子ども食堂は「大人の救い」にもなる(写真:えび庵ふぁん提供)

子どもたちに食事や居場所を提供する「子ども食堂」は現在、全国で5086カ所あり、昨年6月比で40%近く増えたという(NPO法人全国こども食堂支援センターむすびえ調べ)。コロナ禍で、子どもたち支援の必要性を強く感じた人たちがそれだけ多かったということだろう。

大阪の中心地、梅田にほど近い福島区でも今年度、2カ所オープンした。そのお手本となっているのが、同区で子ども食堂第1号となった「えび庵ふぁん」だ。

福島区の子ども食堂「えび庵ふぁん」

1年半前に、美容師の松尾登美子さん(43)が始めた。ある日、テレビを見ていると、子ども食堂の様子を伝えていた。自身も小学生と中学生の子育て中。「こんなのが地域にあったら助かるなぁ」と思って動き出した。

趣旨に賛同してくれる大家さんがトントン拍子で見つかり、広い二階家を安く借りられることになった。前出の「むすびえ」や、休眠預金を財源としている「こどもの居場所サポートおおさか」からの食材支援、近隣の住民からの寄付などで運営している。

この日のメニューは、お好み焼き、さんまの缶詰で作った炊き込みご飯のおにぎり、みそ汁、ヨーグルト。購入したのは豚肉だけ。あとはすべて寄付食材でまかなった。夕方5時半に食堂が開くと、あっという間ににぎやかになった。集まったのは小学生から中学生まで50人近く。ごはんを食べた後は、宿題をしたり、おしゃべりしながら思い思いに過ごしていた。

「子ども食堂というと、貧困というイメージが先行していますが、そんなことはありません。私たちは、子どもたちの居場所としてここを考えています。初めは10人くらいでしたが、友達が友達を呼ぶ感覚で増えていき、クチコミで広がっていきました。コロナの影響もあってか昨年の夏には35人くらいになり、最近は平均すると44、45人というところです」

来たいという子はいつでも誰でも受け入れるが、大人は入れない。子どもたちに、のびのびと過ごしてほしいからだ。松尾さんは食事をよそいながら、子どもたちの食べ具合を見守る。子どもたちが話しかけてくれば応えるが、自分からあれこれ話しかけることはない。同じ目線でいたいからだ。

「やいのやいの聞いたりしたら、居心地が悪くなるでしょう」

大小の差こそあれ、少なくない人が困難やさまざまな課題をかかえている。コロナ禍によってかかえるものは重くなる一方だ。子どもたちは、そんな大人たちの不安を敏感に受け止める。

感染拡大を受け、子どもたちを集めて食事を提供することをやむなく断念し、弁当宅配やフードパントリーに切り替えた子ども食堂も少なくない。えび庵ふぁんも昨年5月は、配食を実施した。

しかし、「こんなときだからこそ、いつものように開きたい」と、6月からは三密にならないよう対策をとりながら、これまでと変わらず週1回、子ども食堂を開いている。広い二階家だからなせることだ。

「オープン当初、大人に対する警戒心満々っていうんですかね、私のことをまるで敵のように見ていた子たちがいました。何回か来るうちに、顔つきがだんだん穏やかになっていきました。大人がしんどくなれば、それに比例して子どもたちのしんどそうなレベルも上がっていきます。コロナ以降、密着してくる子たちがいたり、私のそばでごはんを食べたがる子がいるのも、安心したいからなのかなと思います。ここにいてたら、ちゃんと見ててもらえる。ここやったら安心できる、そんな秘密基地のような場所でいたいなと思っています」

なかには、来たいという気持ちはあっても、雰囲気になじめなかったり、恥ずかしくて参加できない子どももいる。また、親の了解を得られないケースも。そうした子たちにも、松尾さんが家を訪ねて言葉を交わしたり、民生委員さんを通じて食材を届けることもある。

なぜ今「子ども食堂」が必要とされるのか?

