「まだ悲しいかわからない」焼失して初めて気づく歴史的建造物以上の存在だった『首里城』 - 島村優

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※この記事は2019年11月01日にBLOGOSで公開されたものです

10月31日未明から大規模な火災が発生し、正殿や北殿、南殿など主要な建物が計7棟全焼した沖縄県那覇市の首里城。火の勢いは激しく、那覇市内の港周辺にあるビルからも炎が上がるのが見えたと話す住民もいた。火災当時は南向きの風が吹いており、煙や木が焦げる臭いが首里城から2~3km離れた与儀や繁多川といった地域にまで届いていたとする証言もあった。

沖縄のシンボルとも言える首里城の焼失が人々に与える衝撃は大きく、テレビやラジオをつけても、地元の人と話してもこの話題で持ちきりだった。一夜明けた1日、休園となった首里城公園に足を運ぶと、マスコミ関係者が50人近く詰めかけ、観光客で賑わう普段とは異なる光景が広がっていた。

知らずに訪れる外国人観光客も

公園付近で立ち入り禁止エリアの入口を管理するスタッフは「こんなに多くのマスコミの人が来たのは初めてじゃないか。注目が集まったのが悲しい出来事でなんとも言えないね」と話す。

この男性によると、火災について知らない外国人観光客が多く、「今日は休みですか?」「何かあったんですか?」といった問い合わせが少なくないという。また、沖縄旅行があらかじめ決まっていて、首里城観光が旅程に組み込まれているツアーのような場合、二千円札の図柄としてよく知られた守礼門まで足を運ぶ人もいるようだ。

地元の人も首里城の姿を確かめに

守礼門の先、沖縄県立芸術大学へ抜ける道は1日現在も人および車の通行ができない状態。火災現場の方向へは消火栓からホースが繋がれたままなっており、テレビを通じ全国に届けられた大規模な火災がまさにこの場所で起こっていたことを感じさせた。

北殿を見上げる位置関係になる県立芸術大学の入口周辺には、観光客だけでなく地元の人も集まっていた。多くの人はテレビで建物の現状を知りながらも、「自分の目でどうなってるか見たいと思って」と話す人が目立った。

地元住民からは「悲しい」「ショック」といった言葉が口々に聞かれる一方、まだはっきりとした言葉で表現できない感情を抱いている様子の人もいるようだった。

首里城から歩いてすぐの場所に住む高齢の女性は「悲しい…と言うのかはわからないですけど」と切り出し、次のように話してくれた。

ニュースで首里城が焼けるのを見て、今日初めて実際の姿を見に来ました。一昨日まであったものが今はこんな姿になっていて、言葉にできません。首里城を再建する時には、県民が瓦を寄付したんですけど、私が贈った瓦はどうなったかなと見に来たら、こんな風になってしまっていて…。

歴史的な建物である以上に、生活の一部

首里城の南側全体を望む龍潭池付近では、地元の人や観光客が代わる代わる訪れ、首里城の変わり果てた姿を見上げていた。

この近辺の散歩が日課だという高齢の夫婦は、首里城の火災と一帯の通行禁止は自分たちの生活に直接関わると嘆く。

首里城は歴史的な建物である以上に、私たちにとっては毎日周りを歩く場所なんです。それがこんな火事でねえ。大変なことです。

また、首里城の近くで店舗を営む女性は「間近に迫っていた首里城祭が行われなくなって寂しい。毎年、多くの人と交流できる貴重な場だったので」と話す。実際、多くの首里城祭のポスターが貼られたまま残されていた。

焼失して気づく首里城の大きさ

取材を通じて話を聞けば聞くほど、どの人も首里城に対する自分なりの思い入れを持っていることが窺える。

あるタクシー運転手は「沖縄の人で首里城に行ったことある人ってそう多くない」「だから個人的に何か影響があるとは思わない」と現地の事情を明かしつつ、「…まあ、それでもなくなってしまうのは寂しいし、ショックな人も多いでしょう。何かしら首里城での記憶ってあるから」と話していた。

SNS上でも日本中から多くの悲しみのコメントや励ましの声が上がっていたが、首里城とは沖縄に関わったことがある人であれば一つくらいは個人的な体験や思い出がある、そんな場所なのかもしれない。普段は頭の片隅になくても、火災で焼失して初めて思い起こされる自分にとっての「首里城」。

そうした思いが集まった、沖縄県民の、そして沖縄に関わったことのある人が思い浮かべるシンボルなだけに失ったショックの大きさは計り知れない。ただ、今後のことや復元については現時点では不透明ながら、話を聞いた人は一様にまたいつか首里城が復活することを願っているようだった。