イギリスのEU離脱が実現、メディアや国民の反応は? - 小林恭子
※この記事は2020年02月01日にBLOGOSで公開されたものです
1月31日、いよいよ、イギリスの欧州連合(EU)離脱が実現した。EUからの離脱をイギリスが決めたのは、2016年6月の国民投票によるが、あれからもう3年半が経つ。その間、首相が2回代わり、イギリス議会は空回りを続けた。
国民投票では離脱支持派と残留支持派が拮抗し、思いがけなく僅差で離脱派が勝つと、2つの勢力の対立が亀裂となって残った。しかし、昨年12月の総選挙で、「離脱を成し遂げる!」と繰り返した与党・保守党が圧勝したことで、離脱に向かう道筋がようやく見えてきた。
イギリスのEU離脱は「ブレグジット」(Britain+Exit=Brexit)と呼ばれてきたけれども、今後、この言葉は使われなくなるかもしれない。イギリスのいないEUは普通のことになってゆくのだから。
世界の不安をよそにイギリス国民はいたって冷静
「離脱したら、いったいどうなってしまうのだろう?」。日本を含む世界中の人が、ずいぶんと心配しているようだ。「経済が打撃を受けるだろうし、雇用にも負の影響がありそうだ」、「移民嫌いの人がいっぱいになって、息苦しくなるのでは?」、そして「右傾化している」、「ポピュリズムだ」、「内向き化している」という批判も多い。離脱後の通商交渉はこれから始まるので、ビジネス関係者は不満でいっぱいに違いない。しかし、イギリス国内は、ヘンリー王子とメーガン妃の事実上の「引退」宣言で大騒ぎしたものの、不思議と落ち着いた雰囲気に満ちている。「さあ、これから頑張るぞ」という静かな自信のような空気さえ、感じるのである。
その理由を見てみよう。
まず、ここにきて、国を真っ二つに割った離脱派と残留派との「対立が消えてきた」ことが主因だろう。
国民投票に向かうキャンペーンでは、当時の内閣(キャメロン政権)さえも2つに割れていた。キャメロン首相やオズボーン財務相は残留運動を率い、ゴーブ司法相や国民に人気が高く、閣議に出ていたジョンソン・ロンドン市長(現在の首相)は離脱運動を主導した。
熾烈なキャンペーンが続く中、投票日の1週間前に、残留支持だった労働党の女性議員が国粋主義的な男性に刺殺されるという事件まで起きた。
高齢者vs.若者、貧困層vs.富裕層…対立は国民の間に深い亀裂として残った
世論調査の多くが残留派、つまり現状維持派が勝つと予想しており、離脱派の勝利は青天の霹靂だった。「なぜ?」国民は知りたがった。
投票行動を有権者の年齢、居住地、所得、教育程度で分析してみると、大まかながら「高い教育を受け、都市部に住み、所得がある程度高く、比較的若い人」が残留を選ぶ傾向にあった一方で、「高等教育を受けず、イングランド地方北部の工業地帯に住み、所得が比較的低い、やや高齢の人」が離脱を選んだことがわかってきた。
ここで、離脱対残留の対立は、「高齢者対若者」、「所得の低い人対高い人」、「教育程度の低い人対高い人」、「ロンドンがある南部と工業地帯の北部」など、社会的対立となってゆく。
残留支持者は離脱支持者を自分たちより「低い」人として馬鹿にし、離脱支持者は残留支持者を「偉ぶったエリート層」、「庶民の暮らしがわからない人」として反発していく。
残留派は離脱派が「何も分からなくて、離脱に投票した」、だから「再度の国民投票があってしかるべきだ」と主張する。離脱派にしてみれば、「馬鹿にするな。ちゃんと分かっていて、投票したんだぞ」という怒りにつながっていく。
筆者は、視聴者参加型のテレビ番組をこの数年間、よく見てきたが、政治家やジャーナリストたちが「もう一度、国民投票を」と主張するたびに、会場内から怒りの声が上がった。
「決められない議会」に、残留派も嫌気
残留派の最たる存在が、下院議員であった。特に最大野党・労働党の下院議員である。労働党が拠点とするのが、イングランド地方北部の労働者層だ。この層の多くが離脱を支持。有権者は離脱を選択していても、「それでも、イギリスにとって残留が一番」と信じて疑わない議員が多かった。イギリスが世界に誇るのが、議会制民主主義だが、ブレグジットに関しては、この議会が「決められない」状態となった。キャメロン首相の後を継いだ、元残留派のメイ前首相。彼女がEUと交渉し、どうやって離脱するかを決める「離脱協定案」をまとめ、議会に採決に持っていったが、これが何度も下院で否決されてしまった。
保守党の中には、強硬離脱派がいて、「その条件ではまだEUとの関係が近すぎる」といって、なかなか支持を出さない。
一方の労働党議員らは、本音部分は離脱に反対だから、メイ首相の離脱案にゴーサインをださない。そして、2015年まで保守党と連立政権を組んでいた自由民主党は、親欧州。この政党は再度の国民投票を望んでいるので、メイ案には賛同できない。
スコットランド国民党(SNP)もメイ案には反対だ。なぜかというと、スコットランド地方は国民投票で残留派が多かった。イギリスが離脱となってはスコットランド住民の意思に反することになってしまうので、反対せざるを得ない。
