選択肢を提供したい」

と、希望に満ちたものが多い。しかし、残念ながらリップサービスの域を出ていないようだ。

まず、「もし中国政府が国家安全法を香港に導入する場合」という条件が付いており、今すぐ政治的に窮状にある香港市民を助けるものではない。

また、「香港が嫌だったら、英国に住んでもよい」といわれても、すでにパスポートを持っている人でよほどの政治的迫害を受けている人でもなければ、現在の生活をなげうって、英国で新たな生活を始めるのは必ずしも現実的ではない。

香港市民が望んでいるのは、香港で自由が保障されることだ。他国に逃げることを願っているわけではない。「英国への移住ではなく、香港で自由に生きること」(あるデモ参加者の若者)を求めているのだ。

そうした意味でも、英政府はリップサービス的な手段で「香港市民よ、頑張れ」というしかないのが苦しいところだ。

米国のように中国を批判しきれない英国事情

英国にいると、中国政府について「香港に自治を脅かすような政策を導入しようとする中国政府」「国内の異端者を『再教育』する中国」と否定的な報道を目にすることが多いが、英政府は米国のように明白に対決姿勢をあらわにせずにここまできた。

ドナルド・トランプ米政権は中国への敵対心をむき出しにしている。昨年5月には中国の通信機器大手ファーウェイに対する事実上の禁輸措置をとり、今年5月には規制を強化。セキュリティー上の潜在的脅威と見なしている。

一方の英経済界・政界にとって、中国は大きな市場として、またテクノロジー面でも魅力的だ。中国製品が日常生活の様々な分野で使われている。

5Gネットワークへのファーウェイ製品採用をめぐり、国家サイバーセキュリティーセンターが同社製品の安全性を再評価するべきと表明したことで、将来完全排除するという噂も出ているが、これまでは基地局など最大35%の市場占有率に限って採用を容認する方針を維持してきた。

香港の一国二制度おさらい

英国と香港の関係をごく手短に振り返ると、まず19世紀半ばに英国と中国・清朝の間にアヘン戦争(1840~42年)が勃発し、英国が勝利する。1842年の南京条約で、香港は英国に割譲され、150年以上英国の植民地となった(第2次世界大戦中の1941~45年は日本の支配下に)。

香港は貿易港として発展し、大きな経済成長を遂げてゆく。政情不安あるいは経済的理由で中国本土から香港に移住する人も増えた。現在、東京の半分ほどの広さを持つ香港には約750万人が住み、国際金融や貿易の拠点の1つとなっている。

香港は1997年に中国に返還されたが、これが実現する前に、英国と中国は「一国二制度を50年続ける」という文書に署名をしている。

これは、香港は中国の一部になるが、返還から50年(2047年まで)は「中華人民共和国香港特別行政区」として「外交と国防の分野以外では、高い自治を維持する」ことへの合意であった。「高い自治」とは自治政府を持ち、資本主義や司法の独立、民主主義、言論や集会、報道の自由などの権利も保障されることを意味する。

民主主義、自由を侵害されたと抗議デモ

しかし、社会主義国の一部でありながら、欧米型の自由主義、民主主義を謳歌してきた香港が中国に返還されてから、「高度の自治」が侵害されつつあるとして多くの市民が抗議デモに参加してきた。

直近の例が、昨年の大規模デモだ。きっかけは香港政府が中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案を議会に提出したことである。

これによって、香港で反政府的な活動をしている人が中国本土に身柄を引き渡される可能性が出てきた。学生、市民、企業関係者など100万人から200万人規模の人が参加したデモが次々と勃発し、昨年9月、香港政府は改正を正式に撤回することを表明した。

しかし、中国政府は今年5月、反政府運動を厳しく取り締まる「国家安全法」を香港に導入する計画を表明。香港でまた激しい抗議デモが始まった。今月12日にも市民らが各地で抗議活動を行い、30人以上が逮捕された。

かつての宗主国だからこそのジレンマ?

英国は1997年までは香港を支配下に置き、一国二制度の合意に署名した国でもある。それが崩れつつあると感じ、香港の市民が大規模抗議デモを続けているのだから、英国は中国政府を強い言葉で批判することでけん制したり、何らかの政治的圧力をかけたりするべきではないのだろうか。

先に挙げた「高度な自治」が瓦解するかもしれない状態を見過ごしてもいいのか、という問いである。

しかし、すでに香港は英国の支配下にはないので、報復措置をとるなどの過激な行動は中国政府に「内政批判の最たる例だ」と一蹴されてしまうだけという事情がある。かつて宗主国だったからこそ、手が出せないジレンマとでもいえようか。

それでも、香港の現状を子細にウオッチングしていることは確かで、英外務省は半年ごとに報告書を発表している。

6月11日に発表された最新の報告書(対象期間は2019年7月から12月)の中で、ドミニク・ラーブ外相は一国二制度の枠組みで保障された高度な自治や権利、自由を英国政府が支持し続けることを確約し、香港が今、「返還以来最大の苦境に瀕している」と分析した。

さらにラーブ外相は「解決は香港の手によるものであるべきで、中国本土から押し付けられるものであってはいけない」「国家安全法を香港に導入しようという中国の計画に深い懸念を持っている」とコメント。

国家安全法は一国二制度を弱体化し、香港の憲法にあたる基本法23条(政権転覆や国家分裂を禁じる)や英中共同宣言(返還後の香港の地位に関し、1984年に結ばれた合意文書で、香港が高度な自治権を享受するという項目がある)に反する、とまで言い切った(これに対し翌12日、香港政府は報告書で「不正確でバイアスがかかっている」と批判した)。

自分たちを中国人だと思っている香港市民は15%

BBCニュースの解説記事(2019年7月2日付)の中で、香港市民の意識が書かれている

▽【解説】なぜ香港でデモが?知っておくべき背景

この記事によると、香港市民の大半は自分たちを中国人とは思っていないそうだ。香港大学が行った調査によると、大部分の人が「自分は香港人」と答えた。「中国人」という人は15%のみだ。

年齢層が若いほど、「自分は中国人」と考える人の比率が減少する。18~29歳ではわずか3%だった。

なぜ中国人だと思わないのだろうか?それは「自分たちは法的にも、社会的にも、文化的にも違う」と思うからだという。香港が150年以上、「中国とは切り離された植民地だったという事実」も理由だという。

逃亡犯条例の改正案は、市民らの大規模なデモの連続によって、とうとう取りやめとなった。

国家安全法の導入も、粘り強い抗議デモと国際的な言葉による圧力で消えていくだろうか。