天皇陛下はお笑い芸人がお好きに違いない - 毒蝮三太夫

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※この記事は2019年01月10日にBLOGOSで公開されたものです

毒蝮三太夫だ。縁あってこの場であれこれ言わせてもらうことになったよ。俺はいま82歳。今年3月には83歳になる。これを読んでいる方の中にはさ、「おいおい80過ぎのジジイが今さら何を言ってやがんだ、老害だ老害」なんて、最初(はな)っから聞く耳持たない人もいるかもしれない。

でもね、今の80代はギリギリだけど「戦争」を生身で知ってるんだ。

終戦を迎えた昭和20年8月15日、俺は9歳のガキだった。あの日の空気を吸って、陽ざしを浴びて、腹すかせて、夢中でめし食って、兵隊で出征していた二人の兄貴の帰りを待ちわびてさ、あの頃の日本を生きてきたんだ。

だからさ、戦争が終わってから生まれて育った世代にはない「体験」とか「実感」ってやつを、この体の中に残してる。これは俺にとって切り離しようのない財産だ。ただ単に年をとっただけのジジイじゃない。そう思いながら、あれこれ言わせてもらうからさ。よかったら付きあってくれよ。

昭和の終わりはめでたくなかった

平成という時代がいよいよ終わるね。世間には「平成最後の」という言い方があちこちに飛び交ってる。そこで思い出すのは、平成の始まり、平成元年(1989年)1月8日だ。

あのときの日本は決しておめでたくは無かったよ。何しろ、昭和63年の秋に昭和天皇がご体調を崩され、そこからは全国に自粛ムードがみるみる広がっていったからね。

地域のお祭りやイベント、学校の運動会や文化祭も次々に中止。花火なんかみんな引っ込めちゃった。

印象的だったのは、車のテレビCMで井上陽水さんが「みなさんお元気ですか?」っていうセリフがまずいってことになって、急きょ声を消したんだよな。

それから年末になって忘年会もクリスマスもお正月も新年会も、そこで騒ぐことが「不敬」だ「不謹慎」だって雰囲気になってね。何事も控えめにおとなしく、世の中が淡々と静かに暗くなっていったんだよな。

とくに「笑う」ってことは、真っ先に世間の片隅に追いやられていったよ。笑いがからむテレビ番組もイベントも、別のものに差し替えられてさ。芸人の仕事はキャンセル続き。

当時売れっ子で、年始には欠かせない太神楽の海老一染之助染太郎さんなんか「おめでとーございます!いつもより余計にまわしてます~!」なんて、とてもじゃないけど言えなかった。十八番の曲芸で傘を回せないから、首も回らなくなっちゃった…。

俺もラジオ(「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」TBSラジオ)を毎日やってたけど、番組スタッフから「時節柄なにを言われるかわかりませんので、あまり盛りあげないでください」って釘刺されたよ。この仕事やってて「盛りあげないでくれ」なんて初めて言われたよ。

そして昭和64年になって、1月7日に昭和天皇が崩御され、国じゅうが喪に服してね。日本全体が沈んだな。街中のネオンが消えて、スピーカーから流れる音楽も宣伝も消えて、車通りも減って、新宿の街なんかシーンとしてさ、電車の走る音だけが響いてたよ。

ピンクとかさ、派手な色の服は不謹慎だから着るもんじゃないとかもあってね。林家ぺーなんか着る服がなくてしばらく外出できなかったらしいよ(苦笑)。

俺のラジオもさ、一週間なくなったよ。そりゃあ放送できないよな。ジジイババアに「このくたばり損ない!死ぬのを忘れちゃたんじゃないのか!」なんて毒舌で笑わせるのが持ち味なんだから。

今だから言えるけど、俺はラジオが休みになったから、カミさんと伊豆方面にドライブに行ったんだ。そしたらさ、道が空いてる空いてる(苦笑)。ドライブは楽しかったけど、それも表立って楽しいとは言えなかったな。

陛下崩御の前後半年ぐらいかな、そういう状態だったから、お笑い芸人は仕事がなくて干上がってたよ。面白くて笑わせる芸人ほど不謹慎。逆に笑いの少ない地味な芸人のほうが重宝されたりしてな。いずれにしても芸人はみんな「仕事がない」って、うなだれてたよ。

新元号となる「平成」を、官房長官だった小渕恵三さんが発表したのが1月7日の午後。だけど、世の中は喪に服してるから新元号を祝うようなムードにならなかった。「昭和が終わった」という現実が大きくて「本当にこれから平成なのか?」と、新元号に気持ちが追いつかず、どこか地に足のつかない感じだったな。

あのとき日本がそういう雰囲気に覆われたってことを、平成の天皇陛下は誰よりもご存知なんだ。だから今回の生前退位という英断は、ご高齢による公務への不安が大きな理由として伝わってきてたけど、そこに相まってのお考えがあったんだろうな。

生前退位なら国は暗くならない

それはさ、一代一元号で元号が変わると、どうしても国じゅうが沈んだムードの中で新元号を始めることになる。そういう停滞した時間を作ってはいけない、国にとって好ましいことではない、そうお考えになったんじゃないか?

生前退位でお元気なうちに皇位継承となれば、「陛下お疲れ様でした、新天皇おめでとうございます、新元号を高らかに掲げましょう」という祝賀ムードになるからね。これは国民全体にとって大きなプラスだもんな。

そしてね、芸人はホントに助けられたよ。自粛自粛で仕事がなくなった苦しみを経験しているベテランならわかるよな。平成になるときの日本の空気を知らない若い芸人も、この生前退位による効果がどういうものか、思い巡らしてみるといいよ。

たぶん陛下はお笑い芸人が好きなんだよ。落語も漫才も好きだと思う。国民に笑いをふりまく彼らを、また路頭に迷わせちゃいけないって思ったんだな。

とはいえ宮中で侍従長に向かってさ、「芸人の仕事が消えないよう、私は生前退位したほうがいいでしょう」なんて言えないだろ。そこを言葉にはしないよ。ま、それを俺は察したって話だな。ガハハハ、ちょっと口がすべったかな(笑)。

あ、そうそう俺ね、「紀元節」ってのを覚えてるよ。1948年にGHQによって廃止されるまで、2月11日は紀元節で祝日だった。神武天皇から数えて二千六百年っていうね。ガキの頃さ、2月11日に都電に乗っててね、日比谷のお堀端だったよ。そこで「宮城(きゅうじょう)に向かって礼拝!」って号令がかかってね。都電は走ったままで乗ってる客はみんな皇居に向かって黙礼だよ。それが当たり前だったんだ。

そういう時代があって、昭和があって、平成があって、皇室の在り方が少しずつ変わっていって、陛下がご自身のお考えを抱いて、そして今年、生前退位をされるってことなんだな。

(取材構成:松田健次)