接骨院の院長をしている松田香さん(仮名・29歳)。会社から「女だから」という理由で正当に評価されず、上司・患者からのセクハラを受けることもあったという(筆者撮影)

うつ病やリストラ、孤独死など中年を悩ます問題はメディアで毎週のように取り上げられる。しかし、苦しいのは中年だけじゃない。10代、20代の最たる死因が自殺である事実が示すように、「生きづらさ」を抱えているのは若い世代も同じだ。本連載ではライターの吉川ばんびが、現代の若者を悩ます「生きづらさの正体」について迫る。

都内某所、待ち合わせた喫茶店にやってきたのは「快活」という言葉がよく似合う、笑顔が明るい女性だった。松田香(仮名)さんは29歳で、大学で保険医療を学んだのちに柔道整復師の国家資格を取得、現在は接骨院の院長をしている。

「新卒で今の会社に就職し、研修後に会社が経営している接骨院に配属されました。院長を任されたのが、2年前のことです」

経歴を聞くかぎり、松田さんの仕事はうまくいっていて、会社でも評価されているように思える。しかし、実際はそうでもないようだ。

「女」というだけで評価されない職場

毎朝7時半に自宅を出て、帰りは早くても21時過ぎ、日付が変わって帰宅することもよくある。「みなし残業」制度のため、どれだけ残業をしても月給は増えない。残業代が実働に見合う金額ではないのは明らかだが、松田さんにとって1番の不満はそこではないという。

「どれだけ仕事の成果を出しても、上からは個人の実力ではなく『女を武器にした』としつこく言われ、正当な評価を受けることができません」

松田さんが勤める会社の上司や役員は、ほとんどが男性だ。営業で新規取引先を獲得するたび、自分が出席していない役員会議で「女を使っている」とやり玉に挙げられる。そしてそれを毎回丁寧に、わざわざ松田さんに報告してくる上司がいる。

「その上司はどうして松田さんに報告を?」と聞くと、松田さんは「私のことをよく思っていないのだと思います」と答えた。彼は、松田さんが院長を務める病院を管轄していて、直属の上司にあたるという。イライラしてよく八つ当たりしてくる彼は、松田さんにとって長年、悩みの種のひとつだった。

松田さんが院長になってから、たまたまスタッフの異動があった影響で、業績が一時的に悪くなったことがあった。役員会議で業績悪化について指摘されるのを恐れた上司は、松田さんに対して「お前のせいで俺が怒られる」「スタッフの管理をちゃんとしろ」「もう顔も見たくない」と、激しく詰め寄った。反論は許されず、威圧的な態度を前にするとひたすら謝ることしかできなかったといい、松田さんは次第に自責の念を募らせていった。

「叱責される際に、具体的なアドバイスや指導を受けたことはあるか」と聞いてみると、松田さんは首を横に振った。上司は、問題解決のために必要な職務を放棄しただけでなく、すべての責任を部下に押し付け、ストレスを感情のままにぶつけただけだったのだ。

さらに、上司や役員たちから「女を武器にしている」と嘲笑されることについて、松田さんはこう語る。「まじめに営業して成果を出しているのに、根も葉もないことを、それも上司たちからでっち上げられて、驚きました。そもそも、会社側は私に『若い女の子要員で』と営業に行かせたにもかかわらず、契約を取ったら取ったで『女を使っている』と非難されるのは意味がわかりません」。

取引先が男性の場合、相手を懐柔することを目的に女性社員に営業をさせるのは、昔からよく行われている悪習のひとつだ。ビジネスにおいては「有効な手段」なのかもしれないが、女性側に大きな負担がかかったり、トラブルに発展するリスクもあるため、ある程度「まともな」感覚を有した会社では今、色恋営業や「女性性を利用している」と見られかねない営業手段はまず取らないだろう。

しかしながら、この会社は松田さんが「女であること」を最大限に利用しようとした。そればかりか、「女が」「仕事で」成果を残せるのは、実力や努力ゆえではなく「女だから」だと揶揄し、1人の社員を、人間を侮辱したわけだ。とても許されることではないと思う。

