「女性天皇」「女系天皇」を本格的に議論すべき時期がきた~田原総一朗インタビュー - 田原総一朗
※この記事は2019年11月03日にBLOGOSで公開されたものです
天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が10月22日、皇居・宮殿で行われた。国内外から約2000人が参列し、即位を祝福したが、ジャーナリストの田原総一朗さんはこの儀式をどのようにみたのだろうか。【田野幸伸・亀松太郎】「平和」という言葉が繰り返された「おことば」
正殿の儀で、新しい天皇は「上皇陛下が30年以上にわたるご在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心をご自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し」と述べた。そして、自身も「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と続けた。
これは、上皇の姿勢をそのまま受け継いでいくという決意を示したものだ。上皇が天皇に在位した平成の30年間で、日本人の天皇に対する考え方は大きく変わった。新しい時代の天皇のあり方を示し、多くの国民に天皇に対する親しみを感じさせた。
大きな災害が起きると、上皇は被災地に積極的に赴いた。そして、上から目線ではなく、ひざまずいて被災者の目線で、その気持ちに寄り添おうとした。この姿勢は、戦前にはなかったものだ。
新天皇のお言葉には「平和」という言葉が3回も使われていた。その語り口は自然体で、好感がもてるものだった。
日本という国は「天皇」という存在を必要としてきた
日本の天皇というのは、不思議な存在だ。僕は高校時代から疑問に思っていた。世界の歴史をみると、ヨーロッパでも中国でも、権力者が武力で天下を統一すると、当然のように自分が頂点に立ったのに、日本ではそうではなかったからだ。日本初の武家政権を樹立した源頼朝は、武力で天下統一を果たして鎌倉幕府を開いたが、自分がトップになるのではなく、天皇という存在を自分の上に置いた。室町幕府の足利尊氏にしても、江戸幕府の徳川家康にしても、天皇から征夷大将軍という位を与えられるという形式を重んじた。
明治維新の際も、薩摩と長州の武士たちが江戸幕府を倒したが、当時16歳の少年だった明治天皇を君主として立てた。そのため、日本では、ヨーロッパや中国と違って「革命」は起きず、「維新」にとどまっている。
日本という国はずっと、統治のために天皇という存在を必要としてきた。
一番象徴的なのは、太平洋戦争の後、アメリカを中心とした連合国軍が日本に進駐してきたときだ。昭和天皇は連合国軍最高司令官のマッカーサーを訪問して、「戦争の責任は自分にある。全責任を負う」と表明したが、マッカーサーは昭和天皇の戦争責任を全く問わなかった。
代わりに、新しい憲法を作って、天皇を日本の象徴として、その地位を存続させた。ソ連を始めとする他国からは「天皇を裁判にかけろ」という要求があったが、マッカーサーはそれには従わず、天皇と共に日本を復興させるという道を選んだ。
マッカーサーも「日本人はなぜか天皇を必要としている」と考えたのだ。
マッカーサーの選択は、日本という国を統治する上でそのほうが望ましいと考えたからだが、国民の多くも天皇制を支持していた。終戦直後の1945年12月の世論調査では、天皇制の存続を支持する声が90%を超えた。
マッカーサーの判断によって、天皇の戦争責任が問われなかったことに対しては批判もある。しかし、昭和天皇は自分の責任を深く感じていたからこそ、皇太子(現上皇)に対して、平和の尊さを繰り返し伝えた。
それを受けて、上皇は沖縄やサイパンなどの激戦地を訪れて、犠牲者に対する鎮魂の意を表明し、ことあるごとに、世界の平和を願う気持ちを示し続けた。
さらに、国民主権となった日本国憲法のもとで、国民の目線でものごとを見ようと努めた。大災害のときには被災地に行き、避難所でひざをついて、自ら国民に寄り添っていく姿勢を示した。
上皇が「護憲」の姿勢を見せたことから、それを受け継ぐという新天皇に対して、保守よりもリベラルの人のほうが期待しているのではないか。
いまこそ議論すべき「女性天皇」「女系天皇」問題
ただ、今回の「即位礼正殿の儀」については、現在の憲法と整合しないという批判もある。儀式で使われた「高御座」(たかみくら)は、天皇が神と言われた時代のものを継承しているが、現在の象徴天皇制のもとではふさわしくない、と批判されている。国民の多くは今回の儀式を認めていると思うが、そのような批判が自由に言えることが重要だ。
天皇制をめぐってはもう一つ、大きな課題がある。それは、女性天皇・女系天皇の問題だ。
今回の儀式をみても、皇族に男性が少ないことは明らかだった。将来的には皇位継承者に男性がいなくなる可能性もありうる。そこで、天皇制を存続させていくためには、女性宮家の創設を本格的に議論すべきだ。
女性宮家を認めるということは「女性天皇」を認めるということである。つまり、女性天皇の可能性を正面から議論すべき時期がきている。あわせて、女系天皇についても前向きに検討すべきだろう。
明治時代より前には、女性天皇が8人いた。伝統を理由に女性天皇を認めないというのは、論理が通らない。
明治以後に女性天皇が認められなくなったのは、天皇が陸海軍のトップである大元帥の地位も兼ねていたからだ。当時は女性が軍役につけなかったので、女性天皇も認められないという事情があった。
しかし、現在では自衛隊にも女性がいる。また、戦前は男女の権利に格差があったが、戦後の憲法では「男女同権」が認められている。女性天皇を排除する理由はないはずだ。