育児で疲れた妻の隣で爆睡する夫。我慢の限界に達した妻は…
結婚3年目の夫婦に、待望の第一子が誕生。
これから始まる幸せな生活に心を躍らせたのも束の間―。
ささいなことから2人の愛情にひびが入り始める。
すれ違いが続き、急速に冷え込んでいく夫婦仲。
結婚生活最大の危機を、2人は乗り越えられるのか？
◆これまでのあらすじ
待望の第一子が誕生し、幸せいっぱいの昌也と彩佳。無事に退院し、娘の結衣と生活を始めた彩佳は、昌也の行動に何となくモヤモヤしてしまったが…。
「もう起きちゃったの…」
退院後、初の土曜日。
結衣の泣き声で目を覚ました彩佳は、思わず心の声をもらした。
時刻は6時。
30分前に結衣を寝かしつけて、彩佳もウトウトしていたところだった。
「勘弁してよ。ママが泣きたいよ…」
結衣を抱きながら、目から涙があふれ出る。
その時。ゆっくりと寝室のドアが開いた。
「彩佳、大丈夫？俺、起きたら面倒みるから。もう少し待ってて」
― 昌也…！
夫が、救世主のように現れたのだ。彼の申し出で、真っ暗だった世界が一瞬にして明るくなる。
そして彩佳の脳裏には、かつて自分が風邪で寝込んだ時のことが思い出された。
あの時彼は、甲斐甲斐しく彩佳の世話をしてくれたのだ。
レトルトとはいえお粥を用意し、氷枕やシーツをまめに交換し、身体を軽く拭くなど。
正直なところ、昌也はこういう気遣いができるタイプではないと彩佳は思っていた。
だからやればできるんだと、良い意味で期待を裏切られたし、感動した。
出産までにも昌也はあれこれ熱心に勉強していたようだから、きっと結衣の世話の仕方も勉強済みで、実践あるのみなのだろう。
「ありがとう、お願い！」
今日は昌也に頼れる。1人で抱え込まなくていいと思ったら、彩佳の心はふわりと軽くなった。
頼りがいのある昌也に感動する彩佳。だが予想外のことが起き…
期待外れな夫
― どういうこと…？
彩佳は、天井をぼんやりと見つめながら呆然としていた。時計は8時を指している。
かれこれ2時間ほど前、「少し待ってて」と寝室を後にした昌也が、それっきり戻ってこないのだ。
てっきり、洗顔や歯磨きなど朝のルーティンを終えたら結衣の面倒をみてくれるものだと思っていたが、そうではなかったらしい。
彩佳がそーっと様子を見に行くと、昌也は書斎でいびきをかきながら、大の字になって寝ていた。
耳元で「昌也？」と声をかけてみたものの、「まだ眠いよ」と追い払われる始末。
― さっきの言葉はなんだったの？
徒労感にさいなまれた彩佳は、ベッドから起き上がることができなかった。
◆
「んー、よく寝た。今日も天気が良いなあ。彩佳、結衣ちゃん、おはよう」
10時。
リビングで結衣をあやしていると、昌也が大きく伸びをしながら起きてきた。
「…」
彩佳は不服そうに厳しい視線を送るが、彼は何も気づいていないようだ。それどころか、「コーヒー淹れた？」などと、彩佳の神経を逆なでするようなことを発してくる。
無視を決め込んでいると、昌也がソファに近寄ってきて結衣を抱きあげた。
「じゃあ俺、今から結衣の面倒みるよ」
― 起きたら面倒をみるって、こういうこと？10時まで寝てるなんて、結衣が生まれる前と何も変わらないじゃない！
思わず言い返しそうになったが、少しでも睡眠を確保したい彩佳は、当たり散らしたい気持ちをグッと堪えた。
「よろしく」と冷たく言い放ってソファを立つ。
その時。
「彩佳、俺が面倒をみてる間に家事とか済ませちゃう？ランチは、久しぶりにレモンクリームパスタがいいなあ」
― はぁ…！？
どうやら昌也には、自分を休ませようという気はないらしい。家事をしろと言われるなんて思ってもみなかった。
あんまりだ。彩佳は、寝不足で真っ赤に充血した目で昌也を睨みつけた。
「私、休みたいんだけど。昨日だって、ほとんど眠れなかったの。10時までグウグウ眠っていた昌也とは違うんだから、少しは気を使ってくれても良いんじゃない！？」
まくしたてるように早口で言い終えると、彩佳は寝室に飛び込み、そのままベッドに倒れ込んだ。
― ああ、もう寝てやる！
ブランケットを頭からかぶって、ギュッと目を瞑る。
だが、10分もしないうちに、リビングから結衣の泣き声が聞こえてきた。
「フェーン」
「結衣ちゃん、どうしたんですかぁ。ママ寝てるから、パパと待ってようねぇ」
まだ言葉のわからない結衣に、昌也が必死に話しかけているのが聞こえる。
「ビエーン、ビエーン！！」
結衣がそんな事情など理解できるはずもなく、泣き声は大きくなるばかりだ。
