東大・高橋佑太郎内野手が独立リーグ挑戦の経緯と野球への愛を語ってくれた【写真:東大野球部提供】

写真拡大 (全2枚)

ハングリー精神求められる独立リーグへ異例の挑戦「シンプルに野球が好き」

 大学野球・東京六大学リーグの東大から、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに選手として入団することが決まった高橋佑太郎内野手(4年)が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。情熱に溢れる22歳。自問自答した末に独立リーグ挑戦という進路を選ぶまでの経緯と、野球への愛を語ってくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 在籍4年でリーグ戦出場は9試合、通算安打も1本のみ。それでも高いレベルで野球を続たい――。愛と情熱はいつまでも消えなかった。独立リーグに挑戦する意図を明かしてくれた高橋の表情は、希望に満ちていた。

「野球をやりきるということで、後悔したくないんです。独立なら、野球にすべてのリソースを割けますし、どこまでできるか試してみたいという思いがありました。シンプルに野球が好きなので、本当に楽しみです」

 独立リーグには月収15万円前後の選手も珍しくなく、練習の合間にアルバイトをするケースもある。高橋の場合、望めば一流企業に入社できる可能性もあっただろう。ただ、4年生になる頃には独立リーグへの挑戦を志していた。

 振り返れば大学選びも、野球を重視していた。私立武蔵高では1年夏から三塁のレギュラー。進学校ながら、15年夏の西東京大会ではベスト16まで勝ち進んだ。ただ、東京の球児の憧れでもある、神宮球場でプレーすることは目前で叶わなかった。高校野球では最後のチャンスだった3年夏も、ベスト32で終わった。

「神宮でやりたいという思いがありましたし、高いレベルでできるので漠然と『東大いいな』と高校入学の頃から思っていて、高3で明確に目指そうと思いました。周囲も東大を志す人が多かったので、自然と目指せる環境にいたのも大きいです」。

 燃え上がった“聖地”への思いもエネルギーに、見事に現役で合格。単位を取れば卒論がない経済学部を選んだのも、野球の練習時間を確保するためというこだわりぶりだった。

就活期間に自問自答、胸に刺さったクラブチーム選手からの言葉

 入学時から社会人野球への憧れを抱いていた高橋。1日も早いリーグ戦デビューを目指したが、1〜2年生の間は苦しんだ。

 東大野球部では、午後は自主練習の時間に充てられる。誰にも負けないくらい練習した。特にバッティングに力を入れ、午後10時までバットを握る日々を過ごした。それでも、リーグ戦のベンチ入りは見えてこなかった。「あの選手より練習しているのに、なぜ使ってくれないんだろう」。そう思ってしまった時期もあった。

「今思うと、そのマインドでうまくいくわけない」と笑う高橋。悩みが解消されたのは大学3年の夏ごろ。数や時間、周囲の評価にとらわれていたことに気付けたからだ。解剖学的な理論に基づき、打撃指導を行っている都内施設「REBASE」に月2回通い始めて、ようやく殻を破れた。

 体の連動や、速度を出すための仕組みには解剖学的に決まっている部分がある。使われる筋肉、使う関節、固定しなければいけない関節を理解し、体に叩き込んだ。

「練習時間、スイング数がどうっていうのは、上手くなることに関係ないと気付けました」。指導は1回あたり1万5000円。週に1〜2回していた塾講師のアルバイト代は大半が消えたが、変わっていく自分が楽しくて仕方なかった。東大での自主練習でも打撃のメカニクスを追究し続け、4年春に念願のリーグ戦メンバー入りを果たした。

 好きな野球で、もっと上達できる。卒業後もプレーを続ける意志はより強くなったが、当時の実績・実力で社会人野球に進むことが難しいことも分かっていた。

 今年3月。就職活動の時期とあり、高橋もエントリーシートを数社に送ったが、面接を受けることはなかった。

「自分は野球の何が好きなのか、なぜやりたいのか?」

 丸2日間、真剣に自己分析をした。SNSで知り合ったクラブチームの選手にも意見を聞いた。「野球を続けたい気持ちを半端に持ったまま就職しても、後悔する」。その言葉が最も胸に響いた。