活動をサポートする大阪市福島区社会福祉協議会職員の丸谷昌広さんは、「子どもたちの笑顔を見ていると、大切な居場所になっていると感じます。年齢の違う子ども同士の交流があること、また子どもの頃からこうして地域の人とつながることは大きな経験になると思います。ご家族以外にも信頼できる特定の大人が身近にいることで、何か困ったことがあったときにも頼ることができると思います」と話す。

子どもは居心地のよい場所なら自然と足が向くようになるが、大人となると最初の一歩が難しい。困ったときに頼れる場所、支援を受けられる場所があっても、助けを求めることに抵抗があったり、どこへ助けを求めていいかわからないこともある。各種支援を実施している役所には心理的ハードルを感じて躊躇することもあるだろう。

ためらう人たちのとば口になれたら――。大阪市中央区の400年の歴史を持つ海寶寺住職の妻、岡部真美さん(34)たちは昨年7月から、「かいほうじフードパントリークラブ」を始めた。毎月1回、米やレトルト食品など1週間分の食材を手渡している。大人同士が言葉を交わす間、子どもたちはビニールプールの中にどっさり入ったお菓子の中から好きなものを選ぶ。

岡部さんは昨春、緊急事態宣言下の臨時休校中にママ友から、区内の子ども食堂の「しま☆ルーム」が配食をしていると聞いた。給食がなくなり、困っている子たちに届けたいと、弁当作りを買って出た。

毎週50食を3カ月近く、住職らと一緒に作って届けたが、ある日、「夜の店で働くシングルマザーやその子どもたちはどうしているんだろう」と気になった。お弁当作りを通して知り合った中央区社会福祉協議会(社協)職員の中納宏之さんに相談して、フードパントリーを実施することになった。

「悩める大人」も救うフードパントリー

岡部さんは、3年前までラウンジを経営しながら2人の子を育てるシングルマザーだった。

「支援の手が届いていないのではないかと思ったんです。私自身が役所のことも、福祉のこともあまり知りませんでしたし、役所ってハードルが高いイメージなんですよね。このフードパントリーがきっかけになったらって思っています」

もともとお寺には、たくさんのお供え物が寄せられる。それまでも周りに配ってきたこともあり、フードパントリーという発想は自然な流れだった。

初回は、4組6人だったが、回を重ねるごとに参加者は増えている。7回目となった1月は前回より5組増えて、40組の親子が訪れた。食品を受け取ると足早に出ていく人もいるが、多くが少し立ち話をしていく。

「つい子どもをたたいてしまうんです」と言う人がいれば、「そうなんやね」と耳を傾ける。少しでも心の拠り所になって、1日でも2日でも安らかな気持ちになればと願う。「簡単にできるレシピを教えて」と言われ、公式LINEで簡単に安くて美味しくできるレシピを発信するようにもなった。

「2カ月前にアンケートでどこに住んでいるか聞いたんですが、電車やバスを使わなければ来られない人が何組もいました。周囲の人には困っているって言えない人も、困っていることを知られたくない人もいるんやと思いました。何に困っているかは人それぞれなので、支援が必要な人にそのいとぐちが見つかったらと思います」

社協の紹介などでボランティアも増えた。先月から参加しているという技術職の男性(44)は、相談用のテーブルにさまざまな支援が載った資料や、行政の非常勤職員の募集状況一覧をコピーして準備していた。

「今日は、『資格をとって生活を前に進められたら』と話す方がいたので、持ってきたパソコンで一緒に探しましょうと検索しました。わからないことがあっても、そばに区役所や社協の職員の方がいてくださるので、専門家に即座につなげられました」

この日の相談者はほかに3人。深刻な相談は社協職員の中納さんが担当した。

「私たちも窓口にいるだけではなく、アウトリーチ、つまり支援が必要なのに届いていない人たちに働きかける場に出ていかねばならないと感じて動いています。地域の人たちとの協同のロールモデルを作り、支援の輪を広げていきたいと思います」

「必ず道がある、光がある」

岡部さんは、「深刻な相談をしてこられた方は、4回目の参加でした。4回通って、やっと相談ができたんやと思います。必ず道がある、光がある、ということを伝えていけたら。親の不安は子どもに伝わります。いろんなことを諦めてしまう子たちを減らしたい。そのためにシングルマザーを支援していきたい」と話す。

岡部さんの人脈などで寄付金も集まり、当面の運営資金は確保しているが、今後参加人数が増えた場合を見越し、安定した資金確保を模索している。

岡部さんは、住職の妻としての仕事と育児にも忙しいし、前出の松尾さんもワーキングマザーだ。2人が活動できるのは、彼女たちの思いに賛同して一緒に動いてくれる人たちがいるから。

えび庵ふぁんは、朝の掃除と仕込み、調理配膳、終了後の片付けをする人がそれぞれいて、運営できているという。「私にもできることがあれば」という「共助」の思いと、社協の「公助」もあって、2つの活動は広がり始めている。