東海大学編「原貢氏によって築かれた『首都の盟主』のつながり」【前編】

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 東海大学野球部と言えば、読売巨人軍の監督に復帰した原 辰徳監督と、その甥っ子であり巨人軍のエースもある菅野 智之が象徴的な存在となっているが、その他のOBを見渡しても、多士済々な顔ぶれが並ぶ。今回は、そんな東海大野球部の歴史を振り返りながら、OBのつながりも見ていきたい。まずは、1990年代に卒業したOBから見ていこう。

「首都の盟主」の基盤を作った故・原貢氏の存在東海大相模時代の原辰徳監督(巨人)

 東海大学野球部の歴史を語る上で、欠かすことが出来ないのが故・原貢氏の存在だ。 今では「首都の盟主」の異名を全国に轟かせる東海大学野球部であるが、大きな盛り上がりを見せ始めたのは、故・原貢氏が息子である原辰徳の進学と共に東海大学野球部監督に就任してからだ。

 原 辰徳の人気に引っ張られるような形で、東海大の名は一気に全国区となり、プロ野球選手の排出速度も一気に加速していった歴史がある。

 1980年、原 辰徳が卒業時には、津末英明、市川和正の2名も同時にプロ入りを果たし、その後も井辺康二や青山道雄、高野光に内田強といったプロ野球界で長く活躍を見せた選手が、続々とプロ入りを果たした。

 さらに内田強の1学年下には、現在、読売巨人軍のスカウト部長を務める長谷川国利がプロ入りし、さらに同学年には日立製作所野球部監督の和久井勇人監督や東海大学野球部前監督の横井人輝氏も在籍。

東海大菅生の監督して2017年の全国高校野球選手権大会でベスト4に進出した若林弘泰監督

 その下の世代でも、現在の東海大学野球部監督を務める安藤強監督や、渡辺伸治や佐藤真一といったプロ野球選手が誕生し、現在の東海大菅生の監督を務める若林弘泰監督も1988年に東海大学を卒業した世代になる。 1980年代のOBでも、日本の野球界を牽引する人材が揃っており、その多彩な顔ぶれに非常に驚かされる。

 そして1990年代に入ると、現在の東海大相模監督の門馬敬冶監督を輩出する。門馬監督は、東海大相模高校時代は主将を務めるも、大学時代は怪我のためマネージャーに転向し、監督に再就任していた原貢監督から薫陶を受けたのだ。

 さらに門馬監督の2学年下には、後にメジャーリーガーとなり、WBCでもストッパーとして獅子奮迅の活躍を見せた大塚晶則氏が在籍。 門馬監督の存在や、大塚氏の活躍が、2000年代の東海大学の隆盛の礎となったと言っても過言ではないだろう。

1900年代に輩出した東海大学出身のプロ野球選手を一挙紹介メジャーリーグに挑戦し、WBCの胴上げ投手にもなった大塚晶文氏(写真は2015年インタビューにて)

 ここからは1900年台に卒業した東海大学出身の選手の中で、プロ野球界へと進んだ選手を一挙に紹介していく。一時代を築いた名選手から、現在も球団の重責を担うポジションを任されるOBまで、多士済々な顔ぶれが並んでいる。それでは早速見ていこう。

◆1900年代に輩出した東海大学出身のプロ野球選手※球団は入団した球団渡辺孝博 1971年ドラフト5位 ヤクルトアトムズ上田次朗 1969年ドラフト1位 阪神タイガース遠藤一彦 1977年ドラフト3位 横浜大洋ホエールズ石井昭男 1977年ドラフト3位 中日ドラゴンズ木下智裕 1979年ドラフト1位 阪急ブレーブス原 辰徳  1980年ドラフト1位 読売ジャイアンツ津末英明 1980年 ドラフト外 日本ハムファイターズ市川和正 1980年ドラフト4位 横浜大洋ホエールズ伊藤寿文 1983年ドラフト4位 広島東洋カープ井辺康二 1981年ドラフト1位 ロッテオリオンズ青山道雄 1983年ドラフト3位 西武ライオンズ高野光  1983年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ内田強  1985年ドラフト3位 中日ドラゴンズ宮下正彦 1986年ドラフト外 横浜大洋ホエールズ長谷川国利 1984年ドラフト4位 横浜大洋ホエールズ酒井勉  1988年ドラフト1位 オリックス・ブレーブス渡辺伸治 1985年ドラフト3位 阪急ブレーブス佐藤真一 1992年ドラフト4位 福岡ダイエーホークス荻原満  1987年ドラフト外 読売ジャイアンツ若林弘泰 1991年ドラフト4位 中日ドラゴンズ関根毅  1988年ドラフト5位 ヤクルトスワローズ 安藤学  1992年ドラフト6位 千葉ロッテマリーンズ加藤高康 1993年ドラフト1位 千葉ロッテマリーンズ大塚晶文 1996年ドラフト2位 近鉄バファローズ森中聖雄 1996年ドラフト2位 横浜ベイスターズ佐竹学  1996年ドラフト4位 オリックス・ブルーウェーブ相川良太 1998年ドラフト3位 オリックス・ブルーウェーブ(以上、27名)