今週(4月19日〜22日)は「日本人の色と恋」をテーマに、日本特有のいろいろな色恋に関する文化をご紹介しています。3回目の今回の舞台は「カフェ」。カフェとはもちろん喫茶店のことを指すと思うのですが、昭和の始め、戦前の日本では、今のカフェとは違った意味があったようです。


戦前の日本の「カフェ」は、恋の場所?



カフェというとコーヒーを飲んだりゆったりしたり、街にあるお洒落な飲食店をイメージしますよね。
カフェが日本に入ってきた明治大正の時代も、文化人や作家など最先端の人々が集まる、どこよりもお洒落な場所。
ですが、戦前の日本、昭和初期には「カフェ」は違う意味を持っていました。

昭和5年、大阪の北新地になんと「ウエイトレスとキスができるカフェ」が登場。
店の名前は「べニア」。
接吻カフェとして大ヒットしました。
それまでもカフェにはウエイトレスがいて、江戸時代のお茶屋の娘のように、彼女たちはお客にとっては高嶺の花でした。
そんなウエイトレスと接吻ができるとあって男性は大喜び。
こうした形態のカフェが東京にも一気に広まっていったのです。

カフェという名前でも、置いてあるのはお酒やつまみ。
女性たちにちょっとセクシーなサービスをしてもらいながら、お酒を飲む……。
コーヒーを置いていないところすらありました。
そして営業後の同伴などもあったよう。
そう、昭和に入ると「カフェ」は、現在のキャバクラやスナックのような存在に変わっていったのです。

困ったのは、それまで「カフェ」としてコーヒーや軽食を提供していた本物の喫茶店。
「カフェ」のイメージが変わり、文化人や作家などが集まらなくなってしまったのです。
なんとかセクシーカフェとの区別をはっきりさせたい……そう思った本来の「カフェ」は、「純粋にコーヒーを楽しめる喫茶店」という意味で「純喫茶」と名乗るようになりました。

女性と恋のかけひきをするカフェ、純粋にコーヒーを楽しむカフェ。
昭和の男性たちにとっては、どちらもそれぞれ、心はずむ場所だったのかもしれませんね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「戦前のカフェは、恋の場所?」として、4月20日に放送しました。

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<番組概要>
番組名:「シンクロのシティ」
放送日時 :毎週月〜木曜15:00〜16:50
パーソナリティ:堀内貴之、MIO
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/city/