中村 修治 / 有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス

写真拡大 (全2枚)

母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度 いつもため息をついた♪

どんだけ暗いのだ。さだまさしは、1952年生まれだから、若干23歳でこの歌を作ったわけである。いくら長崎生まれとはいえ、こんな坂の歌をつくると は、恐るべし。中学生だったワタシは、不浄の右手を見つめるしかない。自分と母の幸せな関係をどれだけ恨んだことか。ワタシは、運がいいだけであること を、さだまさしの「無縁坂」に教えてもらった。


愛は今も愛のままで♪

そして、一方で、福山雅治である。福山雅治と言えば「桜坂」である。

愛と知っていたのに
春はやってくるのに
夢は今も夢のままで♪


どんだけ爽やかなんだ。2000年のミリオンセラーである。福山雅治は、その時31歳。デビュー10周年の記念すべき年の大ヒットである。ワタシは、その時、38歳。2児の父である。

君よずっと幸せに
風にそっと歌うよ
愛は今も愛のままで♪


恋愛なんて忘れかけている身には、どんな爽やかな風も吹き渡らない。キャーキャー言われている福山雅治が、心の底から羨ましかった。ギターが弾けたな ら、ファンの目の前で「無縁坂」という爆弾を落としてやりたいくらいであった。愛は、今も愛のままでないから、家族なんだよって毒づいていた。羨ましい ぞっ福山雅治! マシャは、一般男性全ての永遠のライバルである。笑


2人ともマサカの長崎生まれの大ヒット!

さだまさしと福山雅治。九州から生まれたミリオンヒットのおふたりである。マサカの長崎生まれで、ミュージシャンで、「坂」の付く大ヒット曲を持つ、ちょっとスケベなおっさんである。

そのおふたりが、2014年9月10日現在、フェイスブックやTwitterやブログ等のソーシャルメディアの中で、どう語られているかが下記でわかる。

「さだまさし」「福山雅治」という名前と一緒に語られているコトバと、「さだまさし」「福山雅治」と同時に「検索されているコトバ」を相関させた時にイチばん相性の良かったコトバのランキングをヒット指数と呼んでいる。

※ヒット指数分析協力:エコノミックインデックス株式会社
おふたりとも「歌詞」というキーワードが上位にある。さだまさしは、1位である。さらに、「償い」という1982年に発表された歌が2014年の9月現 在でも語られていることに驚く。「さだまさし」も「福山雅治」もラジオ番組の評判が高い。コトバの時代にふさわしいアーティストである。


いい人じゃない自覚があるからヒットがつくれる!

さだまさしは、小説「茨の木」についてのインタビューを受けて「僕は、じつは、この世の人間はだれでも、9割8分は、邪悪な汚いもので満たされていると 思っている」と答えている。そして、「9割8分の邪悪な部分を描くのが得意な人もいるが、残りの2分の上澄みを描くのが好きだ」と・・・。

一方、福山雅治は『ダ・ヴィンチ』2008年11月号で、こんな宇宙の話をしている。
「宇宙飛行士にもっとも必要な条件って、何だか 知っていますか? ”人柄がいいこと”らしいんですよ。長時間にわたって、狭くて暗いところで共同生活を送らなくちゃならないので、どんなに知力、体力に 優れていても”嫌な人”だったらダメだというんです。子供のころから宇宙にあこがれていたので、宇宙飛行士になりたいって思ったこともありましたけど、そ れを聞いて、オレ、いい人じゃないから、絶対無理だって。トイレの順番だとか、きっと小さいことで、すぐもめますよ。なので、飛行士として宇宙に行 くのは断念して、来るべき宇宙旅行時代の到来に備えて、せいぜい蓄えを増やすことにしました(笑)」と・・・。

おふたりとも、いい人じゃないのである。邪悪なのである。その自覚がちゃんとおありなのである。完璧な男のロマンは夢ではなく、計画に聞こえてくる。ロマンがロマンであるためには、男は、完璧であってはならない。その完璧でない隙 間や上澄みからしか、説得力あるコトバは生まれないのである。長崎の「坂」の多い街で育ったおふたりが、同じ境地にあることは、きっと偶然ではない。アー ティストとしての息の長さは、人生の「坂」で鍛えられた人間力にある。


徹底したドミナント×ダイレクトマーケティング戦略

さだまさしの歌には、「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」「飛梅」・・・長崎や、太宰府などなど、地域限定=ドミナントで、濃い物語を想起させるものがある。その地域の、その空気を知る人にとってはたまらないシチュエーションが、歌詞に散りばめられているのである。

マーケティング的に言うと、ドミナント戦略である。

非常に、心に深く届く率が高い=収益効率の良い歌ではないかと考える。さだまさしの歌が、「歌詞」で検索される所以はここらへんにある。やることなすこ とダイレクトマーケティングなのである。ストックされた優良顧客が、同じように消費を繰り返す。だから、息が長い。コンサートは、何十年やり続けても満杯 なのである。

そして忘れてならないのは、さだまさしには「35億円」という借金があったことである。28歳の時に企画・監督して製作した「長江」(1981年公開) という映画で莫大な借金を背負った。この返済のために開催したコンサートは、4000回を超えた。そして、現在は完済である。これからがクロ転である。お つりの人生である。

ワタシは、「福山雅治」と「さだまさし」を比べるときに、どうしても「さだまさし」に肩入れしてしまう。それは、このマサカの借金話にある。矢沢永吉も島倉千代子もみんな借金を返すために伝説をつくった。

人生には、3つの坂がある。「上り坂」と「下り坂」と「マサカ」である。不謹慎ながら、そろそろ「福山雅治」にも、マサカの話が持ち上がることを期待している。笑