「生理のある人」って誰のこと? ハリー・ポッターの作者J・K・ローリングが炎上している理由 - 木村正人
※この記事は2020年06月17日にBLOGOSで公開されたものです
「生理のある人」って誰のこと
[ロンドン発]アメリカの白人警察官による黒人男性暴行死事件に端を発した「Black Lives Matter(黒人の命が大切なのだ)」運動が世界中に波紋を広げる中、生物学的な「女性」に固執する一部フェミニストとトランスジェンダーの権利を唱えるグループの間で激しい論争が起きています。
トランスジェンダーの論争に火を付けたのはトランスアクティビストから「トランスフォビック(恐怖症)」と攻撃されている英女性作家J・K・ローリングさん(54)です。ローリングさんは魔法使い「ハリー・ポッター」シリーズで5億部以上を売り上げ、その映画も大ヒットした世界的なベストセラー作家。
フェミニストとしても活動するローリングさんのツイートは昨年12月にも炎上。今回は6月6日に「“生理のある人”。かつては確かにこうした人たちを指す言葉があったわ。何と言ったのかしら誰か教えて。Wumben? Wimpund? Woomud?」とツイートし、大炎上しました。
‘People who menstruate.’ I’m sure there used to be a word for those people. Someone help me out. Wumben? Wimpund? Woomud?
- J.K. Rowling (@jk_rowling) June 6, 2020
Opinion: Creating a more equal post-COVID-19 world for people who menstruate https://t.co/cVpZxG7gaA
ローリングさんは確信犯です。生理のある人を「女性(Women)」と表現できない今の風潮はおかしいと問題提起するのが狙いでした。
しかし「ハリー・ポッター」役を務めた英俳優ダニエル・ラドクリフさん(30)は「トランス女性は女性だよ」と批判しました。スピンオフシリーズ『ファンタスティック・ビースト』で主演した同エディ・レッドメインさん(38)も「男性にも女性にも分類されない性別もある」と参戦しました。
レッドメインさんは米英独映画『リリーのすべて(原題:The Danish Girl)』で世界初の性別適合手術を受けて女性(トランス女性)になったデンマークのリリー・エルベ(1882~1931年)を好演して話題を呼びました。レッドメインさんは「トランスジェンダーの人たちへの尊敬は文化的責務」とも主張しています。
ローリングさんが「生理のある人」とツイートした背景とは
一方、ローリングさんは6月10日、「生理のある人」とツイートした理由を3600語のエッセイに書きました。
J.K. Rowling Writes about Her Reasons for Speaking out on Sex and Gender Issues
https://www.jkrowling.com/opinions/j-k-rowling-writes-about-her-reasons-for-speaking-out-on-sex-and-gender-issues/
この論争の発端は「男性は女性になることはできない」とツイートしたことが理由でシンクタンクの仕事を失った女性の労働裁判でした。
判事が「彼女の性に対する考え方は絶対主義だ。トランスジェンダーの人たちの尊厳を傷つけ、脅迫的で敵意があり下劣、屈辱的、攻撃的な環境を作り出す」という判断を下したことに対して、ローリングさんはツイッターで敗訴した女性を擁護しました。
これをきっかけにローリングさんにはトランス差別的な言動を繰り返すフェミニストを意味する「ターフ(TERF、トランス排外主義フェミニスト)」のレッテルが貼られる一方で、逆に多くの女性から支持も得たそうです。ローリングさんの主張は次の通りです。
「10年前、トランスを希望する人の過半数は男性でした。その比率は逆転しました。トランス治療を問い合わせる少女はイギリスで4400%も増えたのです。中でも自閉症の女の子が非常に多いのです」
「アメリカでSNSを通じて複数の少女グループや友達の間に性同一性障害が同時に広がったことを報告した女性研究者は非難の渦に巻き込まれました。“自分は性同一性障害?”と悩む10代に性転換することを認めないと自殺してしまうという主張がまかり通っています」
ローリングさんは少女にとって性の目覚めはそんなにストレートに割り切れるものではなく、性急なトランス治療を行うべきではないと指摘しています。
そして自分が現在暮らすスコットランドの自治政府が現行のジェンダー承認法を緩和して、性同一性障害を認定した医師の診断書を要件から外そうとしていることに強烈な拒絶反応を示しています。
自らが家庭内暴力や性的暴行のサバイバー(生存者)であることを初めて公にして「もし自分は女性だと信じたり感じたりしている男性に、手術もホルモン治療もなしに性別変更を認め、女性のトイレや更衣室の扉を開いたとしたら、中に入りたいと望む全ての男を招き入れるのと同じことになります」と主張しています。
英国ではトランス女性の服役者11人が性的暴行被害に
しかしスコットランド・トランス同盟によると、18歳未満の少年少女が性同一性障害ではないかと診療所に問い合わせるケースは0.1%にも満たないそうです。トランスジェンダーの人口も0.6%に過ぎず、トイレや更衣室で女性がトランス女性に襲われるというのは心配し過ぎだと擁護グループは反論しています。
イギリスの男性刑務所では昨年、トランス女性の服役者11人が性的暴行を加えられる事件が起きています。一方、女性刑務所では2010~18年に女性服役者7人がトランス女性に性的暴行を加えられたそうです。こうした不幸な事件を防ぐため昨年3月に女性刑務所にトランス女性用のユニットが設けられました。
イギリスでは出生時に性別登録が必要で、両性具有や性分化疾患の場合、出生証明書の性別変更は比較的簡単に認められます。
しかし一昔前まで性別適合手術を受けたトランス女性は出生証明書の性別変更が認められず、雇用・社会保障・婚姻で不利益を被ったと裁判が起こされたことがあります。
2002年の欧州人権裁判所の判決は「性別適合手術を受けたトランスセクシャルの者の婚姻する権利を妨げる理由はない」として、婚姻を拒絶した英政府の対応は欧州人権条約違反だと判断しました。これを受けて04年にジェンダー承認法が制定されました。
性同一性障害を持つ人は2年以上新たに獲得する性で生活し、死亡するまで新たな性で生活する意思を有している場合、性同一性障害を専門とする医師の診断書などの証拠をそろえた上でジェンダー承認委員会に申し立てることができるようになりました。
見送られたジェンダー承認法緩和案
要件が厳しすぎるという要望を受けて、テリーザ・メイ前首相はスコットランド自治政府と同じように医師の診断書がなくても出生証明書の性別変更を申請できるようジェンダー承認法を緩和する準備を進めていました。
しかし保守党右派を支持基盤にするボリス・ジョンソン首相は緩和案を白紙に戻したと6月14日付の英日曜紙サンデー・タイムズが報じています。最大野党・労働党支持者のローリングさんが引き起こしたトランスジェンダー論争が影響したのでしょうか。
筆者は、ローリングさんは生物学的な「性」を強調する余り、トランスジェンダーの人たちの権利を侵害しているように受け止められても仕方がないと思いました。
米ハリウッドは冷戦下に「赤狩り」のターゲットにされた歴史から、リベラルな文化が根付いています。保守的なローリングさんの主張は当然、強い反発に遭うでしょう。
しかしトランスジェンダーの権利には賛成するものの、トランス女性と一緒にトイレや更衣室を使うのは困るというのが保守的なイギリス女性の本音のようです。