「1年で30万本販売」文具女子の間で今、飛ぶように売れている"エモい"ペンの正体
■若者の間で広がる「アナログ」のトレンド
コロナ禍で、デジタル化が加速したとされる一方、いま若者を中心に、昭和の時代に流行した「アナログ」な文化も見直されています。たとえば、アナログレコードやカセットテープ、ミニ四駆や「レンズ付きフィルムカメラ」など。
とくに、35年前の1986年に発売された「写ルンです」(富士フイルム)は、80年代後半〜90年代にかけて大ヒットしました。最盛期(2001年)には世界で1億本以上を売り上げましたが、その後は携帯電話の普及でいったん衰退、しかし何度かリニューアルを経て、いまや国内でも「第3次ブーム」を迎えたと言われます。
なぜ現代の若者は「アナログ」に惹かれるのでしょう。20代の女性がよく口にするのは「『エモい』感じがいい」。エモいとは、「エモーショナル(emotional)」を由来とする言葉で、「感情的な、情緒的な」の意。日本語でいうと、「えもいわれぬ」といったニュアンスです。
■“エモい”文具が話題
たとえば「写ルンです」の場合、スマホやデジカメの高性能な画像とは違い、意図せぬピンボケやブレが起こりやすく、それがなんとも言えない“味”を醸し出すことがある。これが、若い世代には「エモい」と感じられるようです。
実は筆記具の世界でも、そんな「エモい」商品が話題を呼んでいます。2020年3月、墨や筆ぺんの老舗として知られる「呉竹(くれたけ)」(奈良県奈良市)が正式発売した「からっぽペン」。
文字通り中身の入っていない「からっぽ」のペンで、ユーザーがお気に入りのカラーインクを入れてパーツを組み立て、自分だけのオリジナルのカラーペンを作れるという商品です。
「前身となる商品を、2019年12月開催の『文具女子博2019』で限定販売したところ、いわゆる“インク沼”の方々などが、SNSで拡散してくださいました」
と話すのは、同カスタマーサービス部の佐藤江利子さん。
■1年間で累計30万本の売り上げ
彼女が“インク沼”と呼ぶのは、ペンや万年筆のインクに(沼のように)どっぷりハマってしまう人たちのこと。「マツコの知らない世界」(TBS系)など人気テレビ番組で特集が何度か組まれたのを機に盛り上がったワードです。21年10月現在、インスタグラムで「#インク沼」と検索すると、10万件近い投稿がみてとれます。
それだけ、インクのアナログな濃淡や微妙な色使い、あるいはインクに独特の名称のカラーも多いこと〔例:「ビルマの琥珀(こはく)」や「ローズクオーツ(宝石)」「冬将軍」ほか〕などが、「エモさ」を感じさせるからでしょう。
「からっぽペン」は、こうしたインクファンをはじめとした、いわゆる「文具女子(文具好きな女子)」を中心に話題を呼び、2020年3月以降の約1年間で、累計約30万本を売り上げました。
また、20年12月には「第4回文具女子アワード」を、翌21年2月には「文房具屋さん大賞2021」で大賞を受賞するなど、文具界全体を盛り上げる「期待の星」でもあります。
発売時期が、新型コロナの感染拡大初期(日本では2020年3月)に当たり、「ステイホーム」で多くの人たちが手作りに目覚めたことも、人気を後押ししました。
また「からっぽペン発売の20年3月に、もともと店舗イベント用だった『ink-café〜私のカラーインク作り〜(以下、ink-café)』を、『自宅用』に改良して広く発売したことも、功を奏したと思います」と佐藤さん。
■2000年代初期から始まっていた
ただ、からっぽペンは決して「降って湧いたアイデア」の産物ではありません。実は2000年代初期、既に呉竹の社内には、ある動きが起こっていました。
2001年9月11日、アメリカで起きた「同時多発テロ事件」。これを機に、アメリカでは大切な家族写真に「手書き」でなんらかのメッセージを添え、それをスクラップブックに貼り込んでいく「スクラップブッキング」がブームを迎えたのです。
「弊社のプロジェクトチームは当時、日本でもやがて同じようなブームが来るのではないかと読んでいました」と佐藤さん。
たとえば、母親が幼い娘とのツーショット写真を貼り、そこに「ママはこのとき、こんなこと考えていたの」と書き込む。そのメッセージを、数年〜数十年後に読んだ娘は、写真単体を見たとき以上に、おそらく「ママありがとう!」と深く感動するでしょう。
一方で、数年〜数十年もの間残すとなれば、インクも日焼けしたり色褪せたりしないものでなければ意味がない。そこで呉竹は、スクラップブックに細かな字を書き込める細文字タイプのペンとともに、水や油に溶けず保存性にも優れた「顔料インク」の開発に注力し始めます。
■デジタル化の波の中での発想の転換
その後、日本でも2000年代半ばごろから「スクラップブッキング」に似たブームが上陸。プロジェクトチームの読みは見事に当たり、関連商材も好調な売り上げを記録しました。
さらに2011年、日本を襲った東日本大震災が、人々の心に「写真という人生の思い出を大切にしなければ」との感情を想起させました。
津波で家族のアルバムが流されるといったシーンがあちこちで起こり、「写真を大切に保存しなければ」と感じた方も多かった。
私が当時インタビューした方々は、「家族みんなで寄せ書きを書いたアルバムを、銀行の貸金庫に入れました」や、「紙焼き写真をスキャンして、そのデータを北海道と九州にいる兄弟に預かってもらいました」などと聞かせてくれました。
家族との大切な思い出を、写真や手書きで残したい……、ところがちょうどこの後、写真や文具業界にとって「逆風」とも言える動きが起こります。それが2011〜13年にかけて急速に普及した、スマートフォンとSNS。
