京浜急行電鉄は2020年3月、6つの駅名を同時に変更する。JR東神奈川駅との乗換駅でもある仲木戸駅は「京急東神奈川駅」となる(編集部撮影)

京浜急行電鉄(京急)が今年1月、2020年3月に4駅の駅名を変更するとアナウンスして話題になった。さらに翌月には、羽田空港国際線旅客ターミナル等の名称変更に合わせ、空港線2駅の駅名変更を実施すると発表した。こちらも2020年3月なので、一挙に6駅の名前が新しくなる。

これだけでもあまり例のない出来事であるが、羽田空港関連の2駅を除く4駅については、沿線の小中学生を対象とした「わがまち駅名募集」が変更に発展したものであり、子どもの意見を参考にして駅名を決めるというのは、筆者が記憶する限りでは前代未聞だ。

72駅を対象に「駅名募集」

なぜ京急はここまで大胆な駅名変更プロジェクトを実施したのか。同社広報部の説明を交えて紹介したい。

「2018年に創立120周年を迎えたことを機に、いくつかの記念事業を打ち出しました。その中で沿線地域の活性化とともに、地元に愛着を持ってもらいたいという気持ちから、募集に踏み切りました。子どもたちにとっては、駅名の意味を考えるいい機会ではないかとも思いました」(同社広報部)


産業道路を横断していた大師線の電車。現在は連続立体交差事業で地下化されている=2019年3月(編集部撮影)

ただしそれ以前から、変更を予定していた駅はあった。大師線の産業道路駅だ。大師線は川崎市の都市計画事業として連続立体交差事業を進めており、駅が地下化され駅前広場が変わる産業道路駅の駅名変更について市と協議を進めていた。そこで前に挙げたような理由もあり、産業道路駅以外にも数駅について変更を検討することにしたのだ。初めに産業道路ありきだったのである。

ニュースリリースの形で駅名募集を公表したのは昨年9月だった。そこでは泉岳寺駅を除く72駅全駅を対象としていたが、本線の品川駅や横浜駅といった他社線との乗り換え最寄り駅、東京都の運転免許試験場の地名として知られている鮫洲駅など、合計26駅については駅名変更を予定していないことも掲げられた。

ところで京急の駅名と言えば、期間限定で駅名看板を変えたことで話題になったことを記憶している読者もいるだろう。


三崎口駅の駅名看板は「三崎マグロ駅」に(編集部撮影)


京急蒲田駅は「北斗の拳」とのコラボ期間中に駅名看板を変更した=2018年8月(編集部撮影)

まず2017年10月、電車・バスの乗車券と三浦・三崎地域のまぐろ食事券、施設利用券をセットにした企画乗車券「みさきまぐろきっぷ」のリニューアルに伴い、久里浜線三崎口駅の駅名看板を「三崎マグロ駅」にした。

続いて翌年7月からは、漫画「北斗の拳」とのコラボレーションで、北斗の拳35周年×京急120周年記念「北斗京急周年のキャンペーン」を実施したことに合わせ、いずれも本線の京急蒲田駅を「京急かぁまたたたたーっ駅」、上大岡駅を「上ラオウ岡駅」、県立大学駅を「北斗の拳立大学駅」と、3駅の駅名看板を北斗の拳仕様にした。

「北斗の拳とコラボした3駅は同年9月で予定どおり終了したのですが、三崎マグロ駅は好評だったことから現在も継続しています。ちなみに当社ではこの4駅については駅名看板の特別装飾と呼んでいて、駅名変更とは別物とみなしています」

変更が決まった駅は…

話をその駅名変更に戻すと、今回駅名変更を発表したのは産業道路駅のほか、本線の花月園前駅と仲木戸駅、そして逗子線の新逗子駅だった。

産業道路駅は大師橋駅に変わる。前述のように、大師線の連続立体交差事業によって地下駅になったのを機に、地元シンボルのひとつでもある橋の名前に変更する。産業道路という道路は全国各地にあり、しかも地名ではなく道路名だ。大師橋のほうが場所を特定しやすいという利点もある。


花月園前駅は「花月総持寺駅」に変更する(編集部撮影)

花月園前駅は花月総持寺駅になる。花月園はかつて駅前にあった遊園地の名前であるが、第二次世界大戦後まもなく閉園となっており、その地に開設された花月園競輪場も2010年に閉場していたこともあって、曹洞宗大本山として有名な總持寺(總の字が駅名と異なる)の名前を入れることにしたという。

京急本線の花月園前と京急鶴見駅の間には第二次大戦中まで、その名も総持寺駅が存在していたので、復活という言い方もできる。ただし總持寺へは京急鶴見駅からも徒歩圏内なので、両駅が最寄り駅であることを伝えるために花月の2文字を残したという。

仲木戸駅という名称は、江戸時代に将軍の宿泊施設である神奈川御殿があり、柵を作った門を設けて警護したことが由来とされる。しかしJR京浜東北線・横浜線の東神奈川駅が隣接し、現在は乗換駅として認められているので、横浜線沿線にある日産スタジアムへ向かう利用者も考え、京急東神奈川駅とした。


羽田空港発のエアポート急行。電車の行き先も「新逗子」から「逗子・葉山」へ表記が変更になる(編集部撮影)

最後の新逗子駅は、観光客が急増している葉山の名前を逗子に加えて逗子・葉山駅とすることで、利用者増加を図る狙いがあるようだ。京急では企画乗車券「葉山女子旅きっぷ」を販売しており、三崎マグロ駅のような関連付けを持たせたという目的もある。新逗子は羽田空港からのエアポート急行の終着駅でもあり、行き先としてこの駅名が表示されれば、葉山方面へ向かう電車であることをアピールできるだろう。

これらとは別に羽田空港のターミナル再編に伴い、空港線の羽田空港国内線ターミナル駅は羽田空港第1・第2ターミナル駅、羽田空港国際線ターミナル駅は羽田空港第3ターミナル駅に名称を変更する。

副駅名標の採用も

今回の駅名募集の応募総数は1119件に上っており、もちろん4駅以外の意見も寄せられた。そこで10駅については「副駅名標」を掲げることになった。

これまで京急では企業や学校、商業施設などの名称を、広告料を取って駅名標に掲出した「副駅名称広告」はあったものの、公共性・公益性の高い施設や名所旧跡などの認知度向上、利用者の混乱回避などを目的として無償で表記する副駅名標は初採用になる。

10駅のうち4つは上記4駅の旧駅名で、残る6駅には鮫洲「鮫洲運転免許試験場」、京急鶴見「大本山總持寺」などがある。副駅名称広告は新馬場(寺田倉庫前)のように丸括弧で表記していたのに対し、副駅名標は鮫洲【鮫洲運転免許試験場】のように角括弧を用いるので識別可能だ。

「中には現在の駅名のままにしてほしいという意見もありました。募集の際には読み方が難しい駅の変更も想定していましたが、難読駅名のひとつであると認識されていた雑色駅は、読みやすくすることが沿線活性化につながるわけでないとの判断もあって変更に至りませんでした」

【2019年5月30日14時20分追記】初出時、難読駅名についてのコメントの内容に事実と異なる点がありましたので、表記のように修正しました。

駅名変更に掛かる費用は公表していない。羽田空港関連を含めた6駅で数億円というところだろう。京急に乗り入れる東京都営地下鉄や京成電鉄なども、路線図の変更が必要になるが、これらは相手側の負担になる。それを考えれば6駅を一斉に変更することは助かるかもしれない。

ところで京急の歴史を振り返ると、駅名の変更はこの鉄道会社にとって、それほど珍しい出来事ではないことがわかる。

たとえば今回変更が発表された新逗子駅は、もともと京急逗子と逗子海岸という2つの駅の間の距離が近かったことから、列車の編成が長くなるのを契機に併合して新逗子駅になったという歴史を持つ。前出の新馬場駅も、高架化に伴い北馬場駅と南馬場駅が統合して生まれた。

「YRP野比」は絶妙な名称だ

京急では唯一のローマ字使用駅名である久里浜線YRP野比(わいあーるぴーのび)駅は、京急のほか総務省や横須賀市などが推進組織となってICT研究開発拠点「横須賀リサーチパーク」が建設されたことに合わせて、1998年に野比駅から切り替わった。


YRP野比駅は1998年に野比駅から変更された(編集部撮影)

あえてローマ字を使ったのは、先進的なイメージを強調するとともに、野比の地名を残すことで地域活性化につなげたいという思いもあったという。横須賀リサーチパーク駅とするより簡潔であり、立地がわかりやすい、絶妙な名称だ。

住宅開発によって変わった駅名もあった。本線の能見台駅は昔は谷津坂駅だったが、京急がこの地域で住宅地を開発するのを機に、江戸時代に建てられた地蔵堂である能見堂から名を取って能見台と名付け、駅名をそろえた。

さらに歴史をさかのぼると、大師線の港町駅と鈴木町駅は、第二次世界大戦前はコロムビア前駅、味の素前駅という名前だった。いずれも工場のあった企業名をそのまま駅名としたもので、戦時中の外来語禁止や防諜上の理由から地名に改めた。


鈴木町駅(画面右)は戦前、「味の素前駅」という名称だった(編集部撮影)

現在日本コロムビアの工場はなく、跡地には京急が建設した3棟の高層マンションがそびえ立つ。しかし港町駅には、この地をモデルとした美空ひばりのヒット曲「港町十三番地」の歌碑が飾られ、ボタンを押すと美空ひばりの歌声が流れるようになっており、工場があったことがわかる演出となっている。

一方の味の素工場は現在も稼働中であるが、地名にもなっている鈴木町の名前は味の素の創始者、鈴木三郎助に由来しており、勤務者はもちろん住民にも親しまれているので、港町ともども変える予定はないそうだ。

「北品川」は変えないの?

個人的には品川駅のひとつ南が北品川駅というのはがわかりにくいのではないかと思っていたので尋ねると、次のような答えが返ってきた。


北品川駅は品川駅より“南”に位置する(編集部撮影)

「北品川はある意味、七不思議のような存在で親しまれているので、現状では変えようという動きはありません。ただし品川駅の拡大工事と同時に北品川駅周辺は高架化されるので、品川宿や御殿山に近いことは配慮されるかもしれません」

京急にとって駅名公募は初めての経験であり、ここまで多くの意見が寄せられるとは思わなかったという。駅名が地域にとって大事なものであると再認識したそうで「変えて終わり」ではなく、むしろ地域活性化のスタートとなるよう活動していきたいと語っていた。