ロックバンドのフジファブリックが、3日に放送された日本テレビ系音楽番組『MUSIC BLOOD』(23:30〜)に出演した。

志村正彦さんをバックに「若者のすべて」を披露するフジファブリックと吉田高校の生徒たち=日本テレビ提供


2009年に急逝したボーカリスト・志村正彦さんについて、山内総一郎は「テレビなど、メディアを通して志村君のことを話すのが怖かったのですが、亡くなって12年が経った今、志村君のことをもっとたくさんの人に知ってほしい、もっと彼のことを伝えたいと思いました」と、神妙に語る。金澤ダイスケも「志村は初めて会った時から、音楽を突き詰めていました。いつも『名盤を作りたい』って言っていましたし、自分の音楽を表現する覚悟というものが常にあったと思います」。

そして、山内は「志村君はクリアファイルの中にいつもコピー用紙を持ち歩いていて、いつでも思いついたことを書き留めるようにしていましたね」と思い出した。

山内は、志村さんが亡くなったときのことを「当時は自分の心が無くなっていました。今でも正直、気持ちの整理がついていないと感じる時があります。言葉では言い表せない、自分が自分じゃなくなってしまった感じでした」と回想。金澤も「当時の記憶が曖昧なままです。あの時は事実と向き合おうとしても、ショックすぎて心が拒否していました」と、加藤慎一も「しばらくは何もできないまま、ただ時間だけがすぎていったという感じです」と振り返った。

志村さんが亡くなる前から決まっていたライブやイベントは、「奥田民生さんや藤井フミヤさん、吉井和哉さん、斉藤和義さんなど、そうそうたる先輩方が志村君の意志を受け継いでステージに立ってくれました。今でも本当に感謝しかありません。空に向かって、志村君に語りかけるように歌いあげる姿がすごく印象に残っています」と山内は語る。

今回は、来年の高校の教科書に採用される「若者のすべて」を披露。志村さんの歌声を入れつつ、志村さんの母校である山梨県立吉田高校音楽部の生徒たちも参加する。その理由を、金澤は「志村君と、志村君の故郷で同じ空気を吸っている人たちとバンドメンバーで一緒に披露できたら、こんなに素敵なことはないと思い提案をさせていただきました」と明かす。

メンバーそれぞれが丁寧に「お願いします」と言いながらスタンドイン。生前の志村さんの歌声をあわせて、時を超え、世代を超えた共演が実現。バックに映像として流れていた生前の志村さんの姿が、ノスタルジックなムードに拍車をかけた。

志村さんが亡くなった後のバンドの道のりについて、山内は「その時はバンドを続けていくという選択肢はなく、個々で活動をしていました。ただそれでも、3人で定期的に集まったりはしていました。そして時間が経つにつれてフジファブリックを無くしたくないという気持ちが強くなって、ある時メンバー2人に、僕が歌ってバンドを続けるのはどうかなと提案をしました」といい、金澤は「それを聞いて『ありがとう』と言いました」と打ち明ける。

だが、志村さんの代わりに歌うことに、相当なプレッシャーがあったそう。山内は「志村君が作ったバンドだからなんとか残したいという気持ちと、でも3人でやって潰してもダメという思いにかなり悩みました。当時は僕がライブで歌い始めると、お客さんが全員帰っていくという夢を何度も見ました。あとストレスから、耳鳴りが何日も止まなかったり、それほど追い詰められていたかもしれません。でも実際のライブでは、ファンの皆さんが拍手で迎えてくれたり、温かい声援などに救われました。本当にうれしかったですし、ありがたかったです」と感謝した。

そんな中でも、前に進めると思える瞬間があったそう。それは「ECHO」が完成した時で、山内がボーカルになって初めて作った楽曲だ。「この曲ができたことで、自分の中で大きな覚悟が生まれました。志村君への思いを歌った曲で、時間が経ってもずっと歌い続けていきたいと思える楽曲になりました。そしてこの曲が、バンドを続けていくための原動力になっていると思います。僕らにとって大事なBLOOD SONGです。今回は、志村くんと一緒に歌っていくという気持ちで披露をさせていただきます」と紹介した。