純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 ベッキーだの、SMAPだの、個々のタレントはともかく、重要なのは、いま、テレビ業界がリストラの壇ノ浦状態で、なんでもいいから、数字(視聴率)にギャラが見合わないムダなタレントを早く切り捨てたい、ということ。みのもんたは親族の不祥事が理由だが、理由なんか無くても、タモリさえ打ち切り。古館だの、国谷だのも同様。つぎは、黒柳徹子や石坂浩二、関口宏、和田アキ子あたりか。とんねるずやナイナイも当然いらない。


 ラーメンやコーヒーから家電家具まで、身の回りを見ても、年来、テレビのCMでやっているようなものは、まず買っていない。宣伝なんぞに無駄ガネをかけているような会社は、製品の質が悪い。それが常識。大手マンションですら、イメージばかりで、本体に杭が入っていない。英会話でも、エステでも、大量CMを打っているところは、すぐ潰れる。あきらめないで! とか、透明感が強さになる! なんて、自己啓発めいた洗脳CMをやっている化粧品じゃ、健康被害まで出る。


 かつてテレビは、家電や自動車など、画期的な大衆向け新製品を全国に知らしめるのに大きな効果を発揮した。だが、現代のようにセグメント別の多品種になると、もう無理。まともな企業なら、個々の製品そのものに力を入れ、あとはそのセグメント内の口コミに任せる。残るのは、効果があるんだかないんだか、イメージがすべての洗剤とか消臭剤とか、あったら便利!というだけの、なんとか製薬の製品とか。もはや広告費も値引して穴埋めしている状態。


 テレビ局も手を広げすぎた。イベント協賛や音楽マネジメントから、コンテンツ販売、住宅展示場、カルチャーセンター、テナントビル経営、出版社、映画出資まで。バブルのころは、テレビ局の信用と人気でシナジー効果があるとされたが、いまやどれもこれも左前の左遷先。肝心本業のテレビ番組で数字を取れていないのだから、スポンサーがこんなどうでもいい余業にまで余計なカネを出してくれるわけがない。


 この状況で、番組制作予算が激減。バブルのころは打ち上げでもパーティでも豪勢にやれたが、いまや報道や出演者にさえタクシー券が簡単には出ない。下請の経費も削りに削って、残る牙城はタレントのギャラのみ。本来ならば、とっくの昔に切り下げるべき話だったのだが、これが難しかった。テレビ創世記来の戦後世代・団塊世代のコワモテが事務所にいて局内トップまで人脈を張り巡らし、ヤクザや政治家のケツ持ちの存在を匂わせてごり押しを続けてきたからだ。交渉もなにも、「おぅ、だれにゆうとんのじゃ、おまえらも、えろうなったなぁ」というような、生きるテレビ年表のような恫喝爺婆が裏で暗躍。そんな話、週刊誌も書けなかった。


 ところが、この数年、ようやくケツが割れた。ヤクザは、自分たちの組織がグダグダで、それどころじゃない。政治家も、角栄のころとは違って、官僚主導で、世間もうるさく、右も、左も、口利き介入なんかできやしない。戦後世代・団塊世代自体、すでに高齢で、退職した者も多く、虫食いで、横のつながりが寸断。現場に対する影響力を失った。


 前の世代、前の前の世代がかってに法外なギャラで番組に突っ込んでしまったタレントがいる限り、現場は身動きが取れない。スポンサーも、企業と番組の格として、広告代理店に大物のメンツを押し付けられているだけで、冷静に考えれば、いまの実際の購買顧客層の年代と、とっくに合わなくなってしまっている。この薄氷壇ノ浦状態で、トラブルを起こすタレントは、馬鹿。昔のように怒声で現場が黙る、事件が揉み消せると思う事務所は、もっと大馬鹿。もともと現場やテレビ局が恐れているのはスポンサーで、大物タレントやタレント事務所じゃない。スポンサーから見捨てられたタレントや、そんなタレントを抱えている事務所など、なんの意味も無い。


 数字が取れないくせにギャラばかり高いタレントなど、テレビ局にとってお荷物以外のなにものでもない。そもそも時代を映すテレビは、新陳代謝が命。つねに旬、それどころか時代を先取りするタレントをピックアップしてスポットライトを浴びせてこそ、番組も輝く。週一の同窓会かなにかと勘違いしている、「いま」のヒットが無い、ただ有名なだけの不採算な馬鹿タレさんたちは、すっぱり断捨離して、とっとと場所を空けていただくのが当然。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)