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●つらいことも笑って乗り越えられる

2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。

第10回は、平成2(1990)年12月にスタートした、フジテレビ系バラエティ特番『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(今年は、12月24日深夜1:10〜3:10)。番組スタート時から、明石家さんまふんする“明石家サンタ”の横でアシスタントを務めてきた八木亜希子に、長年続く同番組、そしてさんまの魅力などを聞いた――。

○生放送でさんまが遅刻危機

――28年間の放送で不幸話もものすごい数になりますが、特に印象に残っている話はなんですか?

一番印象に残ってるのは、携帯電話が普及し始めた頃で、家の中で電話をかけるとうるさくて怒られるということで、外に出てかけていたら家族に気づかれずに鍵を締められて、イブの夜に寒い思いをしながら電話してますという人ですね(笑)。本当に寒そうで、いろんなシチュエーションでかけてくる人がいるんですよね。「今、彼女と別れてきました」とか「彼氏にフラれました」とか、生々しいことを語ってくれる人も覚えてます。

――生放送ならではのハプニングもありましたよね。

入社9年目のときにフジテレビがお台場に引っ越したんですけど、当時は今以上にすごい観光地で、クリスマスの夜がものすごい渋滞になったんです。それで、「さんまさんが間に合わないかもしれないから、最初八木1人でやることになるかも」と言われて、セットにスタンバイしたこともありました。三宅(恵介ディレクター)さんがレインボーブリッジに自転車で迎えに行くなんて話もしてたけど、結局ギリギリ間に合ったのかな?(笑)

――ナンバーポータビリティが普及し始めて、不合格の人が直接スタジオの電話にかけ直してきたこともありましたよね(笑)

ありました!ありました! こっちの着信履歴が出ちゃってね。平成って電話の進化の歴史なんですよね。私の最初のレギュラーは『笑っていいとも!』のテレフォンアナウンサー(「テレフォンショッキング」でお友達に電話をかける役)だったんですけど、最初は黒電話で“テレ隠し”を使っていたのが、コードレスになって、携帯でかけるようになって。『明石家サンタ』も電話のスタイルがどんどん変わって、「非通知の着信拒否を解除してくださいね」とか、いろんな案内をするようになりました。

――さんまさんとはいろんな番組で共演されていますが、『明石家サンタ』だけで見せる特別な顔ってあったりしますか?

さんまさんはね、いつでもどこにいてもあのまんまで変わらないんですよ(笑)。たぶん、お1人でいるときだけが唯一変わってる姿で、30人いる特番だろうが、ゲスト1人の番組だろうと変わらないんです。そんなさんまさんが発するオーラというか、空気感やテンポを演者もカメラさんもみんなが感じ取って動いていく感じが、特徴的なスタイルだと思います。でも、私は最初の『明石家サンタ』が終わった後、さんまさんが不幸話をする人の電話を途中で切ったり、不合格だと言ったりするのを「かわいそう」だって言ってたんですよ。そしたらその生放送が終わった翌週に、三宅さんから「そんなに良い子に見せたいのか? 目の前の人に冷たく思われても、放送を見てる多くの人が納得すればいいんだよ」と言われて。実は、そういう“多くの人が見てフェアであるべき”というテレビの本質というのを、ニュースではなく、この番組から最初に学んだんですよね。次からは、むしろ私もガンガン電話を切るようになりました(笑)

――さんまさんから受話器を奪い取って切るときもありますよね(笑)

さんまさんは唯一、女の人が相手になるとフェアじゃないときがあるんです。ある時、かわいい声の人が電話してきて、もう全然不幸な感じじゃないのに「そうかぁ、そうかぁ」って話聞いて、「さんちゃん、お願〜い」とか言われて全然切らないから、私が奪い取って「すいません、もう時間なので」と言って切ったのが最初だったと思います(笑)

○街で「ファンです」と呼びかけられ…

――恒例の「八木さん、ファンです」「どこが?」「別に…」のやり取りは、どうやって生まれたのでしょうか?

あれは本当に自然発生的に生まれたんです。男の人が電話を切られる直前に「八木さん、ファンです」と言ったら、さんまさんが普通に「へぇ、どこが〜?」って聞いたんですよ。そしたら、「ファンです」って言うことに対して、まさか「どこが?」って聞かれると思ってなかったみたいで、とっさに「うーん、別に…」って答えたのがさんまさんのツボにハマったんです。それから次にかける人、次にかける人にそのやり取りをやって定番化したんですけど、いまだに視聴者の皆さんがそれを忘れないで続けてくださって(笑)

――街で言われることもありますか?

ありますあります! 突然「八木さん、ファンです」って言われて、「どこが?」って返し忘れて「ありがとうございます」って言っちゃうと、「『どこが?』って聞いてほしかったんです…」って怒られることもあって。で、『明石家サンタ』の放送が終わってすぐのときに「八木さん、ファンです」って言われたことがあって、調子に乗って「どこが?」って返すと、このやり取りを知らない人で「えっと!えっと!」って焦っちゃって…。結構難しいんですよ、あれ(笑)

――同じノリで話しかけてくるから、判別できないですよね(笑)。あらためまして、この番組がここまで続いてきた理由は何だと思いますか?

