16年ぶりに体験する無観客試合には、本物の静寂があった。

 僕は2005年6月に、無観客試合と言われるものを経験した。ドイツ・ワールドカップアジア最終予選の北朝鮮戦である。平壌で行われた直前の北朝鮮対イラン戦で、試合後に暴動が起こったことによる罰則だった。試合会場はタイのバンコクとなった。

 無観客試合という言葉は、「厳戒態勢」と言った雰囲気を連想させるかもしれない。厳重に警備された密閉空間で、入場者が厳しく管理される。記者も例外でない。殺伐としたムードのなかで、静かにゲームがキックオフされる──僕自身もそんな環境をイメージしていたのだが、会場へ着くと拍子抜けした。

 ゴール裏とバックスタンドは閉じられていたが、メインスタンドには地元の人たちが押し寄せていた。タイ協会の関係者とその家族や親せき、といった人たちだった。幼い子どもも混じっていた。地元のファンに公開された練習試合、という感じだった。

 それだけなら笑ってやり過ごせるのだが、試合後は困った。取材エリアに地元の人たちが殺到して、選手たちがもみくちゃになってしまうのだ。警備員らしき人は立っているのだが、規制をしようとはしないから、一般の人がどんどんと押し寄せてくる。写真撮影やサインを求める地元の人たちに混じって、選手のコメントを集めた。取材を終えたら汗だくだった。

 3月30日のフクダ電子アリーナは、16年前のバンコクのスタジアムとはまったく違った。最寄り駅についても、サッカー観戦のファンは見当たらなかった。最寄り駅は東京駅から1時間ほどかかり、この日は平日の夜で、しかもコロナ禍である。試合は観られないけれどせめてスタジアムまで行こう、と考えるには条件が悪すぎたに違いない。

 スタジアムの警備は、Jリーグと変わらなかった。いつもと同じ場所から敷地内に入り、メディア受付を済ませる。

 メインスタンド右端の記者席へ上がると、スタンドには静謐な空気が流れている。関係者の姿がポツリ、ポツリと目につくだけだ。

 試合が始まると、2階席の観客席のブロックに、スタッフがひとりずつ座っていた。ボールが蹴り込まれた際に回収するためだろうか。選手の声が途切れることなく聞こえてきて、ルーズボールを奪い合う激しい衝撃音が響きわたる。

 有観客では様々な音に解けてしまう生々しさが、無観客ではそのままスタンドに運ばれてくる。それはそれで貴重な体験なのだが、選手と観客が一緒に作り出す熱気を感じられないのは、やはり物足りない。

 モンゴルから14点を奪った夜は、本当なら大きな熱狂を巻き起こしたはずだった。相手はもちろん格下だが、ゴールはどれも素晴らしいものだった。スコアの開く試合にありがちな大味さはなく、得点を欲しがるあまりに強引さが目立つこともなかった。

 そう考えると、無観客試合だったのはいかにももったいない。観客の後押しを受けることができたら、15点、16点と得点を重ねることも可能だった気がする。

 W杯2次予選は残り3試合となったが、スケジュールが発表された。3月25日の開催が延期されたミャンマー戦は、5月28日に行なわれることになった。

 ヨーロッパ各国リーグは、すでに終了しているタイミングだ。ドイツ・ブンデスリーガは現地時間5月22日、イングランド・プレミアリーグ、スペイン1部は5月23日などとなっている。一方で、J1リーグは5月26日と27日に第16節が、29日と30日に第17節が組まれている。

 日本サッカー協会の反町康治技術委員長は、28日のミャンマー戦に海外組で臨むことを示唆している。それによって、すでに予定していたスケジュール──6月3日にテストマッチ、7日にW杯2次予選のタジキスタン戦、11日にテストマッチ、15日にキルギスタン戦を、それぞれ消化していくことを想定する。テストマッチについては、同時期にW杯予選が実施されないヨーロッパから、6月11日開幕の欧州選手権に出場しないチームを招くとしている。

 5月、6月の活動は大切になる。東京五輪のオーバーエイジ(OA)候補が、日本代表ではなくU―24日本代表へ合流する可能性が高まっているからだ。候補に挙がっているのは吉田麻也、遠藤航、大迫勇也で、冨安健洋もここからはU−24日本代表へ合流する。主力4人を欠くなかで、9月につながる試合をすることができるか。5試合分のメンバーをどのようにピックアップし、どのように使い分けていくのか。森保監督のマネジメントが大事になってくる。