ヤンゴンのスーチー氏宅で氏と写真におさまる活動家(身元を伏せるため托鉢僧の顔は隠してあります)。

写真拡大

法務省から先月1日に強制退去処分を取り消され、在留特別許可を得たミャンマー(ビルマ)人男性(41)が8日、法務省の誤判断で受けた苦痛に対して慰謝料など1100万円を求める国家賠償請求を東京地裁に提訴したと明らかにした。男性は約1年7カ月にわたり入国管理局に身柄を拘束され、本国送還の恐怖にさいなまれた精神的・肉体的苦痛を受けた、と訴えている。

 男性は東京・千代田区の司法記者クラブで記者会見し「民主化されている日本のような国は、ビルマの状況を理解していると思っていたのに、(自分の主張や立場が)長いこと認められずショックだった」と心境を吐露した。また「自分のように不当に収容されている人がほかにもいることを知って欲しいと思い、記者会見にのぞむことにした」とも述べた。

 男性は、88年に起こった市民による大規模な反政府デモに参加した学生組織「3色」(トンヤオンチェ)の中心メンバー。同国の民主化指導者アウン・サン・スーチー氏が88年に初めて民主化に関する演説をした後、スーチー氏の邸宅の敷地内に移り住み、氏の護衛などを担当した。88年9月に軍が政権を掌握後、民主化活動の継続を目的にスーチー氏などが国民民主連盟(NLD)を立ち上げたのを受けて、NLD青年部を立ち上げた。

 92年に身の危険を感じて出国。その後滞在先で知り合ったミャンマー人女性と96年に結婚し、98年に母国での出産を望む妻と秘密裏に帰国した。再び民主化運動に関わったが、当局の監視にまたも身の危険を感じ、第3国を経由して99年5月に短期滞在ビザで来日した。日本滞在中も反軍事政権活動を続け、難民申請を準備していた03年4月に不法滞在者として逮捕された。

 同7月、東京地裁は男性に懲役2年、執行猶予3年の判決を下した。判決では、男性がスーチー氏と親しく、民主化運動に深く関わってきたこと、軍事政権から拷問を受けたことなどが示されたが、男性が難民であるかどうかは判断されなかった。法務省は「迫害を受けるおそれがあるとは認められない」として9月に難民申請を却下し、ミャンマーへの強制送還を命じた。その後5回にわたって却下された仮放免申請が04年11月に初めて認められ、強制退去処分は継続したまま、警察と入国管理局で計1年7カ月続いた身柄の拘束を解かれた。

 今年2月24日、法務省は男性の強制退去処分を取り消し、3月1日に在留特別資格を与えた。男性はミャンマー在住の妻子とタイで再会する約束をしているものの、現在「執行猶予中」との理由で再入国許可を取得できず、妻子との再会を果たせずにいるという。【了】