以前、友人の僧侶に「人間、世間的には幸福な大往生と言われるぐらいの年齢まで生きられても、いよいよの時にはみんな少なからず後悔の言葉を口にする」と説教を受けたことがある。100%確実にそうとは言い切れないものだけど、そういう人は多いのかもしれない。

人間なんて「あのときああしていれば」の連続で生きている。誰にもその心中を吐露しなくても、内心そう感じたまま死ぬ人だって、少なくないはずだ。そうなってくると大切になるのが、人生を上手く渡って楽しむことじゃなかろうか。となれば、そのために必要なものって何なのか、という話になってくる。(文:松本ミゾレ)

「『俺のやり方にケチつけんじゃねえ』って態度のヤツのほうがなんだかんだ強い」


冒頭の疑問に対する一つのアンサーになりそうなスレッドがある。先日2ちゃんねるに立っていた「社会舐めてるヤツの方が人生上手くいってね?」というものがそれだ。

スレ主はまず「真面目なヤツほど人生つまんなそう」と書いている。そう思う理由もいくつかあるようで、

「態度が横柄なヤツのほうが上司から評価が高い。どうなってる」
「『俺のやり方にケチつけんじゃねえ』って態度のヤツのほうがなんだかんだ強い」

と書き込んでいる。きっと色んな人のことを彼は観察してきたんだろう。

真面目って、今の時代あんまり得をしない。余計な厄介ごとを「頼りにしてるから」とか何とかいう言葉と共に押しつけられ、割を食うような生真面目で遊びを知らない社会人は大勢いる。そういう人は周囲からも、単なる便利なコマ程度にしか見られていない。これは事実だ。

そして、そんな生真面目な人を贄として、"遊びを知っている"連中は上手に手を抜きつつ、上司のおぼえのよろしいことをしてのける。「真面目」は好ましいとされるが、その実は不真面目で遊びを知る人々の、身代わり人形みたいなものだったりするのだ。僕の同級生にも、遊びを知らないまま三十路を越え、未だに燻っている者がいるが、そういう人生を追体験したいか聞かれたら、どうだろうか。

「会社の為に〜ってやつが出世してるの見たこと無い」

そもそも人間は、真面目一辺倒で人生を終えるような身体設計をされていない。ストレス発散は大事だし、俗悪な趣味は快楽だ。動物であるので、食って寝ることを何よりの主是として楽しまなくては、早々に病気になって早死にする。

「誰かのために」と押し付けられた仕事をこなす真面目な人は、早晩死んでしまう。そしてお葬式で「イイ人から先に天国に行っちゃうなぁ」と言われて、半月もすれば忘れられるだけだ。そんな人になりたいか。

社会としては、不真面目な人々の跋扈は望ましくないとされているので、誰も推奨はしないんだけど、僕はもっとみんな自己中心的に振舞ったほうがいいと思う。色んな人間がいても、どうせ社会は正常に機能するわけだし。

実際、スレッドにはその証左のような書き込みもある。いくつか紹介しておきたい。

「会社の為に〜ってやつが出世してるの見たこと無い」
「毎日終電近くまで残業してる同期はヒラで昇給もほとんどしてないけど、30分ごとにタバコ吸いに行って定時にはあがる俺は2年で主任になれた。上司との仲ですべてが決まる」

手抜きできる部分で手を抜いて、趣味を持ち、教養にも目を向けて、美味い飯や酒を飲んで充分な睡眠を取り、セックスも人並みに楽しむこと。こうでもしないと、人生は面白くもなんともなくなる。

せっかく生まれたんだから、楽しむことにもう少し能動的になってみてはいかがだろうか。さもないと、今際の際に「こんな人生で良かったのかなぁ」と人一倍悩んで、悔やんでしまうことになるし。