伊良部秀輝のメジャー移籍 ただのわがままではなかった

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今ではメジャー移籍の手段として、FA・ポスティングの二種類がある。このポスティング移籍はたった一人の選手が動いたことがきっかけで始まった制度であり、この選手こそが伊良部秀輝だ。
当時は「悪童」「わがまま」と言われていた伊良部。彼は何を思ってメジャーへと移籍したのだろうか。

伊良部秀輝とロッテの確執


1996年、伊良部は二年連続で最優秀防御率を記録するなど球界を代表する投手になっていた。しかし伊良部を球団は評価せず、度々バッシングを受けることも。これらが重なり、伊良部は中学時代から憧れていたニューヨーク・ヤンキースに移籍をするべくメジャー移籍を決意する。

伊良部秀輝のわがまま? ヤンキースへの移籍


しかし伊良部の意志と反して、保有権はロッテ球団が持っていたため、球団が認めないかぎり他球団への移籍ができない状態。だが伊良部の熱意に折れたロッテはパドレスとのトレードをまとめたのだが、伊良部はこれを拒否。あくまでヤンキースに拘ったのだ。
これによって、日本とメジャーを巻き込んだ三角トレードという形で念願のヤンキースに入団することが実現する。

伊良部の一連の行動に対してマスコミは「伊良部のわがまま」と連日の大バッシング。伊良部はロッテ時代から素行不良のイメージがあったことも拍車をかけていた。

伊良部秀輝のメジャー移籍 真相は?


しかし伊良部が引退してから数年後、雑誌のインタビューで移籍騒動当時のことを答えた時にこう答えている。
「ボクはルール違反をしてまで行きたいなんて思っていなかった。当時ロッテは『ヤンキースに行かせてやる』という約束をしていたんですがロッテが約束を守らなかった」
このような伊良部の言葉を踏まえると、当時は伊良部憎しのバッシングが先行した節がある。

球界を動かした伊良部のメジャー移籍騒動


とはいえ伊良部のメジャー移籍騒動によって、メジャー機構と日本プロ野球機構が話し合いが行われて1998年にポスティング制度が確立した。
このポスティング制度がなければイチローや松坂のメジャー移籍はもっと遅れていただろう。

賛否両論は確かにあるものの、伊良部が起こした騒動が結果的に日本プロ野球界に一石を投じたのだ。
(篁五郎)
球童 伊良部秀輝伝