死の間際まで更新されたSNS。女が最愛の人に伝えたかったこととは
見栄と承認欲求で作りあげられたインターネットの世界。
ここでは誰もが『なりたい自分』になれる。
ハイブランドで全身を包み、華やかな日々をSNSに公開していた謎の女・カレン。
そんな彼女が、突然、この世を去った――
死によって炙り出される『彼女の本当の姿』とは…？
◆これまでのあらすじ
突然この世から去った謎の女・カレン。彼女の形見分けを遺族から頼まれた玲香は、カレンの死の真相を探り出す。
▶前回：派手女がひた隠しにしていた残酷な真実。「パトロンを何人もはべらせている」という噂の裏側には…
Chapter.12 彼女が伝えたかったこと
玲香はカレンこと中田房子が長距離選手時代所属していた山梨の三石酒造本社を訪れていた。
郊外に広大な敷地を擁するその場所は、本社社屋のそばにグラウンドが完備されている。
夕方のこの時間は仕事を終えた駅伝部員たちが各々トレーニングをしている姿があった。
そのなかには現在コーチとして部に携わっている坂巻ひろみも見える。
玲香は応接室の窓からその様子を眺めていた。
広告モデルの売り込みという名目で祖父の為治を通じて連絡すると、現在、三石酒造の取締役を務める三石真吾との約束をすんなりと取り付けることができた。
「ご無沙汰しております。駅伝にご興味あるんですか？」
知らぬ間に入室していた真吾。玲香ははっとして振り向く。
「そういうわけでは…箱根駅伝もほぼ見たことないので」
「玲香さんは慶応の看護医療でしたか。慶応は学連選抜でたまに出るくらいですからね」
8年ほど前のお見合い以来なのによく覚えているなと玲香は感心する。
細身だった彼の体型は、今では程よく筋肉もつき、だいぶがっしりとしていた。そして、律義で義理堅い面にも、その時には感じなかった魅力をおぼえる。
真面目で、朗らかな雰囲気にあふれている彼。カレンが惹かれ、愛を育んだ理由もわかる。
真吾に促され、玲香はソファで彼と対峙した。じっと見つめ、鞄に手をかける。
「実は今日、貴方にお伝えしたいことがあって参りました」
カレンの最愛の人へ…玲香が伝えた衝撃の事実
玲香は真吾に、カレンのガラケー画面を差し出す。
「これは…」
「あなたが送ったんですよね？」
その中で保存されていた『いつか、またどこかであえたら』という文面。それを見た彼は渋い顔でぽつりと言った。
「…いくら欲しいんですか？」
玲香は絶句する。自分の華美な見た目が、口止め料を要求されていると真吾に感じさせたのだろうか。
だが、その言葉で、玲香はカレンの資産の出どころを確信した。
「やっぱり、関係はあったんですね」
「結婚前のことです。彼女には十分なものを与え、納得していただいたはずです」
「お互い、納得していましたか？」
真吾は黙った。その横顔にはいまだ断ち切れないカレンへの想いと動揺が現れている。
やはり彼とカレンの恋は、本人たちの想いとは裏腹に、家族の反対によって引き裂かれていたのだ。
「実は私、彼女からの言伝があってここにきました」
「房子が東京で楽しんでいることは知っています。会社のアカウントでSNSを見ていると時折目に留まりますよ。カレンと名乗っているのは驚きでしたが」
吐き捨てる真吾を見て、玲香は自分が形見分けに指名された本当の理由をかみしめた。
そして、間をおき、はっきりと告げた。
「房子さんはがんで亡くなりました。去年の10月に」
「え…」
真吾は呆然とする。「そんなはずは」と口元が小刻みに動いているように見える。
彼が動揺するのも無理はない。
カレンはInstagramの投稿に三石酒造の製品のハッシュタグをつけ、自分の現在地を彼の目に触れるようにしていたのだから。
＜ねぇ、今の私を見て…。私はとても幸せなの＞
病気で衰える自分を化粧と加工で隠しながらも、カレンは笑顔でそう発信する必要があったのだ。
たったひとりの記憶に、輝く自分の存在を焼き付けるために。
「最近、投稿がないと感じていたが…」
「彼女は安らかな最期を迎えられたようです」
カレンは、自分がこの世から去ったあと、真吾との関係を誰にも知られることなく、彼だけに自分の訃報を伝える術として、家同士の繋がりを耳にしていた玲香に一縷の望みをかけたのだ。
玲香に自分の死を伝えていれば、いつかは、真吾に届くと…。
「これ、カレンさんの形見です。御社の製品ですが、カレンさんはとても大切にしていたようでした」
彼女について、知りうる限りのことを話した後、玲香は2015年の生産の可憐煌房のワインとブシュロンのリングを彼に渡した。
真吾は女性の身体を確かめるようにその瓶を撫で、そして見つめ合うように向き合った。
玲香は彼の想いの深さを感じた。
「…ありがとう。幸せだったなら、なによりだ」
しばらくの沈黙の後、差し伸べられた手を玲香は握りかえした。
「今のご家族と、会社を大切にしてください」
真吾が諦めたような微笑みを浮かべる。
やはり、カレンが保存していたメールが当時の本心で、どこかで彼女とまた一緒になりたいと考えていたのだろう。
だからこそ、彼女がこの世を去ったことを少しでも早く彼に知らせなければならないと思ったのだ。
玲香は頭を下げ、そっと部屋を去った。
閉めた扉の奥からは、低い声の嗚咽が聞こえた。
カレンと真吾の愛の深さを思い知った玲香は、東京に戻りながら…