「それまで、他人の評価で行動を決めていたなと考えさせられました。じゃあ野球はやらなくてよくないかとも考えたんですが、それでもやめようとは思わなかった。自分がうまくなっていく、自己実現していくためにやっているんだと。そこで他人の練習がどうとか、あまり気にならなくなりました」

進路選択は「他人の尺度や評価で決めるのはもったいない」

 高橋には、亡くなった高校の同級生もいる。試合に出られなくても、野球に熱量を捧げ続けられたのは、人生の儚さを感じているからだ。「こんな簡単に終わってしまうのか……と悲しかったですし、物事は全力でやることが大事なんだと」。社会人野球が難しくても、他の道を探ればいい。地域に密着する球団の在り方や、リーグの構造に興味を抱いていたこともあり、この頃に独立リーグへの挑戦を明確に頭に描いた。

 この1年前、両親には独立挑戦に関しては反対されていた。ただ、野球を続ける理由や将来についての考えを改めて伝え、応援してもらえた。井手峻監督にも、背中を押してもらえた。

 今秋リーグ戦前、練習を運よく高知の関係者に見てもらえており、そこから合格への道が開けた。11月、進路について自身のSNSでも報告。「『東大から何故独立リーグ?』と思われる方も、もしかしたらいるかもしれません」とつづったように、周囲からは興味を抱かれることも多い。

「なぜ? と言われることも結構ありますが、自分の人生は一度しかない。他人の尺度や評価でそれを決めるのはもったいない。自分なりの理由はあるので、なぜと言われることは気にならないですね」

 今考えていることは、東大で過ごした日々と変わらず、1日単位でいい選手になるために追究していくこと。NPBに憧れがないわけではないが「そこを見て背伸び、地に足がつかないことをやっても意味がない。出来ることを積み重ねた結果、そこに行けるとなるのであれば考えると思います」。

 チャンスを与えてくれた独立リーグの活性化に、将来的に貢献できればとの考えも持つ。6月にはBCリーグ代表の村山哲二氏と対談し、リーグの課題や魅力、可能性について教えてもらった。実際に独立数球団の球場を訪れ、自分の目で感じたこともある。

「構造、在り方を見て、さらに改善できれば日本野球自体がよくなるのではないかと思いました。認知度や、PRも球団によって差がある。そこまで勉強できているわけではないのですが、地域の人が『あそこに集まったら楽しいよね』というものにできたら良いなと」

 1月中には高知入りする予定。現在は後輩たちとともに練習を続け、新しい挑戦へ向けて準備する日々を送っている。金銭面のやりくりにほんの少し不安はありつつ「楽しみの方が大きい。お金が欲しかったらこの選択はしていないので。他人がどう思うかより、自分がどこまで行けるかを試したい」と息巻く。

 約30分のオンライン取材だったが、迷いを感じる言葉はほとんどなかった。ハングリー精神が求められる環境でも、高橋なら揺らぐことなく邁進し続けられるのではないか。そんな期待を抱かせてくれた。

■高橋佑太郎(たかはし・ゆうたろう)/東大硬式野球部

 1999年10月4日、東京都出身。小1の頃、調布メンパースで野球を始める。私立武蔵高では正三塁手になった1年夏に西東京大会ベスト16、3年夏も同ベスト32に貢献。東大では4年春にリーグ戦デビュー。通算9試合に出場した。21年10月、四国アイランドリーグplus・高知に特別合格選手(球団推薦選手)として入団が決定した。本職は三塁手だが、内野はどこでも守れる。遠投90メートル、50メートル6秒6。身長172センチ、体重72キロ。右投右打。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)