それぞれの政党の様々な思惑が絡み合い、議会での審議は空転に空転を重ねた。メディアで連日報道される議会の迷走ぶりに、残留派の国民でさえ、「いい加減、どっちかに決めてくれ!」と叫びたくなるほどだった。
残留派が次々に落選、残酷だった昨年の総選挙
物事が動き出したのは、昨年12月12日に行われた総選挙の後だ。一つのメッセージが選挙を総括した。「ブレグジットを実現させよう(Get Brexit Done)」である。ジョンソン首相が繰り返したスローガンで、あまりにも同じことを繰り返すので、ジョークになるほどだった。「もう、ブレグジットはオーブンに入っているんだから」。今、焼いている途中だ、とでも言いたげだったジョンソン首相。メディアは失笑し、その様子をテレビで見た視聴者も笑った。
しかし、開票してみると、まさにこれが国民のメッセージだった。
労働党はブレグジットについては「中立」とし、もし政権が取れたら再度の国民投票そして残留も示唆したが、1930年代以来の大敗となった。拠点の選挙区(イングランド地方北部の工業地帯)は次々と保守党に奪われた。
「離脱自体を中止する」と確約した自民党も議席を減らし、党首自身が落選した。
「離脱を実現させる」ことを最優先し、「離脱強硬派」と言われたジョンソン首相がまとめた離脱協定案の可決を邪魔しようとした、保守党内の中道派議員らは「党籍はく奪」という痛い目にあった後、独立系として立候補したものの、こちらも次々と落選した。なんとも残酷な顛末となった。
ただし、国民投票で残留を選んだスコットランド地方では、残留支持のスコットランド国民党が議席を増やし、同じく残留を選択した北アイルランドでは、残留派の政党が初議席を獲得している。今後、別の意味の分裂がイギリスを席巻するかもしれない。
EU離脱後のイギリスのゆくえは?「手切れ金」は4兆円
離脱は、1月31日午後11時(日本時間の2月1日午前8時)に実現した。この時から12月末までが「移行期間」となり、イギリスとEUは通商交渉に入る。この移行期間は双方が合意すれば最長2年の延長が可能だが、ジョンソン首相は「延長しない」と繰り返し述べてきた。首相としては、EUから早期に完全離脱するため、移行期間内にEUとの自由貿易協定(FTA)を締結することを目指している。EUに支払う「手切れ金」ともいわれる清算金は最大300億ポンド(約4兆3000億円)に上ると言われている。
6月末が移行期間の延長についての判断期限となるが、もし延長しないとすると今後11か月で通商交渉を終了させる必要がある。
複数の専門家によれば、「必要最小限」の自由貿易協定、つまりモノの移動について協定を結ぶことはかろうじて可能ではないかという。
BBCの欧州特派員カトリン・アドラー記者は、この場合、英政府もEU側に譲歩する必要があるという(BBCラジオの「ブリーフィング・ルーム」、昨年12月19日配信)。例えば、必要最小限の自由貿易協定を結ぶと同時に、EUの環境、労働条件などの規定を離脱後も維持する、イギリスの漁業水域を今後もEUに開放すると確約するのである。英政府側は、移行期間終了と同時にイギリスが同時に管理する方針を示しており、交渉の行方は不透明だ。
長年イギリスに暮らす筆者が感じること
国民投票で離脱が決まってから、イギリスには「反移民感情の高まり」、「右傾化」、「内向き化」という批判が向けられてきた。しかし、イギリスは長年にわたって現在の英連邦諸国からたくさんの人々を移民として受け入れてきた。「保守的な国」かもしれないが、一連の批判は必ずしも当たっていないのではないかと筆者は常々思ってきた。
例えば、離脱に関連しての「反移民感情の高まり」の「移民」とは、2004年、東欧を中心とした10か国がEUに加盟した時、イギリスはアイルランドとともに人の流入に制限を設けなかったために、ポーランド、ハンガリーなどの国からやってきた人々が生活空間に一気に増えたことが原因だった。
この時、流入を段階的にすることによって、地域社会へのインパクトを抑えることできたのではないか、と筆者は思っている。当時の政府はこれをせず、市場の動きのままにした。
イギリスのEUからの離脱運動を主導した英国独立党(UKIP)の成長を追ってきた、ケント大学のマシュー・グッドウィン教授は、「自分たちのことを自分たちで決められること」をイギリスの国民(正確には離脱を支持した人は)が何よりも、重要視したと指摘する。
サンデー・タイムズ紙(1月12日付)に掲載された、同氏の論考記事の見出しは、「ブレグジットのイギリスで、私たちはかなり幸せだ」である。
今後、EUからの離脱で、国民は「不幸」に陥る可能性もある。しかし、例えば「離婚するべきかどうか」を議論する時期はもう過ぎた。そういう意味では、すっきりした。
統合の深化に向かうEUの主要加盟国とこれを嫌うイギリスではベクトルの方向が異なっており、いつかは離れ離れになっていたかもしれない。
「離婚」後、負の影響を回避するにはどうするか。新たな人生を踏み出すためにどうするのか。こうしたことを考える段階に、今、イギリスはいる。
独自の道を歩むこと自体を恐れてはいけないのではないだろうか。