画像はイメージです

モンスタークレーマー、といった言葉が流行って久しい。「お客様は神様」という言葉を振りかざし、店側に理不尽な要求を突き付ける――そんな風潮は、なぜ広まってしまったのか。

そもそも、かつての日本ではどうだったのだろうか。昭和一桁世代のぶらいおんさんに、このクレーマー問題についての意見を聞いた。

かつての店では、提供側も受益者側も対等に近かった

先ず、矢張り、皆さんお疲れなのでは?と感じますね。

簡単に引っ括って、言えば、現代生活でストレスが溜まり過ぎ、それを、何処か発散できる場所を探しているうちに、手近で、一番安直なところへぶちまける、と言った結果なのでしょうかね。それと同時に、矢張りイジメの時代を象徴しているようにも思えます。いわば、「一億総欲求不満」時代ですかね。

編集者から「昔はどうだったか?」と質問が提示されていますので、ちょっと考えてみました。

昔と言っても、私には80年くらい有る訳ですが、考えてみる対象を専ら飲食、それも外食に絞って考えました。

そもそも外食が今のように、当たり前になって来たのは、そんなに昔のことでは無い、と思うのです。

私の記憶では先ず、外食産業の"Skylark(すかいらーく)"が頭に浮かぶのです。それで、ちょっと調べてみました。1970年(昭和45年)に"Skylark"は、東京都府中市に第1号店を出店したようです。当時この市内に住んでいて、しかもこの店は甲州街道に面し、自家からも、そう遠くない場所でした。だから、当時幼かった我が子たちを連れて出掛けた印象が強く残って居ます。

私の子供の頃にも、勿論外食するための店は、それなりにありました。しかし、今の若い人達の多くがイメージするであろう"Skylark"のようなファミリーレストランとは、ちょっと性格が違っていたように思うのです。

何が?と訊かれゝば、私の頭に真っ先に浮かぶのは「マニュアル化」の有無です。チェーン店を拡張しようとすれば、その店に関わるあらゆる特徴を含めた一定のレベルを全ての店舗で維持しようとするのは、或る意味で当然ですよね。それに業務に携わる人員が増え、結果的にアルバイトが増えるわけですから、人々の能力や考え方にはバラツキもあるし、勢い「マニュアル」で定格化を図ることになります。

この特徴が、私たち世代が、子供の頃両親に連れられて行った料理屋や食堂とは大分違うように思うのです。つまり、時代その他色々な要因があるとは思うのですが、そこで働いていた人々は、今の多くの外食産業で働く学生などのアルバイトとは性格が異なっていた、と思います。

勿論、当時の店全てに当て嵌まるわけではありませんが、大体店の中で来客に接してサービスを提供する従業員たちも、店のオーナー(多くは個人経営の板前だったりするわけですが)、その家族だったり、縁者だったりすることが多く、仮にそうでは無かったとしても、今の感覚の学生アルバイトとは異なり、その仕事で自分や家族の生活そのものを立てゝ行こうというケースがほとんどだったのでは無いか?と思われます。

ここで、安易にプロとアルバイトという言い方をするのは語弊があるかも知れませんが、そこにはマニュアル通りに仕事することを求められる現在のアルバイトたちとは異なる性格を持った従業員の姿があるのです。

厨房でも恐らく同じような傾向があるのだろうと想像できます。一定のレシピ、マニュアルがあって、或る意味では誰が調理しても同じ味に仕上がることが、今の多くのレストラン、特にファミリーレストランでは求められているはずです。

それと比べると、子供の頃私たちが外食した料理屋や食堂では、ほとんど一人またはごく少人数の板前、いわゆる職人かたぎをもった人々が善かれ悪しかれ、自分の信ずる味を、いわば頑固に守ることを誇りにしていたのでは無いか?と思います。

「料理じゃ無く、酒が呑みたいんなら他所へ行ってくんな!」とか、「鮨をつまむ順序も知らねぇのか!」などというのを有り難がってマゾ的な快感を感ずる趣味は到底ありませんが、節度を持って、頑固に味を守ろう、という姿勢には職人気質の良さを感じます。つまり、それに共感して店を訪れると言うことは、サービス提供側もサービス受益者側も対等に近い関係で、どんな場合でも「お客様は神様だ!」というような一方的な関係ではありませんでした。

ただ、今の世では、出費してサービスを受けようとする者にとっては、提供者側のサービスが余りにも機械的な、マニュアル通りで、仮に問題が生じても臨機応変な対応すら採れず、鈍感丸出しで、誰でもシラケル程であれば、「お客様は神様だ!」のフレーズが頭をよぎることもあるでしょう。それでも、寅さんじゃ無いが「それを言っちゃあ、おしめぇよ」ってとこでしょう。

まあ、この歳の老人から言わせて貰えば、比較的安くて、早い食事を取る必要があるなら、マニュアル通り進行する今風外食産業が無難でしょうし、もう少し、ゆとりをもって、プロ板前の味をゆっくり楽しみたかったら、チェーン店では無い、そんな店を探すしかありませんね。いずれにせよ「お客様だけが神様である」はずは到底ありませんから、話題に上るような非常識なクレーマーは論外です。

今の世は、どこまでも自由、無責任に発言出来るはずだと勘違いし、自分の行動を誤って正当化するようなクレーマーは、容易に反撃される恐れの無い弱い立場の者を痛めつけることで、自己陶酔する、単なる愚かな卑怯者であるに違いないでしょう。

筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh