【新型コロナウイルス】習近平主席が責任逃れのアリバイ作りか 「1月7日に感染予防指示」の真相は闇の中 - 木村正人
※この記事は2020年02月19日にBLOGOSで公開されたものです
アリバイ作り?自己批判?異例の情報開示
[ロンドン発]中国湖北省武漢市をエピセンター(震源地)とする新型コロナウイルス肺炎の流行で、“対ウイルス人民戦争”の陣頭指揮をとる習近平国家主席が1月7日、中国共産党の最高意思決定機関、中央政治局常務委員会で感染予防と制御を要請していたことが分かりました。習氏が問題を認識したのはこれまで1月下旬とみられてきましたが、かなり早い時期から新型コロナウイルスについて報告を受けていたことが明らかになりました。
習氏が早期に対策を講じていたという責任逃れのアリバイ作りなのか、それとも周囲の突き上げで危険な事態や被害が発生する恐れがあることを知っていたにもかかわらず対策が十分ではなかったことを認めざるを得なかったのか、異例とも言える情報開示の真相は闇の中です。
中国共産党の中央党校と中央委員会が発行する隔月の政治理論雑誌「求是」(2月16日発行)に習氏が行った演説内容の全文が掲載されました。それによると、1月7日に中央政治局常務委員会の議長を務めた習氏は新型コロナウイルス肺炎の予防と制御を求めていたそうです。
さらに同月20日に習氏は、新型コロナウイルスの予防と制御を具体的に指示、感染対策を最重視して予防および制御するために最善を尽くすことを求めました。党の委員会、政府、関連省庁に人民の安全と健康を第一にすることを呼びかけました。
同月22日には、新型コロナウイルスの急速な感染拡大を考慮して湖北省に人の流出に対する包括的かつ厳格な管理を実施するよう明示的に要請しました。春節(旧正月)の同月25日に再び中央政治局常務委員会で見直した対策を徹底し、人員を動員しました。
中国の独立系メディア「財新網」などからこれまでの経過を見ておきましょう。
【これまでの経過】
2019年12月1日、感染源とみられる華南水産卸売市場(武漢市)に出入りしていない肺炎患者が武漢市金銀潭医院で発見される(2020年1月24日に同病院胸部外科の首席医師が医学誌ランセットで発表)
12月8日、武漢市が新型肺炎患者を報告
12月下旬、武漢市内の複数の病院に連日、発熱などを訴える市民数百人が詰めかける
12月30日、武漢市衛生健康委員会が2つの文書で新型肺炎患者が華南水産卸売市場で見つかったため、医療施設はリアルタイムで患者数を把握して治療に当たり報告するよう指示
・李文亮医師がメッセンジャーアプリのウィーチャット・グループで同窓生の医師ら約150人と患者の診断報告書を共有し、「華南水産卸売市場で7人のSARS患者を確認」と発信。治療に当たる際、注意するよう呼びかける。後に新型コロナウイルス肺炎と判明
12月31日、武漢市衛生健康委員会が「27人が原因不明のウイルス性肺炎にかかり、うち7人が重症。人から人への感染はまだ見つかっていない」と発表
・中国がWHOに武漢市で新型肺炎が発生していることを報告
2020年1月1日、華南水産卸売市場を閉鎖。2日に清掃や消毒を実施
・武漢市公安当局が「ネット上に事実でない情報を公表した」として李文亮医師ら8人を処罰したと発表
1月5日、中国当局がSARS再流行の可能性を否定
1月6~10日、武漢市人民代表大会
1月7日、習氏は中央政治局常務委員会で新型コロナウイルス肺炎の予防と制御を要請(新たに判明)
・WHOによると、中国当局が新型ウイルスを検出。新型コロナウイルス(2019-nCoV)と名付けられる
1月9日、中国疾病予防管理センター(CDC)が新型コロナウイルスの全ゲノム配列決定を公表
・中国国営中央テレビ(CCTV)が武漢市で新型コロナウイルスが確認されたと報じる
1月11日、中国当局は初の死者を発表。華南水産卸売市場で買い物をしていた男性で、1月9日に死亡していた
1月11~17日、湖北省で人民代表大会
1月13日、WHOがタイで女性の感染者を報告。中国国外では初の感染者で、武漢市からやって来た
1月14日、WHOが記者会見で、武漢市で新型コロナウイルスが検出されたと認定
1月15日、日本で武漢市滞在歴がある肺炎患者から新型コロナウイルスを確認。日本国内1例目。6日に受診した際、報告あり
1月16日、武漢市で2人目の死者
1月17日、アメリカの3つの空港で武漢市から到着した乗客のスクリーニングを開始
1月18日、武漢市で伝統行事「万家宴」。4万世帯以上が家庭から料理を持ち寄る
1月19日、SARSが流行した当時、広東省で広州市呼吸器疾病研究所の所長を務めていた鐘南山氏が新型コロナウイルス専門家チームのリーダーになり、武漢市金銀潭医院を訪れる。武漢市疾病予防管理センター(CDC)も状況を把握し、国家衛生健康委員会が緊急会合
1月20日、習氏が新型コロナウイルスの予防と制御を具体的に指示(新たに判明)
中国衛生部が初めて「人から人への感染」を認める。鐘南山氏が「現在の統計によると、新型コロナウイルス肺炎は確実に人から人に感染している」と発言し、皆が初めて新型コロナウイルス肺炎の深刻さに気付く
・中国で3人目の死者
1月22日、習氏が湖北省に人の流出に対する包括的かつ厳格な管理を実施するよう明示的に要請(新たに判明)
・WHOが新型コロナウイルス肺炎の流行で初の緊急委員会(23日も継続)。「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」との結論には至らず。委員間で意見が対立
1月23日、1100万人都市の武漢市を閉鎖。中国当局が中国で最も大切な祝日、春節(旧正月)の関連イベントを中止
・WHOが中国国外では人から人への感染を認める証拠がないと発表
1月24日、中国が武漢市で1000床の臨時病院の建設開始
1月25日、春節。習氏が中央政治局常務委員会で対策を見直し、人員を動員(新たに判明)
・湖北省で集団隔離された都市の人口は合わせて5600万人に
1月26日、WHOが新型コロナウイルスのリスクを「穏健」ではなく「高い」と変更
1月28日、習氏とWHOのテドロス氏が北京で会談
1月30日、WHOが緊急事態宣言
2月1日、李文亮医師がミニブログサイト新浪微博で新型コロナウイルス肺炎と診断されたことを明らかにする
2月2日、フィリピンで死者。武漢市から来た男性で、中国国外では初
2月4日、人民日報が「中国共産党中央政治局常務委員会が3日の会議で明らかになった欠点や不足への対処能力を高めることを確認した」と伝える
2月7日、李文亮医師が死去
2月11日、テドロス氏が新型コロナウイルスの病名を「COVID-19」と公式に命名。一方、国際ウイルス分類委員会コロナウイルス研究グループは新型コロナウイルスそのものについて、SARSの姉妹種「SARS-CoV-2」と名付ける
2月13日、中国共産党が湖北省と武漢市のトップを更迭
2月14日、中国国家衛生健康委員会が国内で1716人の医療従事者が感染し、6人が死亡していることを発表
「人から人への感染」を当初否定したことがアダに
問題は中国が「人から人への感染」を合理的に疑い始めた時期だと筆者は思います。中国衛生部は1月20日に「人から人への感染」を公式に認めるまで、「動物から人への感染」を認める一方で「人から人への感染」を否定。このため初動が大きく遅れてしまいました。かつて7つの海を支配したイギリスではコレラが大流行し、外科医のジョン・サイモン(1816~1904年)は1848年にシティ・オブ・ロンドンの初代首席医務官に、1855年には政府の初代首席医務官に任命されました。
サイモンは公衆衛生を担当する省を立ち上げて国家の研究部門を発足させるとともに、ワクチンの予防接種システムを完成させました。1866年には公衆衛生法が制定され、その後。1世紀にわたる公衆衛生の基礎を築き上げました。
