2018年に1人で部活を立ち上げた渡邉那津子さん【写真:琉球大フィギュアスケート部提供】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#67 連載「銀盤のささえびと」第6回・琉球大フィギュアスケート部

「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載。注目競技の一つ、フィギュアスケートは「フィギュアを好きな人はもっと好きに、フィギュアを知らない人は初めて好きになる17日間」をコンセプトに総力特集し、競技の“今”を伝え、競技の“これから”につなげる。

 連載「銀盤のささえびと」では、選手や大会をサポートする職人・関係者を取り上げ、彼らから見たフィギュアスケートの世界にスポットライトを当てる。今回は沖縄の「琉球大フィギュアスケート部」。医学部の渡邉那津子さんが2018年に創部。平均気温の高い沖縄だが、年中使えるスケート施設を使って練習に励んできた。部活動を立ち上げた経緯、フィギュア界に貢献したい思いなどを聞いた。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

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 1年の平均気温が20度を超える沖縄本島。意外かもしれないが、2018年に創部され、通年活動している大学フィギュアスケート部がある。

「沖縄の人もスケートができる施設があることは知っているとは思いますが、それでも『フィギュアスケート部です』って言うと結構、驚かれます」

 こう話すのは、琉球大フィギュアスケート部を立ち上げた部長・渡邉那津子さん。医学部に通う4年生だ。同部は選手4名、サポート1名の計5名が在籍。那覇空港から車で約25分の場所にある「エナジックスポーツワールド・サザンヒル」を拠点としている。1年中スケートができる沖縄唯一の施設だ。

 選手は全員が県外出身。コーチ練習、自主練習など比率は選手のレベルによって違うが、渡邉さんは「コロナ前はほぼ毎日、午後6時から2時間くらい練習していた」と語る。

 フィギュアスケートには「バッジテスト」と呼ばれる試験があり、全日本選手権などに出場するトップクラスの選手は7級以上を取得している。アクセル、サルコーなど2回転ジャンプは6種類全てをこなせる渡邉さんは現在6級。大学1〜2年でインカレ本戦に出場したほか、国体予選にも沖縄代表として出場経験がある。

 福岡出身の渡邉さんは、大学進学まで沖縄とは深い縁はなかった。なぜ、琉球大でフィギュア部を創設するに至ったのだろうか。

 バンクーバー五輪銀の浅田真央さんに憧れ、競技を始めたのは小学4年生の頃。高校まで福岡のクラブで活動していたが、在学中に目指していたバッジテスト6級の合格はならず。「やり残した感じがあった」と大学で合格を勝ち取りたいと考えた。

 一方で「絶対に必要な職業」といつしか医師への憧れも芽生えていた。通年オープンの施設に通える国公立大の医学部を目指したが、高3のセンター試験で得点が伸びず。希望が叶いそうな大学は限られていた。

琉球大を選び“ひとりの部活”を避けた理由とは

「受けるなら地方、という状況でした。リンクがあるところ自体あまりないし、佐賀などから福岡に通うことも出来たかもしれないけれど、練習頻度が落ちるので。九州だと福岡以外なら、自分の思うように練習ができるのは沖縄だけでした」

 両親を説得し、琉球大医学部に合格した渡邉さんは、入学後に早速フィギュア部創設のため動いた。大学の部活動として登録しなければ、出場できない大会も出てくるからだ。無事に18年5月に認定され、活動をスタート。1人でも部としては成り立つため、部員を集めず活動する選択肢もあったが、渡邉さんは勧誘で声をかけ続けた。

「確かに“自分ひとりの部活”みたいな形もあると聞いたことはあります。部員を集めて一緒にやりたいなと思ったのは、リンクがある地域の国立大は、初心者の人でも始められる部活として盛んだと聞いていたからなんです。それに憧れがあって、声をかけていました。

 沖縄は競技人口が少ない分、リンクでの練習はやりやすいですが、競争相手やライバルがなかなか身近にいません。自分が沖縄のフィギュア界に貢献できることは、部活として盛り上げて、競技人口を増やすことかなと思っていました」