昌也がうろたえながら、ボソボソ何かを言っているのが聞こえてくる。
「どうしたらいいんだろ…。ミルク？オムツ？
えっと、えっと。ミルクってどうやって作るんだろ。てか、オムツどこにあるんだ。
えっと、えっと…」
「ギャー、ギャー、ギャーン、ビエーン！！！」
昌也の言葉をかき消すくらい大きな泣き声が、リビングに響き渡る。
「もうっ！」
これ以上昌也に任せておいても無駄だ。
彩佳は、すっぽりかぶっていたブランケットを乱暴に放り投げてリビングに向かった。
頼りにならない夫を変えるべく、彩佳がとった行動とは
募るイライラ
「まず、オムツはここにあるから。これから実際に替えてみるから、やり方覚えてね。
あと、ミルク作る時は、まずティファールでお湯を沸かして。ちなみに哺乳瓶はここにあって…」
ぐずる結衣をあやしながら、彩佳は赤ん坊のお世話について指南し始めた。これを機に、昌也に色々マスターしてもらおうと思ったのだ。
― そうすれば、私も少しは休めるようになるし…。
育児や教育に勉強熱心な、“イクメン”昌也のことだ。喜んでやってくれるだろう。
「俺、全然わかってなかったよ。ごめんな」
目論見通り、昌也は「ほう」や「そうだったのか」など、感心した様子で聞いている。
そしてすべて聞き終えると、いそいそとお湯を沸かしに行き、哺乳瓶片手にこう言った。
「1回、ミルク作ってみてもいい？温度とか確認してほしい。今後は、できる時は彩佳の負担を減らせるように頑張るよ」
そしてスマホをいじりながら、「今日は疲れてるみたいだし、お昼も夕食もデリバリーでも頼もう。何がいいかな」と、画面を見せてきた。
― やればできるじゃない。
彩佳は、ホッと胸をなでおろした。
◆
― うわ、寝ちゃってた…！
ベッドの上で、彩佳はハッと目を覚ました。
サイドテーブルの時計に目をやると、時刻は20時。結衣を寝かしつけた後、うっかり眠ってしまった。
産後の身体は想像以上につらく、常に睡眠不足。気力も体力もゼロに近く、気を抜くとすぐに寝てしまうのだ。
― 結衣が寝てるうちにご飯でも食べよう。
気合を入れて、ベッドから起き上がろうとしたその時。
「ピンポーン」
インターホンの音が、部屋に響いた。
― こんな時間に誰！？結衣が起きちゃうじゃない！
ベビーベッドを覗き込むと、結衣は腕をビクッと震わせている。
― 昌也、早く出てよ！
心の中でつぶやきながら、布団の上から結衣をトントンするが、再びインターホンが鳴り響き、結衣が「ヒッヒッ」とぐずり出す。
「昌也、ちょっと出てくれない？」
リビングにいるはずの昌也に声をかけるが、返事はない。
「ピンポーン」
「もう！」
彩佳は、泣きぐずる結衣を抱き上げて、インターホンのモニターを確認する。そこに映し出されたのは、宅配便の制服に身に包んだ男性だった。
「こちらにサイン、お願いします」
片手で結衣を抱きながら、伝票に受け取りサインを書くのは、至難の業だった。
― まったく、何なのよ。誰が送ってきたの！
荷物は、昌也宛だった。いつも筋トレの後に飲んでいるプロテインを買っていたようだ。
― わざわざ20時〜21時の受け取り指定にするなんて、どういうつもり？結衣が寝てる時間じゃない…！
心の中で毒づきながら、目を覚ましてしまった結衣を寝かしつけるべく寝室に戻った。
◆
「俺が買ったプロテイン、受け取ってくれたんだ。サンキュー！」
彩佳がリビングに戻ると、髪をタオルでクシャクシャに拭きながら、昌也もリビングに入ってきた。
「すっかり忘れてお風呂入っちゃったわ、ごめん。まさか素っ裸で出られないしな。ハハハ、サンキュー！」
喉を鳴らしながら炭酸水を飲み干す昌也。まったく悪びれる様子がない。
彼の無神経さに、怒りのボルテージがグッと上がる。
「ねえ、荷物の受け取り、なんで結衣が寝てる時間にするの？そのせいで結衣、起きちゃったの。やめてよっ！」
「はいはい、すみませんでした。次から気をつけるわ。じゃ、おやすみー」
昌也はいかにも面倒そうに答えた。その場をやり過ごそうとしているのが、ありありと顔に出ている。
その様子が、非常に腹立たしかった。
そそくさと書斎に戻ろうとする昌也の腕を、彩佳はがっしりと掴む。
「全然わかってないじゃない！結衣を起こさないように気をつけてほしいって、何度も言ってるよね？」
「だから、ごめんって。結衣が起きちゃうから、喧嘩はやめよう」
昌也はそう言って、するりと彩佳の手から逃げて書斎に戻って行った。
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