「国の補助金が山をダメにする」 行政からの自立目指す林業家の挑戦 - 清水駿貴
※この記事は2020年01月23日にBLOGOSで公開されたものです
林業界は冬の時代を迎えている。
特集「農林水産業のミライ」では、“成長産業”とは程遠い林業界全体の現状を、『絶望の林業』(新泉社)の著者で森林ジャーナリストの田中淳夫さんに解説してもらった。
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では、現場はいまの林業をどう見ているのか――。そんな疑問を胸に、佐賀県神埼市脊振町で素材生産業を営む佐藤木材を訪れた。
同社は伐採後の下草刈りや植林などの作業を5年間、山の所有者から費用を受けずに行っている。本業は伐採や造材(伐採後、木を規格寸法に伐る作業)。本来、山の所有者(山主)が行う管理業務を社長の佐藤英さんが請け負うのは、林業という仕事の本質に、その作業を通じて気付かされた過去があるからだ。
40年以上林業と向き合ってきた佐藤さんの目には国の補助金制度や業界のあり方が、所有者の存在抜きで語られることで危機に瀕する山の姿が映る。それでも「希望はある」と語る佐藤さん。林業の現在、そして未来を聞いた。
「自分の代で林業を終わらせようかと思った」
佐藤木材の前身となる商店の創業は昭和初期まで遡る。当初は立木(山に生えている木)の伐採や搬出業がメインだった。昭和23年に素材生産業を開始。「丸政佐藤木材」として創業し、国有林や県有林などの伐採作業を請け負った。
現社長の佐藤さんは3代目だ。昭和50年代に「佐藤木材」と現在の社名に変更。個人所有山林の立木購入(伐採の権利を買うこと)にシフトし、九州県内の山で育林事業も同時にこなすようになった。平成18年に法人化。現在は伐採から製材、材木販売に加え、伝統構法による建築などもこなす。従業員は20~40代の若手を中心とした男女19人。NPO法人「森林(もり)をつくろう」とともに、森林や国産木材のPRにも力を入れている。
歴史を追うと順風満帆に思える同社だが、かつて佐藤さんは代々続く林業を自分の代で終わらせるつもりでいた。
人生をかけて育てた木なのに… 仲介業者が山主の3倍は儲けるという現実
幼い頃から、父の手伝いで山の作業を手伝っていた佐藤さんは「夏の下草刈りに冬の枝打ち、こんなきつい仕事に携わるものか」と高校卒業後、18歳で佐賀県を飛び出し、東京で就職した。しかし、2年後、所属していた会社の部署が解散に。それを機に大学に通い、卒業後、父の願いを汲み家業を継いだ。1970年代後半、佐藤さんが25歳のときだった。
「手伝いではなく、仕事としてしっかり向き合うと林業は楽しかった。一本一本に個性があり、材木を納めた相手にはすごく喜んでもらえますから」
しかし、山主から立木を購入することは困難を極めた。山主たちは、地元の仲買人には立木を売却するが、新参者の佐藤さんには売ってくれない。
そんな状況のなか、仲買人に依頼を受けて調査した山を、なんとか購入することができた。「ようやく山を購入することができた」。喜びを胸に山の木一本無駄にしないよう作業に汗を流す佐藤さんのもとに、高齢の山主が訪ねてきた。「あんたもプロとして作業するなら、この山のおおよその値段くらいわかるだろう?」
山主の質問に、佐藤さんは仲買人の受け取る手数料も加味した値段を伝えた。その答えに山主は怒りを爆発させる。山主が仲買人から受け取った金額は、佐藤さんが見積もりして仲買人に提示した金額の4分の1程度だった。
「間に入った仲介業者が大きな利益を取る一方、何十年も手塩にかけて木を育てた所有者が、その対価をきちんと手にすることができていない」。佐藤さんは現実を知ってショックを受けた。
それを機に佐藤さんは、山の所有者に適正な値段で直接売買することを目指して、土日も妻や子どもを連れて九州の山をめぐり、山主との交渉を続けた。だが、まだまだ体力もある所有者からは、「若造には売らん」とつっぱねられる日々が続いた。
「下草刈り5年タダでやります」 勢いで出た一言が林業にのめり込むきっかけに
ある日、偶然出会った福岡県の山主の山を見せてもらえることになった。「見積もりをしてくれ」と頼まれ、喜んで金額を提示した佐藤さんに山主は「もう少し値段をあげてくれないか」と応答。しかし、佐藤さんとしてもギリギリの額だった。「売っても、その後植林して管理していかにゃならんだろう」。山主の言葉に、「この値段でお願いします。その代わりに伐採した後に植林して、さらに下草刈りを5年します」と伝えた。勢いで出た言葉だった。
約束通り、佐藤さんは5年間、夏の炎天下での下草刈りに励んだ。最初は「本当に来たんか」と驚いていた山主も、佐藤さんが育林に励む姿に、3年目には「タダでという約束ではあったけれど、重労働。お金を払うよ」と申し出るように。それを断ると、代わりに他の山主を紹介してくれた。次第に周辺の山主と繋がりが増え、以来十数年その土地で仕事が続いたという。
佐藤さんは「その時に得た財産は山を育てるのはこんなに大変なのか、という実感。たった5年じゃ木は赤ん坊のようだけど、山を育てる苦しみや楽しさを身を持って知りました」
これまで山主たちが立木を売ってくれなかったのは、自分が商売・利益のことしか考えていなかったから。「木や山のためにこれからは努力しよう」と佐藤さんはあらたに決意し、「伐採した後も山の面倒を見ます」と口にし続けている。
山主が「木を買ってくれ」と頭を下げる社会をつくった国や業界への怒り
佐藤木材は従業員一丸となって木材の生産、加工、森林の管理に力を入れている。かつては相手にされなかった山の所有者とも信頼関係を築くことができた。おかげで佐藤さんが社長を継いで以降、仕事が途切れたことはない。
しかしいま、林業は冬の時代を迎えている。立木価格(原木)はヒノキ、スギ、マツともに1980年代をピークに下落。80年には立方メートルあたり42,947円だったヒノキは、2017年には同6,200円にまで価格が下がっている。
こういった状況を背景に、山主と伐採・素材生産業者の関係は逆転した。「本当におかしい事態です。何十年もかけて育てたものを伐らせてもらうには、伐採する側が誠意を持って山主に頭を下げてお願いするのが筋でしょう」と佐藤さんは力を込める。しかし、いまは「もう山はいらん。いくらでもいいから買ってほしい」と山主から言われるような時代になってしまった。佐藤さんは「国や我々業界の体制がそういった社会を生み出してしまった」とため息をつく。
国の補助金が山を傷つける 自滅ではなく自立のための支援を
山を所有する人が山のことを諦め、国や都道府県、市町村の補助金に頼るようになる。補助金が出るからと山主は努力をやめ、木1本の値段がいくらか把握していないような状況が生まれ、材木全体の価値がさらに下がる。悪循環だ。佐藤さんは「若い人や購買者に木への関心を抱かせる努力をせずに『なんとかしてほしい』と補助金に泣きつくのは怠慢」と憤る。
林業関連では国や都道府県などから植林、間伐、さらには主伐にまで補助金が交付される。2018年5月には森林経営管理法が成立し、19年には国民一人当たり1,000円の森林環境税が徴収されることが決まった。税金は森林環境譲与税として、採算の合わない森林管理を行うために、主に市町村に分配される。
佐藤さんは「林業を補助金漬けにすることが、山の健全化と言えるのか」と疑問を投げかける。
「『どうせ税金でなんとかなるから』と山主が山を放置して、責任感や義務感を失ってしまう。本来は自分たちの山を守り、『皆さん、材木を少しでも使ってください』『うちのはしっかり育てた優秀な材木なので、よそよりも少し高く買ってください』と訴えるのが山で働くと言うことです」
「補助金に頼るのは簡単かもしれないけれど、永遠には続かない。山の恵みや喜びまでなくしてしまう結果になりつつある。国や県の気持ちもわかるが、補助金で山に手を入れているつもりが、爪を立てて傷つけるという結果になっている。自滅ではなく自立のための補助金を目指して欲しい」
「林業が苦しい」と木工イベントでは絶対に言わない
佐藤さんは娘・和歌子さんが理事長を務めるNPO法人「森林をつくろう」とともに、15年前から業界内外の森林や木材に対する理解を深めるためのイベントを開催している。
全国の建築学科の大学生が対象の日本の伝統木造を使った設計コンペがメイン事業だ。家の設計に携わる人間であれば、木や山のことを知っていて欲しいという佐藤さんの想いが込められている。
昨年の3月と11月には参加者の大学生らを山に連れていき、伐採体験をさせた。最初はガチガチに緊張していた学生たちも、木が倒れる瞬間には喜びを爆発させる。佐藤さんはそんな学生たちに「その感動を忘れたらいかんばい。80年かけて育った木が倒れたわけやから、一番いい使い方をしてほしい。そういう思いで設計してくれ」と語りかける。
他にも一般市民を対象にした木工イベントや伐採体験などを行っている。取材中、山林に対する思いを何度も口にした佐藤さんだが、一般向けのイベントの際に参加者の前で語ることはない。
「なんでこんな催しをしているんだろう? と考えてくれたときに山に思いをはせてくれたらいい。山が荒れている、林業が苦しいと言う話を強引にしてもパフォーマンスとしか捉えられない。それよりも、イベントを楽しむなかで木や山の魅力を知ってもらえたら」
林業の危機に気づいてくれる日は必ず来る
仕事を通して、イベントを通して、佐藤さんはいま、希望を抱いている。
20代の若い人が佐藤木材のブログを読み、「山に貢献する仕事がしたい」と仕事を辞め入社を希望してくれる。
先日、海外からの来訪者に自社の木材を見せながら話していると「ぜひ取引がしたい」と依頼の相談を受けた。
イベントをすると参加者の小学生たちが「将来は山の中で働きたい」と笑顔を見せる。
NPOでは海外の気候環境が厳しい地域で、日本の伝統木造建築が通用するかという新しいプロジェクトが進行中だ。
「発想の転換をして、努力すれば山の魅力、林業の良さは必ず伝わる」。日々、木と向き合い挑戦を続ける佐藤さんはそう確信している。
「小さな会社の小さな挑戦かもしれない。結果が出るのは50年、100年先になるのかもしれない。それでも努力を続けることで、林業や山を取り巻く環境がいまのままじゃいけないということに、誰かが気づいてくれる日が必ず来ると私は信じています」