私立高校と公立高校の5.8倍の格差/中土井 鉄信
私立が71万5,644円、公立が12万4,441円
「私立高等学校等授業料等の調査」をご存知でしょうか。文部科学省が発表しているデータで、私立の幼稚園、小学校、中学校、高校(全日制)の入学時の初年度生徒等納付金(年額)の一人当たりの平均額をまとめたものです。
平成26年度に私立高校(全日制)に入学した生徒がいるとします。
「私立高等学校等授業料等の調査」によれば、彼の、彼女の保護者が学校に支払った生徒等納付金平均額は、71万5,644円です。内訳は、授業料が38万3,598円、入学料が16万1,580円、施設整備費等が17万0,466円。
これが、公立高校に入学すると・・・
まあ、私立高校よりは安いんだろうとは予想がつくでしょう。
では、その差は?
平成26年度に公立高校に入学した生徒がいるとします。彼の、彼女の保護者が学校に支払う生徒等納付金平均額は12万4,441円。私立高校とは60万円近く違います。内訳は、授業料が11万8,800円。入学料は5,641円。施設整備費等は公立高校ではかかりません。
私立が、71万5,644円。公立が、12万4,441円。私立高校に入学すると、公立高校よりも初年度には5,8倍のお金がかかるという計算ですね。
このデータを見て、私の頭に浮かんだのは、私がコンサルティングを実施し、理事を務めていた私立高校の先生たちの顔でした。この5.8倍の格差を、私立高校の先生たちはどのように捉えたかが気にかかりました。
できれば、公立高校に進んでほしい、という思い!
5.8倍の格差。もちろん、公立高校の社会的な評価には、長い歴史や、公立高校の先生方の努力もあるでしょう。しかし、この経済的な負担の格差が、「できれば地元の公立学校に入って欲しい」という高校選択のベーシックな発想を下支えしているのは疑問の余地がないところでしょう。
日本全国に公立学校よりもはるかに人気のある私立高校は数多くあります。しかし、公立学校への根強い人気はがまだまだ健在です。「私立高校に行くにはお金がかかる。できれば、公立高校に進んでほしい」、そんな思いをもつ保護者が依然、日本全体をみればマジョリティーであるのは確かです。
昨今、公立と私立の経済的な負担の格差は、「高等学校等就学支援金制度(新制度)」や自治体の学費補助金などで狭められる努力はされています。しかし、一方で、私立高校の授業料の平均は、毎年のように上がっています。平成21年の私立高校の授業料の平均35万4,731円でしたが、平成26年度には38万3,598円となっており、この5年間の間に2万8000円ほどが値上げされています。少子化による経営悪化で一部の私立高校が授業料の値上げを余儀なくされているためです。
5.8倍の格差にも膨らんだ経済的負担の壁を私立高校が乗り越えない限り、少子化が進むこの時代にあって私立高校の経営的な未来はありえないということです。この壁を私立高校はどのように乗り越え、公立高校よりも付加価値の高い教育サービスを行っていくのか、そのことが、今問われています。
諦めが蔓延していた職員室からの学園改革
では、私立高校はどのような方向性で、経済的負担の格差を乗り越える魅力を身につければよいのでしょうか。
一つは、出口にかかわること。そして、もう一つは、その出口を保証するプロセスだと私は思います。出口とは、いわゆる卒業した後の進路実績です。一方の出口を保証するプロセスとは、高校3年間の学習面・進路指導面でのプログラムです。
私立高校は、より魅力的な学校となるために、現有勢力の分析を行います。教師の顕在能力、教師の潜在能力、教育課程の時代性のチェック、進路指導体制のチェック、生徒の未来像が具体的かどうかのチェックなどなど。また、現在の学習面・進路指導面でのプログラムがこの時代に合っているかどうかを検討します。
私がコンサルティングを実施した私立高校では、上記のような分析を行い、様々な点で問題があったことを認めたうえで、その中で学園改革の優先順位のトップに据えたのは「生徒の未来像」でした。
生徒が高校を卒業して12年後、生徒が30歳の大人になった時にどういう職業につき、どういう家庭を作りたいのか、高校3年間で様々なシミュレーションを生徒たちに行わせるプログラムを作りました。この「生徒の未来像」を探求させるプログラムが、勉強へのモチベーションを高め、進路実績ばかりでなく、生徒の授業への参加意識が高めていったのです。
私がコンサルティングを実施した私立高校(中退率が高い、いわゆる地域の底辺高校でした)に初めて足を踏み入れたときの印象は忘れられません。男子生徒の多くはズボンを腰で履き、これがずり下がっていて、下のパンツが見えていました。目の青い生徒が多かったので、ここは外国かと思ったら、カラーコンタクトをしている生徒が多かっただけでした。また、やんちゃな高校生だけでなく、無気力を絵に描いたような生徒がいました。
そして何より、職員室には諦めが蔓延していました。
「生徒の未来像」をかたちづくるプログラムをテコにして、学園改革を進める中で、この職員室の意識改革が同時進行的に課題として浮き彫りになっていったのです。
5.8倍の格差から私立高校の先生方が、「しょせん、うちは公立学校の滑り止め」と諦めを感じるのか、それとも、だからこそ「公立学校にはできない教育を私立でやろう」と考えるのか。そのことを「私立高等学校等授業料等の調査」のデータを見ながら考えました。
私は、この文章を進路指導やスポーツで大きな実績を上げるまでには至ってない私立学校の先生へのエールとして書きました。東京大学や京都大学、医学部などに多くの生徒を入学させるミッションをもった私立高校の先生にプレッシャーはあるでしょう。しかし、一方で生徒指導に大きな労力を強いられる地域の私立学校の先生たちこそが、日本の学力レベルの底上げに大きな役割を果たしているのだと私は思います。
もし、教員志望の学生がこの文章を読んでくれたらなら、公立学校にはない私立学校で教える喜びがあることを知って欲しいと思います。