もちろん政治と科学の確執はあります。しかし科学のふるさととも言える英国では第二次大戦でも科学を重視して戦争を遂行し、勝利を呼び込みました。習近平指導部も硬骨漢の鐘南山氏のような医師に公衆衛生の全権を委譲しておけば判断が遅れることはなかったはずです。
今回の新型コロナウイルスのように正体がまだはっきりしない場合、過剰に反応して初動を早く、大きく構えるのが鉄則です。イギリスの感染者はわずか9人なのに政府も、メディアも過剰に反応し、新型コロナウイルスの特性をあらゆる角度から市民に伝えています。
「英雄的な武漢市」の実態はスタッフ60人に防護服1着
習氏はテレビ会議で「武漢市は英雄的な都市であり、湖北省と武漢市の人々は歴史上のいかなる困難や危険にも屈しない英雄的な人々だ」と湖北省の最前線で感染拡大と闘う担当者を激励しましたが、武漢市の現状は実に悲惨です。財新網の報道によると、封鎖された武漢市の医療システムはあふれる感染者や重症患者で完全にキャパシティーをオーバーし、残された人口900万人をサポートする地域の管理システムもパンクしています。最初の12日間は上からの具体的な支援はなかったそうです。
多くの感染者は入院できず、家族に感染させることを恐れながら自宅で待機せざるを得ませんでした。政府は地域に助けを求めるよう一般市民に伝えましたが、十分な資源も人材もありませんでした。地域の医療センターには60人のスタッフに防護服は1着という有様でした。
武漢市が全ての患者を病院に入院させるキャンペーンを始めたのは2月9日以降のことです。しかし入院の順番待ちのため70歳超の患者も1日中、列に並ばなければならないというのが現実だったそうです。
GPSで追跡、顔認識で拘束…監視社会の感染症対策
感染者の携帯電話の衛星測位システム(GPS)を追跡すれば、他の誰といつ、どこで接触したかが分かります。市民監視システムを構築している中国当局はこうしたデータをもとに疑わしい例について公権力を行使して強制的に隔離することもできます。ドローン(無人航空機)を使って上空から監視して感染予防のためのマスク着用を怠っている市民にアナウンスで注意を促したり、顔認識システムを利用して隔離から脱出しようとする市民を拘束したりすることも可能になります。
湖北省全域で公共交通機関を停止、駅・空港が閉鎖されたのに続き、浙江省温州市でも市民の外出制限や一部を除く高速道路の封鎖が発表されました。北京市は旅行や帰省先から戻る市民全員に14日間の隔離期間を義務付け、他の都市でも移動を制限する措置がとられています。
対策を口実にジャーナリスト抑圧の可能性も
新型コロナウイルスの感染拡大と闘う中国は今、事実上の戒厳令下にあると言えるかもしれません。習近平指導部は湖北省と武漢市の体制を一新しましたが、国民の激しい怒りにさらされています。しかし筆者が恐れるのは新型コロナウイルス対策を口実に活動家やジャーナリストへの抑圧が強化されてしまうことです。その意味でも共産党主導ではなく、科学主導で“対ウイルス人民戦争”を進める方が健全です。
2002~03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)も突発的な事件ではなく、「闘争」と位置付けられました。共産党指導部に対する市民の不信感を払拭するため、全人民的な愛国衛生運動が展開されました。
習氏になって集団指導体制から国家主席に権力が集中する傾向が強まり、テクノロジーによる市民監視体制も格段に強化されています。
ナチスのアドルフ・ヒトラーは1933年のドイツ国会議事堂放火事件を「共産主義者の仕業だ」と糾弾し、内閣に絶対的権限を与える全権委任法を成立させました。習氏は新型コロナウイルス危機を乗り越えたあと強権体制をさらに強固なものにしている恐れがあります。