橋本はその後も、田中が保釈で東京拘置所を出た際、目白の田中邸に駆けつけるや、「短いこの世で一座を組んだのだから、今後も田中先生が政治家をやっている限りついていくんだ」と語り、ここでも田中をいたく感激させている。

 しかし、田中はその後、病魔に倒れて再起不能となる。それから2年後、中曽根政権の後継として、田中が田中派時代にことのほかその台頭に神経を使っていた竹下が、ついには政権を握ることになった。

 一方で、その竹下政権も、竹下の後継をめぐって竹下派幹部の小沢一郎と金丸信が手を握り、派内の主導権争いに発展した。このとき、やはり同派の幹部だった橋本は、同じく梶山静六らと呼吸を合わせ、小沢・金丸らとは別の動きを取っている。そして結果的には、政治家として小沢と決別する道を歩んだのであった。

 田中角栄が、若き日の橋本をスパッと切れる「カミソリ」の切れ味、小沢をドスンと切り落とす「ナタ」の凄みと評し、田中派の流れを継ぐ者として期待を込めて競わせた2人の政治家人生も、結局は2本の線路が交わることはなかった。

 人の世はままならぬものと、泉下の田中の歯ぎしりが聞こえるようでもある。
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。