帰りの特急電車の中で、玲香はカレンのことをずっと考えていた。
自分のような一部の人間から表層的に疎まれてはいたものの、深く関わった人々すべてに尊敬され、愛され、精一杯、尽きるまでその命を燃やしたカレン―。
改めて彼女のInstagramを見ると、彼女は輝いて見えた。
生きている喜び、嬉しさがキラキラと溢れ出ているのだ。
「それに比べて、私は…」
玲香は、自分の浅はかさを自覚している。だからこそ、SNS、肩書、身なり、周囲の人脈を彩って生きてきた。
カレンの遺品はどれも質やデザインも超一流のもの。決してブランド名だけで収集されたのではないことがうかがえる。
セラーの中のワインも、どれもが本当に美味しかった。聞きかじりの知識しかない自分が、訳知り顔で飲んでしまったことを申し訳なく感じる。
環境に甘え、適当に生きている薄っぺらな自分。こんな女、当然誰からも愛されない。
形見分けが進まなかったのはカレンのせいじゃなく、自分に人望がなかったからだ。
むしろ、私の方が嫌われ者だった…。
遠くに新宿のビル街が見えてきたところで、玲香は思い立ったように、スマホを取り出す。そしてある人物に連絡を取った。
◆
「―別れて、ほしい？」
「ええ。加賀さんからは言いづらかったでしょう」
次の休日。昼下がりのカフェ。
玲香の言葉に加賀は納得したようにゆっくりと口を開いた。
「…ごめん、会えなくて辛い思いをさせたと思う」
彼の心が自分から離れていることはわかっていたが、目を逸らしていた。しかし、カレンと真吾、そして森の深い愛を目の当たりにしてわかったのだ。
自分が執着していたのは、結局、彼の見た目の良さとステイタス、つまり上辺だけだったということに。
「父には私から言っておくから…」
加賀は「ありがとう」と静かにほほ笑む。その安心したような顔が寂しくて、最後に少し意地悪が出てしまう。
「あと、彼女さんには新しいお財布買ってあげて。お古なんてかわいそう」
どこか焦る顔を見て、喫茶店で見かけた女性が恋人であることを確信した。
玲香は去りながら彼らの幸せを祈る。それは間違いなく本心だ。
そのとき、ずっとモヤモヤしていた胸の内が澄んだように晴れていることに気がついたのだった。
恋人とも決別した玲香が歩みだした、新しい道とは
残った遺品は、一部を換金し、残りは父親が勤務する病院で活動しているボランティア団体に寄付することにした。
父の病院はメイクセラピーやファッションセラピーなどの心理療法や緩和ケアにも力を入れている。
カレンの持っていたファッションアイテムやジュエリーがそれらの役に立つと思ったのだ。
そのことを申し出ると、寄付先の団体で代表を務める精神科の医師が、「活動をご一緒しませんか」と玲香に提案してくれた。
綺麗な自分でいると、モチベーションが上がる。それを人に見てもらうことでもまた、心が豊かになる。
自分自身も落ち込んだときに、美しいものに身をまとったことで気分が高まった。
カレンが一時快方に向かったことがあったのも、そんな心理的な豊かさの影響であろうと森も言っていた。
玲香は、ボランティア団体からの申し出を受け入れることにした。
これまで何となく美容皮膚科の看護師をしてきたが、活動に参加すれば、自分のコスメや美容の知識だけでなく、その経験も役立てられるのではないかと考えたのだ。
ワクワクするような使命感にかられるのは生まれて初めてだ。
そうと決めたら、臨床心理士の資格取得を考え始めた自分がいた。
カレンが輝きの中で旅立っていったように、病が目の前に立ちはだかったとしても前向きになれるよう、ひとりひとりの患者さんに向き合い、寄り添っていきたいという思いが芽生えたのだ。
◆
1年後―。
「これで、ひとまず終わりか…」
玲香は資格を取得するため、大学院への進学を決めた。
無事に合格し、進学を機に勤務していた青山の美容クリニックは退職することにした。
送別会の後、玲香は勤務先近くにあるカレンのマンションがあった場所を通りかかる。足を止め、あの部屋に居座っていた時期を思い出しながら、遠い夜空を見上げた。
― たった1年前だけど、すごく昔のことみたい…。
遺品をすべて整理したあと、カレンの妹・明奈に形見分けが終わったという電話をした時のことを思い出す。
勝手にカレンの過去や人間関係を探り、山梨でカレンと関係があった人にも形見分けを行った旨を謝罪したところ、明奈は意味深に
「ありがとうございます」
と、ただ一言つぶやいた。
多くは語らなかったが、どこかホッとしたようなその明るい声が忘れられない。
カレンは改めて、多くの人に心から愛されていたのだと実感した。
玲香はモデル事務所も退所し、思えばSNSを開く機会も少なくなっている。
毎日が充実しているからか、今は他人と自分を比較したり、他人のプライベートを詮索したりする気はまったく起きない。
素敵な人を見たら、素直に素敵だと思えている自分に玲香はびっくりしていた。
― カレンは、死んだ心を持っていた私を生き返らせてくれた…。
なぜだろう、あの部屋から見下ろした都会の夜景よりも、今、見上げた星のきらめきの方が玲香の目には鮮やかに見えているのだった。
Fin.
▶前回：派手女がひた隠しにしていた残酷な真実。「パトロンを何人もはべらせている」という噂の裏側には…
▶1話目はこちら：画像加工とブランドに彩られた、SNS女王の哀れな最期
