「結婚しよう」と言うが、具体的な話はしない彼。すると平日の昼間、バッタリ遭遇してしまった恋人が…
恋に落ちると、理性や常識を失ってしまう。
盲目状態になると、人はときに信じられない行動に出てしまうものなのだ。
だからあなたもどうか、引っ掛かることのないように…。
恋に狂った彼らのトラップに。
▶前回：「実家に出戻るから別れよう」と言う彼女を追って、新幹線に飛び乗った男。車内で見てしまったモノとは
「ねえ真紀。来年あたりさ、結婚しようか」
ベッドに寝転んでこちらを見つめていた光彦が、そう甘く囁いた。と同時に、私の頬へ優しくキスをしてくる。
付き合って2年になる彼は、32歳の若き社長。WEBメディアを持つベンチャー企業を経営している。私はその会社で、光彦とともに連載を執筆している28歳のライターだ。
「じゃあ残りの仕事、片付けてくる」
カルティエの腕時計をチラリと見た光彦は、ベッドサイドに散らばった服を手に取り、身に着け始める。
「…頑張ってね」
バタン、と鈍い音を立ててマンションのドアが閉まると、一気に寂しさが襲ってきた。
7年間、恋愛記事を中心に何本もヒット企画を手掛けてきた私。読者からは「恋愛マスター」と呼ばれ、相談のコメントやメールは後をたたない。
だが実際の私は、自分の恋愛に悩んでばかりだ。多忙を極める光彦とは平日の夜しか会うことができず、喧嘩も多かった。
最近、彼から「結婚しよう」という言葉が出るものの、それ以上の具体的な話は出てこない。
本当に、私と結婚したいと思っているのだろうか。不安な気持ちを振り払うようにTwitterを開くと、私の記事を引用して絶賛する1件の投稿が目に入った。
『真実の愛について書かれている、素晴らしい記事ですね』
その投稿には、1,000件以上のいいねがついていた。私はおそるおそる、投稿主の胸元だけが写ったアイコンをタップする。
「モンゴルMICHIYO？誰、これ…」
…このTwitterアカウントとの出会いが、私の人生を狂わせたのだ。
真紀の人生が狂わされたワケとは…
愛を語る女
モンゴルMICHIYOには、10万人以上のフォロワーがいた。彼女は毎日“愛される女”にまつわる名言をツイートしているようだ。
『愛されたいと願うほど、愛は遠のいていく。愛を他人に求めてはいけない。愛は自分から湧き出てくるものだから』
最新のツイートは、そんな名言とともに１枚の写真が投稿されていた。帝国ホテルからの夜景をバックに、真っ赤なバラとシャンパンが写っている。
「なにこれ、素敵…」
こうして私は、一瞬にして彼女のツイートの虜になったのだ。
そのほかにも、カルティエのタンクにエルメスのバーキン。さらにはルブタンのソーケイト…。たくさんのブランド品がアップされている。投稿には多くのいいねと賞賛のコメントが並んでいた。
彼女はコスメ関連の会社を経営していて、同じく経営者の彼氏と南青山の高級マンションに住んでいるという。
「引用ありがとうございます、っと…」
MICHIYOの投稿に感謝のコメントを残すと、すぐに彼女から返信がきた。
『あなたが紡ぐ愛に期待します モンゴルMICHIYO 拝』
それからというもの、私は何かあるたびに彼女のツイートをチェックするようになった。さらには光彦との関係に悩み、MICHIYOへ匿名の恋愛相談を送るようにもなったのだ。
『待てる女こそが、恋愛勝者になれるのです』
『いい男＝女をキャリアアップさせてくれる男。その方はあなたのことを愛していますよ』
前向きなメッセージに、何度も別れを踏みとどまった私。彼女からの言葉は、次第に “モテ女の極意”の連載内容にも反映されていくことになる。
MICHIYOの存在自体が、私の心の支えになっていったのだ。
そして私は、ついに彼女への取材記事を作ろうと思い立つ。Twitterのダイレクトメッセージから取材を申し込み、一度は了承を得られたはずだった。
…しかし。話を進めていくうちに、突如として彼女のアカウントが削除されてしまったのだ。
それでも彼女に会うという夢を諦められなかった私は、数日かけてMICHIYOに関する情報を集めた。そして彼女を特定することに成功したのだ。
基礎化粧品を販売する「株式会社Beauty Mongol」という企業を見つけ、その代表者として“高橋美千代”という人物の名前が記載されているのを確認した。
さらに彼女が過去に受けていたインタビューを読みこむと、MICHIYOと符合する点がいくつもあったのだ。2人が同一人物であるという確信が深まっていく。
「絶対、この人がMICHIYOだわ…！」
その後、広報に問い合わせるとすんなり取材OKの返事が届き、彼女の会社へと向かった。