一般に、スマホはガラケーに比べ、撮影した画像の解像度が高いうえ、SNSにも瞬時にアップできる。さらにLINEの普及(おもに12年とされる)もあり、紙焼き写真や「紙に書く」文化や市場は、縮小傾向を見せ始めます。
時代は完全に、「アナログからデジタルへ」。ですが呉竹は、ここで諦めませんでした。いち早く市場の縮小を感じ取り、「ならば文具という『モノ』だけでなく、モノを通じて体験できる『コト』を売っていこう、と発想を切り替えたのです」と佐藤さん。
■蛍光筆ぺんづくり体験が人気に
2015年開催のホビーショーでは、「蛍光筆ぺんづくり体験」という斬新な企画を考案。同会場でユーザーに好きなインクの色を選んでもらい、ペン本体に入れる「中綿」がインクを吸い上げる様子を、直接見て試してもらうことに。
すると、「面白い」「もっとやってみたい」との声が次々と寄せられ、「私たちの社内でも、イベント時だけでなく店頭やご自宅で、もっと手軽に手作りの魅力を体験してもらえるペンを作れないか、との思いが高まりました」(佐藤さん)。
■出店ブースに大行列
ちなみに、現在市販されているペンでは「直液式」と「中綿式」が人気ですが、後者は内蔵された中綿がインクを含んでいて、ペン先を紙などの面に当てることで筆記できるタイプ。
まさにこの構造が、「からっぽペン」の開発を可能にしました。ユーザーみずからが中綿に好きなインクの色を吸わせれば、原理的にはオリジナルのペンを作ることができるわけです。
そして2019年12月、先の「文具女子博2019」を迎えます。開催4日間で約4万人を集客したビッグイベントで、呉竹の出品ブースに訪れた女性たちが「こんな面白いペンがあるよ」などと、「#インク沼」や「#文具女子」とのハッシュタグ付きで呟くと、2日目からはブースの前に大行列ができました。
■「インクが使いきれない」と悩む“インク沼”の住人たち
「彼女たちに話を聞くと、既にインク自体を結構な数持っていて『使いきれない』と悩んでいるケースが多いことが分かりました。一方で、買い物風景を見ると、地域限定のオシャレなパッケージのインクや、特殊な名称のインクなどを、どんどん買い物カゴに入れていく。まさに“インク沼”な様子が、明らかになったのです」(佐藤さん)
こうしたニーズの把握によって、「イケる」と確信した呉竹は、その後、中綿(綿芯)の芯の素材や形を改良したり、栓の役目を果たす尾栓の形を工夫したりすることで、より手作りしやすい「からっぽペン」の実現に注力。
その結果、20年3月の正式発売へとつながったのです。
■なぜ手間ひまのかかる商品にハマるのか
私も「からっぽペン」を入手し、「世界に一つだけのペン」を作ってみました。綿芯に吸わせる「ink-café」ブランドのインクは全5色で、それぞれの色を「1対3対2」など、好みで混ぜることも可能。少しずつ調合して自分好みの色に近づいていく過程は、料理しながら調味料を足していくときのように、ドキドキワクワクするひとときです。
一方で、予想より簡単に仕上がるとはいえ、市販されているペンを買うよりは、当然ながら手間がかかります。私は元来そそっかしいので、周りにインクが飛び散らないよう準備する段階でひと苦労。
インク沼の女性はともかく、一般の人たちまでもが、なぜそうした「手間ひま」をかけてまで、「からっぽペン」にハマるのでしょうか。
■手作りがもたらす「イケア効果」
2011年、ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ノートン氏らは、自分の手作りした対象物が、本来以上の価値を感じさせることを、組み立て家具販売の「IKEA(イケア)」になぞらえ、「IKEA effect(イケア効果)」と呼びました。
実験に参加した人たちは、他人が作った折り紙を「約5円」と見積もった一方で、自分が作った折り紙には「20円以上」の値付けをしたといいます。完成までに自身がかけた手間ひまを想起し、そこに付加価値や「愛着」を感じるからでしょう。
冒頭の「写ルンです」や、コロナ禍でヒットした無印良品の「発酵ぬかどこ」、CHOYAの「おうちで手作り梅しごとキット」なども同じです。いまやスマホで簡単に画像は撮れるし、ぬか漬けや梅酒も多彩な商品がインターネット上にあふれています。
でもだからこそ、人はあえてアナログな「手作り」や「手間ひま」にこだわる。そして、そこから紡ぎ出される画像や飲食、あるいは手書きの文字を「エモい」と感じ、価値に共感してくれる人たちに伝えたい、呟きたいと強く欲するのでしょう。
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牛窪 恵(うしくぼ・めぐみ)
マーケティングライター
マーケティング会社インフィニティ代表取締役。修士(経営管理学/MBA)。2020年4月より、立教大学大学院・客員教授。同志社大学・ビッグデータ解析研究会メンバー。財務省・財政制度等審議会専門委員、内閣府・経済財政諮問会議 政策コメンテーター。著書に『男が知らない「おひとりさま」マーケット』『独身王子に聞け!』(ともに日本経済新聞出版社)、『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』(講談社)、『恋愛しない若者たち』(ディスカヴァー21)ほか、著書を機に流行語を広める。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。
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(マーケティングライター 牛窪 恵)