東京オリンピックのオーバーエイジ(OA)が固まった。5月20日の記者会見で、吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航の3人がU―24日本代表に加わることが発表された。

 五輪の男子サッカーは15人のフィールドプレーヤーで戦っていくことを考えても、経験豊富で実力があり、マルチタスクをこなせる3人が加わればチーム力は大幅にアップするだろう。守備の計算が立つのは、とにかく大きい。

 ところで、OAを選ぶということは、24歳以下の選手の出場枠が減ってしまうことを意味する。吉田と酒井は、五輪にもW杯にも出場している。遠藤は16年のリオ五輪で主将を務め、18年のW杯でメンバー入りした。ロシアでは出場がなかったものの、ひとまずW杯を経験している。日本サッカー界の将来を考えるなら、すでに国際大会を経験してきたOAを選ぶのではなく、24歳以下の選手により多くの経験を積ませたほうがいいのでは、という考えも成り立つ。

 どちらを選ぶのかは、サッカー協会の考えかた次第だ。

 東京五輪については、「開催国なので金メダルを目ざす」という目標を掲げ、「そのためにオーバーエイジを使う」という方向性が早くから打ち出されていた。他でもない東京五輪世代も、「OAが入ってくる」と受け止めていたので、枠が3つ減ることを当然のものとして理解していると感じる。

 振り返れば16年のリオ五輪でも、手倉森誠監督はOAを使った。「12年のロンドンはベスト4だったから、次はメダルを狙う」と公言し、アジア予選突破後からOAの選定を進めていった。

 12年の関塚隆監督も、OAを加えてチームの底上げをはかった。

 23歳以下の選手で挑んだ08年も、OAの招集が模索されている。反町康治監督は、遠藤保仁と大久保嘉人を加えようとした。しかし、遠藤は体調を崩してしまったために断念せざるを得ず、大久保は当時所属していたヴィッセル神戸の協力を得られなかった。

 さらにさかのぼれば、04年も2000年もOAを招集している。「OAを加えることで上位進出を目ざす」というスタンスは、一貫して継承されてきたと言うことができる。日本サッカー界にとっての五輪は、「出場することに意義のある大会」ではなく、「勝ち上がることでより中身のある経験を積む大会」なのである。

 個人的にも、OAを使うことには賛成だ。

 オリンピック出場のチャンスは、基本的に一度しかない。23歳以下の選手が、ひとりでも多く選ばれればと思う。

 しかし、五輪を「出場することに意義がある」大会にするのはもったいない。せっかく出場するのだから、1試合でも多く試合を経験してほしい。

 4か国による総当たりのリーグ戦を勝ち抜くという成功体験は、ワールドカップにもつながる。そこからさらに、ベスト4入りをかけて準々決勝を、表彰台をかけて準決勝を戦うことができれば、チームとしても個人としても貴重な経験になる。グループステージの3試合で大会から去るのと、そこからさらに1試合、2試合と戦っていくのでは、得るものはまるで変わってくる。

 国際舞台で勝ち上がっていくチームは、次世代に目標を与える。「次は自分があの舞台に」というモチベーションが、若い世代に拡がっていく。

 ヨーロッパや南米の国は、必ずしも世代最強のチームを五輪に送り込んでこない。五輪にかける熱量は国によって様々だが、それでも勝ち上がることに意味はある。

 当事者たる五輪世代に限らず日本サッカーとしてより多くの利益を得るために、勝てる可能性の高いチームを編成する。そのためにOAを招集するという考えを、僕は支持する。