 渡邉さんの誘いを受け、創部間もない時期に入部したのが、同じ医学部の同級生・黒田尚希さん。フィギュアスケートは未経験だったが、今では2回転トウループも跳べるまで上達した。体験で、最初にリンク上で滑った時の記憶は忘れられない。

「最初は全然滑れなくて。同じ初心者でも、友達の方が滑れていた。でも、一緒にいた沖縄のクラブの子供たちを見て『こんなに滑れたら楽しいだろうな』『うまくなったらどんな感覚なんだろう』という興味が沸きました」

 転倒し、頭を強打したことも何度かある。未だに前向きに踏み込むアクセルジャンプには恐怖心も少なからずあるが、1年生の12月に「不格好な格好だったけれど」シングルアクセルに着氷。指導をしてくれていた渡邉さんとも、喜びを分かち合った。

 渡邉さんが沖縄に来て、改めて気付いたフィギュアスケートの魅力は「個人競技だけど、1人じゃない」ということ。

 県外で土日開催の試合に出場し、月曜日に医学部のテストを受けるというハードスケジュールも経験。2020年には新型コロナウイルスが猛威を振い、大会が次々と中止に。大好きなフィギュアスケートで、目標を失ってしまった時期もあった。

沖縄フィギュア界への貢献の思い「ジャッジになれば…」

「辞めたい」と考えたことは一度や二度ではない。踏みとどまってこられたのは、自分が沖縄で築き上げてきた部活の存在が大きかった。

「1人だったら『辞めてもいいかな』と思っていたと思う。仲間や先生がいるからこそ練習も頑張れるし、うまくいかないことの方が多いけれど、頑張っていたら目標だったバッジテスト6級も取得できた。人との繋がりが自分にはとても重要なものでした」

 高校時代に叶わなかったバッジテスト6級にも合格。目標の一つを叶えた。学業に充てる時間を増やすため、3月いっぱいで選手としては終止符を打ち、部活動には後輩の指導役として携わる。

 一つ、沖縄フィギュア界への恩返しも考えている。

「勉強に本腰入れないといけないのはもちろんですが、引退してからジャッジ(審判員)の資格を取ろうかなと思っています。私がジャッジになれば、沖縄でもバッジテストが今よりできるようになるかもしれない。沖縄でお世話になったスケート界に恩返しできるのかなと」

 沖縄でジャッジの資格保有者はかなり少なく、バッジテストが行われることはほとんどない。そのため、選手は県外へ自費で遠征するのが普通だった。渡邉さんも両親のサポートを受けていたが、卒業後に返すつもり。テストを受けるだけでも大変な沖縄の選手のためにも、一肌脱ぎたいという思いがある。

 昨年12月、さいたまスーパーアリーナで行われた全日本選手権の女子フリーを観客として観戦。坂本花織、樋口新葉らが北京五輪代表をかけた演技に心打たれた。

「練習を積み重ねないと、絶対あそこまで完成度の高いプログラムは出来ない。小さい頃からの努力を継続して、プレッシャーかかる大舞台で力を発揮できるところを尊敬します」。いつか、沖縄からもこんな選手が生まれてほしい。フィギュアスケートに注いだ情熱は、選手を引退しても別の形で心に宿し続ける。

【私がフィギュアスケートを愛する理由】

「10年以上スケートをやっていて、様々な経験をさせていただいた。自分が初めて壁にぶつかったのもスケートのこと。優勝した時の嬉しさ、達成感も教えてくれた。スケートで頑張ることを教えてもらって、それが勉強などに生きてきたのは感じている。いろいろな人に出会えたのもスケートのおかげ。先生、両親、あとはクラブの子とか。自分には無くてはならない、一緒に頑張ってきたものです」(琉球大フィギュアスケート部・渡邉那津子さん)

「滑っているときに楽しいなと、素直に思います。いろんなスポーツがあると思うけれど、氷の上で滑っているのは特別な感覚がある。ジャンプの練習の時に特に感じることですが、勇気が必要。空中に飛び出す感覚は、未だに怖いと思ってしまうタイプ。自分に打ち勝つというと言い過ぎかもしれないけれど『やってやるぞ』と心の中で思う感じを掴めたのは、スケートをやっていてよかったと思える一つです」(琉球大フィギュアスケート部・黒田尚希さん)

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)