東京タワーから見下ろした東京の街には一体どんな過去があるのでしょうか? 日本最大のオフィス街である東京駅周辺は再開発が次々と行われています。東京駅丸の内駅舎は2012年にリニューアルを終え、昔の姿を新しい形で見ることができるように。このエリアの再開発はオリンピック後まで続くそうで、2020年以降には東京駅周辺の街並みは大きく変貌を遂げることになります。ですが、見た目は変わっても、そこに住んでいた人々の変わらない心もあります。今回は、東京駅の「初代駅長」についてのお話です。


雷おやじと呼ばれた「東京駅」初代駅長、その立派な生き様とは?



東京のシンボルのひとつとなっている、東京駅丸の内駅舎。
2012年に赤レンガ駅舎を復元しリニューアルしましたが、ご存知のように初めて建てられたのは今から約100年前の大正3年。
今回は、そんな100年前の東京駅にタイムスリップです。

アムステルダム中央駅をモデルにした赤レンガ3階建て駅舎。
日本で一番立派であろう、この駅の初代駅長は、高橋善一(たかはし・よしかず)という人物でした。
蒸気機関車の油差し係だった高橋さんは、その仕事ぶりから当時の総理大臣に「君さえいれば、鉄道は心配ない」と言われたほど。

そんな高橋さんのニックネームは「雷おやじ」。
とてもよく怒鳴る人で、部下から恐れられていたとか。
でも、決して嫌われてはいませんでした。
高橋さんは、「鉄道生活に一度のミスもなかった」と言われるほどの人物。
人に、そして誰より自分自身に、厳しかったのです。

高橋さんは情に熱く、とても面倒見の良い人でした。
ひとりの部下が3人の子どもを残して亡くなったときのこと。
一番上の子どもを東京駅に就職させ、その家を経済的に助けたのです。
なんと、そのとき、その子はまだ10歳。
もちろん異例中の異例でしたが、高橋さんは責任を持って駅員として育てました。

そんな高橋さんは、72歳(※年齢は諸説あります)のある日、自動車の事故で亡くなってしまいます。
突然の死を悲しみ、葬儀には時の総理大臣、そして大正天皇も駆けつけました。
彼の棺は東京駅舎の前をゆっくりと通り、職員全員が整列して見送ったといいます。

100年前、丸の内のあの場所で、部下に雷を落としていた初代駅長。
人々の思いと共に、東京駅はまた新しい歴史を刻み始めています。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「100年前の東京駅長」として、10月4日に放送しました。

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