場所は高級マンションの一室。大理石のテーブルとアンティークの椅子が並べられた、オシャレな部屋だった。
「すごい素敵なオフィス…。えっと、設立年はいつだったっけ」
スマホを取り出し、検索画面を立ち上げる。するとニュースサイトのトップに、ある記事を見つけた。
『ネットで話題の女、詐欺容疑で逮捕。SNSで“モンゴルMICHIYO”と名乗り、結婚詐欺を働いていたか』
記事のタイトルを見た瞬間、スマホを握っていた手が震えだす。私は取材先のオフィスにいることも忘れて、1人つぶやいていた。
「えっ、どういうこと？じゃあ、今から私が会うのって…」
そのとき、目の前のドアが開いた。
取材先のオフィスで、真紀が知った“ある事実”とは
「はじめまして。高橋美千代です」
黒のタイトワンピースにルブタンのハイヒールを履いている彼女の美しさに、思わず息を呑む。腕にはカルティエのタンクが光っていた。
慌ててスマホをしまい、混乱した頭のまま名刺を交換する。
「あ、あの…。本日は取材をご快諾くださりありがとうございます」
「今日は会社の設立ストーリーについて、お話しすればよろしいんでしたよね。…あと、企画書には“モテるコツについて”とありましたが、なぜ私に？今まで考えたこともなかったものですから」
「実は…。高橋さんが“モンゴルMICHIYO”というアカウント名で、恋愛に関するツイートをされているのではと、勝手に思っておりまして」
その言葉に、目の前の美千代は怪訝な表情を浮かべている。
「ツイートって、なんのことでしょう？」
「つい先ほどのニュースなのですが…。本当に失礼な勘違いで申し訳ありません」
私は頭を下げながら、結婚詐欺に関するニュース記事を見せる。
そこにはMICHIYOが結婚詐欺によって、大金を手に入れていたこと。そしてそのお金でブランド品などを購入していたことが記載されていた。
コスメ関連の会社を経営しているという経歴も真っ赤な嘘で、彼女は無職だったようだ。
私の大きな勘違いに、てっきり美千代は怒り出すと思っていた。しかし食い入るようにスマホの画面を見つめたあと「…花子ちゃん」とつぶやいたのだ。
「えっ？」
「前から、私のなりすましアカウントがあるという噂を聞いていました。ほら、ここに名前が…」
記事をよく読むと、そこにはモンゴルMICHIYO（本名：八神花子）と書かれている。
「…ここに書かれている八神花子さんとは、どういうご関係で？」
「高校時代のクラスメイトです。話したことは数回くらいしかないですけど。顔や姿を変えて、危ない仕事をしたり…。派手な生活をしていると、同級生から聞いたことがあります。
休み時間はいつも本ばかり読んでいる、おとなしい子だったんですけどね」
すでに報道されている、八神花子の顔写真に視線を落とす。おそらく高校時代のものと思われる、卒業アルバムの写真だ。
「ああ。これ、昔の花子ちゃんですね。右隣にいるのが私です」
モザイクがかかっていても美人だとわかる美千代。その隣で、美千代から顔を背けるようにして写る、八神花子の姿があった。
それは写真から目を離したらすぐに忘れてしまいそうなくらい、印象の薄い顔だった。
◆
取材後、私は放心状態で南青山の喫茶店に入り、テラス席でコーヒーを飲んでいた。
― モンゴルMICHIYOが結婚詐欺師だったなんて…。私は2年間も偽物を見抜けずに、連載を続けてきたんだ。私へのアドバイスも全部デタラメだったのかも。
全身の力が抜け、一気に疲労感が襲ってきたそのとき。窓の外から聞き慣れた声がした。
「ねえパパ、明日はどこに行くの？」
「そうだな〜。じゃあ、明日はお花見に行こう。お父さんがサンドイッチを作ってあげるよ」
振り向くと、そこには妻子と思われる2人と並んで歩く、光彦の姿があったのだ。
「嘘、でしょ…」
今まで見たことがないほど、優しい表情をした光彦。私はフラフラとした足取りで、彼のもとへと駆け寄った。
「光彦…！」
私の声にゆっくり振り返った彼は、ひきつった笑顔を浮かべながら、こう言った。
「斉藤さん、こんばんは。仕事終わり？」
私は我慢ならず、周囲に人がいるのも気にせず大声で叫んだ。
「光彦…。あなたも詐欺師だったんだね！」
「えっ、何を言ってるの？斉藤さん」
「『結婚したら、お財布が一緒になるから』って言って、原稿料なんてちっとも払ってくれなかったよね？私が稼いだお金、一体どこにいったの？」
そして私は、光彦の左腕で輝くカルティエの時計をジッと見つめるのだった。
▶前回：「実家に出戻るから別れよう」と言う彼女を追って、新幹線に飛び乗った男。車内で見てしまったモノとは
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