【変革を科学する#18】構想するとは予想すること?/森川 大作
何年先を考えるかは実に様々だと思いましたが、構想と言われると、いつも考えているような計画や戦略ではない趣の言葉なのでしょう。最も多かったのが、「20年後」でした。
年末年始にはさまざまな経済番組で、将来予想が取り上げられます。実は、その時に最も多いのが、来年(つまり1年後)と20年後だそうです。
思えば、今から40年前、1970年代に言われていたことを覚えているとすれば、少し不思議な予想が話されていました。1972年、ローマクラブでは、15年後に地球から石油が”枯渇する”と言われていましたが、今枯渇していません。同じころ、排ガス問題で地球は”寒冷化する”と言われていましたが、その同じ理由で、今は”温暖化”しています。
20年、30年先の予想は、なかなか難しい。まして、社会に及ぼす影響を考えることはとても難しいことを、上記の例は物語っています。
それなのに、自由に構想するように言われた、なぜあえて難しい20年先を考えるのでしょう?
色々お聞きすると、異口同音に返ってきたのは、「20年くらい先でないと新しいことは考えられないでしょう」という言葉でした。が、「その頃、みなさんは会社でそれをやっていると思いますか?」と尋ねると、答えはNoです。つまり、自分がやるわけでないから、20年くらい先だと無責任に言い放てるということだそうです。
これでは会社の将来を構想することはできないですよね。20年先を”予想する”のではなく、”構想する”とは、もっと能動的で、自分たちで作る、ものでなければならないと思います。その意味では、構想する人には、それに向けて行動する責任があると思います。そうでないと、だれが新しい”構想”を実現するのでしょう。
ドラッカーは、将来を予想することはとても難しいことを認めつつも、一つだけ確実に予想できることがあることを指摘しました。それが、「人口問題」です。これをもとにして、考えてみることはできます。
同じように、たとえば、会社の将来を構想するとき、確実に予想できることは、このままいけば、どういう年齢構成になるかということだと思います。だからこそ、採用や人材育成は、<構想>をもって取り組まねばならない、大切な分野です。