作りがシンプルなことと、毎回相手が変わること、そして、さんまさんのトーク術のすごさを楽しむことができることじゃないですかね。それに、平成の30年間にいろんなことがあって、不幸なことも時代とともに変化していったんです。始まった頃はバブルで浮かれてる人たちの中で、表に出てこない不幸な人にスポットを当てていたのが、不幸事をことさら取り上げて良いのかという時期もあったんですけど、逆にかけてくる人のほうが元気に笑い飛ばしてくれるんですよね。経営破たんした山一證券の人とか、つい昨年も経営危機の東芝の人が電話してきて、社名を出しただけで鐘が鳴る(笑)。つらいことも笑って乗り越えていけるんだということを、私は教えられたなと思いました。

――スキャンダルのあった芸能人の方からの電話は、昔から変わらないですよね。

きっとさんまさんが他の番組で会ったときに「かけてこいやー」ってスカウトしてるんだと思いますよ(笑)。ご本人がかけてきて、それでさんまさんのトークと鐘を鳴らすことで、年末にお清めするみたいな感じですよね。

●番組卒業の雰囲気があった年

――『明石家サンタ』は、八木さんが入社3年目の頃に始まったんですよね。

はい。それから、さんまさんと三宅さんと何のロマンチックなこともないイブをずっと過ごしています(笑)。まさに自分の歩みとともにこの番組がある感じですね。

――ご結婚されて、アメリカに滞在されていた時期も、この番組のために日本に戻ってきていましたよね。

結婚してアメリカに住むことになったので、さんまさんとはなんとなく「もうできなくなっちゃいますね」みたいな感じで話していたんです。でも、三宅さんに「別に辞めなくてもいいんじゃない?その都度考えれば」って言われて…。あらためてさんまさんに相談したこともあったんですけど、「正解はない」ってお返事だったんです。で、そのまま、別にアメリカから帰ってこられないわけでもなかったので、「まぁ自然な流れで」みたいな雰囲気になって、とりあえずやれないことがない限りお話をいただけるなら続けようかなと思って、今に至ります。その後大きな変化もなかったので、ここまで来ちゃったって感じですね(笑)

――この席は譲らないぞ、という気持ちではないんですか?

全然ないです(笑)。毎年、10月くらいになると「今年もあります」って連絡が来て、「あぁ、今年もありがたいなぁ」みたいな(笑)

○「テレビは昔のほうが面白かった」論のカラクリ

――昭和の最末期にフジテレビに入社された八木さんにとって、平成の30年は、まさに八木さんのテレビでの歴史でもあると思うのですが、この間の変化はどう感じていますか?

一番大きいのは通信手段の変化ですよね。学生のときにNTTの説明のバイトをしてて、当時もパソコンじゃなかったと思うんです。「キャプテンシステム」っていうのがあって、双方向通信ができるなんて言ってた頃で、入社2年目くらいに携帯を持ち始める同僚がいたくらい。そういう通信機器の変化に伴って、カーテンの向こうにいた芸能人がググググって手のひらに乗るまで近づくようになって、テレビの存在感が大きく変わったなと思います。でも、「今後、テレビは大丈夫なのか」とか議論になったりするじゃないですか。私には全然分かりませんが、テレビが出てきたときも、映画やラジオがなくなるんじゃないかと言われたと思うんですけど、今でもありますからね。映画館は満杯になるし、私もラジオをやっていて皆さん聴いてくださってるし、パイは少なくなるかもしれないけど、このままこんな感じなのかなぁって思います。

――よく「テレビは昔のほうが面白かった」と言われたりしますが、それについてはいかがですか?

それは、面白いものだけが残ってみんな見返すから、そう感じる人がいるんだと思いますよ。この前、自分が出てたバラエティ番組をいくつかまとめたビデオがフジテレビのアナウンス室から出てきたというので送ってもらって、それを久しぶりに見たんですけど、中にはつまんなくて衝撃を受けたものもあって(笑)。だから、昔は面白かったとか、質が高かったとか言うけど、面白いものだけが“神7”として残ってるだけなんですよ。『明石家サンタ』が同じスタイルで続いても、話す人が違ったり時代が違ったりして、さんまさんのような実力のある人が優れた料理に変えてくれるから、ずっと面白い番組として残ってきたということですよね。

――入社した頃のフジテレビは、バブル絶頂で視聴率もトップで、相当にぎやかだったんでしょうね。

でも、変な人も多かったですよ。お金のあるところはにぎやかだけど、その分変な人が近づいてくる確率が高かったので、普通に騙されてる人とかいましたからね(笑)。あと、カラースーツを着てる人が結構いました。青とか、黄色とか(笑)

――いろいろお話をお聞かせいただきありがとうございました。最後に、八木さんの不幸話をお伺いできれば…。

私、番組に出るときは必ず結婚指輪をつけていたんですが、『明石家サンタ』はサンタさんが結婚指輪してるのは変だろうと思って、結婚して1〜2年たってから、夫の許可も取って外して出たんです。そしたら、“仮面夫婦疑惑”が出るようになっちゃって! アメリカに行ってるはずなのにクリスマスに番組出てるし、結婚して少したった頃だったから、インターネットで「八木亜希子」と検索すると「仮面夫婦」って出るようになっちゃって。周りの友達みんなから「旦那さんとうまくいってるの?」ってすごい聞かれるようになったことがありました(笑)