「女を使っている」と言われるたび、松田さんは「そんなふうに攻撃されるくらいなら、男性に生まれたかった」と思うことが何度もあったという。

上司や患者からのセクハラも我慢

松田さんが「女であること」を煩わしく思ったのは、これだけではなかった。

先ほどの上司とはまた別の男性上司たちから、セクハラを受けることもあった。業務上、1日中上司と2人で作業をしていたとき、なぜか下の名前を呼び捨てにされるようになった。密室で頭を撫でてきたり、体を触られたりもした。嫌がってもやめてくれないので後日上に報告をしたが、会社の対応は軽い口頭注意のみだったという。

松田さんは続けて、こう話した。

「でも、相手がスタッフならまだマシです。患者さんだともっと大変なので」

松田さんを含め、女性スタッフが患者から体を触られることは少なくない。個室で施術する際、男性の患者に腕をつかまれて、無理やり体を触らさられたこともある。ほかにも、往診で訪れた男性宅で、突然抱きつかれて頬にキスをされたこともあった。

「気持ち悪い」と思っても、院長である手前、激しく拒絶することはできない。スタッフを守る立場であるため、もめ事にならないよう相手の怒りを買わずにうまくかわすようにしている。

そんな松田さんは1度だけ、身の危険を感じたことがあった。松田さんに好意を寄せていた30代の男性が、アプローチのために病院に足しげく通うようになり、次第に迷惑行為がエスカレートしていったのだ。

ある日、施術中に「足が痛いのでズボンを脱ぎたい」と言い、陰部を露出されたことがあったという。嫌悪感を覚えつつも、相手が望む反応をしないようにバスタオルをかけてやり過ごし、服を着て帰ってもらうことにした。それから2時間ほど経った夜22時頃。スタッフもみんな帰ったのでシャッターを閉めるために外に出ると、帰ったはずの男が待ち伏せしていて、松田さんに歩み寄ってきたという。

あたりには人けがなく、助けてくれる人はいない。「電話番号、教えてください」と執拗に迫られ、断っても食い下がってくるため、仕方なく無理やりシャッターを閉め、男が立ち去るのを待って帰った。このときばかりはさすがの松田さんも参ってしまい、今後も仕事を続けられるかどうか、不安に思うこともあったようだ。

松田さんが勤めているのは典型的な「男尊女卑」を守り続ける化石のような会社で、女性はどんな役職に就いていようと、とにかく男性を立てるよう求められた。松田さんがどれだけ専門知識や経験を積み重ねていても、会社の方向性を決める際には実務経験がない男性社員の意見が尊重され、ほとんど発言権は与えられない。

松田さんの年収は、院長手当を含めて390万円。これまでキャリア優先で働いてきたため、どれだけ悔しい思いをしても仕事を辞めることはなかった。しかし、院長まで上り詰めてしまった今では、現在の会社でこれ以上出世することはないという。つまり、松田さんにとって、会社に残り続ける理由はもうないのだ。

いつまでも男性優位な社会の「歪み」

現在、松田さんは働きながら転職活動をしている。すでに1社から内定をもらっており、3月には今の会社を退職して、4月から同業他社に入社予定だ。「今の業界はとくに男性社会だ」と感じてはいるものの、6年間築き上げてきた経験を生かして、次のキャリアにつなげたいと考えている。

業界内での転職を決めた理由を聞くと、こう話してくれた。「モデルケースと言っちゃうとおこがましいんですけど。これから私が業界内でキャリアを積むことで、部下や後輩の女性たちが働きやすい環境づくりに少しでも貢献できれば、と思っているんです」。

取材を終えて、何気ない会話の中で「1人でも楽しく生きていけるくらいの収入があればいいですよね」と笑う松田さんはひたむきで明るく、強くて芯のある女性だった。私は松田さん以外にも、これまでたくさんの優秀な人材が「女性だから」「前例がないから」といった理由で、昇進や成長機会を奪われてしまったケースを見聞きしたことがある。

それだけでなく、とくに「男性社会」の風潮が根強く残っている会社においては、酒の席で女性社員をホステス代わりに扱ったり、男性社員のご機嫌を取らせるツールとして利用することが今でも普通に行われている。

「今時、そんな会社ないでしょう」と言う人たちが知らない世界は、確かに存在している。松田さんの言葉の一端に、どこか社会の歪みのようなものを感じた。