『プログラミングバカ一代』清水亮・後藤大喜(晶文社) ブックレビューvol.2/竹林 篤実
天才少年現る
筆者の清水亮氏は天才である。どれぐらかといえば、IQ190台の天才である。だから、小学校1年生にして、父親が買ったPC9801を自分で使いこなすようになった。教えてもらってではなく、リファレンスマニュアルを自分で読み、3Dグラフィックス作りに独力で取り組む。原理がよくわからないところがあったので、回転行列と三角関数を学んだ。
「三角関数、ベクトルとして捉えるのが一番簡単だった。cで割るから解らなくなるのだ。cの長さを1に固定すれば、それは単に角度がθの場合のX座標をcosθ、Y座標をsinθとしているに過ぎない(同書、P25)」
これで小学生の言葉である。そして、小学校3年生の時に3Dグラフィックスプログラムを自作する。こんな小学生だから、学校でも問題を起こす。
算数の時間に先生が「2-4はいくらになる?」と尋ねた。清水くんは「マイナス2」ですと答えると、黒板にスタスタと歩いて行き、0とプラスマイナスに伸びた数直線を書いて説明した。
ところが、これを先生から「そんなことは教えていないから、間違いだ」と否定される。当然ぐれる。問題児ではあるが、飛び抜けて頭の良いことは誰もが認めていたので、国立大学附属小学校に特待生で迎えられた。そこで新しく担任になった先生からかけられた言葉が、清水君の人生を変えた。
「あなたは100万人に1人の特別な才能を持った人間。でもそれは決してあなたが偉いんじゃない。それは神様があなたにくれた大切な贈り物なの。それだけは絶対に忘れないで」
大学入学とともにMicrosoftに
そのまま付属高校に進学し、全国模試で偏差値3を取る。天才である。一方で「月刊アスキー」に連載を持つようになる。天才なのである。清水君の書く記事は、トッププログラマーの注目を集めていた。だから大学進学で上京すると、マイクロソフトにいたプログラマーからバイトのオファーを受ける。
マイクロソフトから紹介された仕事場がドワンゴである。彼のバイト仕事は高く評価され、いきなりシアトル、つまりMicrosoft本社に飛ぶことになる。やがて同社から100万円単位の給料をもらう身分で処遇される。
ところが
「マイクロソフトの仕事、飽きたからやめたいんですけど」
といってやめた。とはいえ今までどおりドワンゴに出社して、月に1度ぐらいの用事をこなしては、今までどおりの給料を手にしていた。
人類を幸せにするためのプログラム
その後、いくつかのヒットゲームを作った後、いま社長を務めるユビキタスエンターテインメントを立ち上げる。その後、iPhoneが日本で発売されたときには、日本でのiPhoneブームの火付け役ともなった。
いち早くiPhone、つまりスマートフォンの可能性を見ぬいた清水氏は、これが日本で売れなければ困ると考えたのだ。iPhoneは世界を変えるデバイスである。その本当の凄さは、普通の人には簡単にはわからない。
けれども、なんだかよくわからないが凄いものであることが伝われば、きっと火がつく。こう読んだ清水氏は、ソフトバンクの店の前で行列を作った。それも発売日の4日前から。ただし、ソフトバンクの店の前に並ぶと、文句を言われるので、通りの向かい側に社員を総動員して20名で行列を作った。
これがマスコミの目に留まる。その後の、iPhone発売日の熱狂ぶりは、誰もが知るところとなる。なぜ、iPhoneだったのか。それが人類を進歩させるからだ。
2011の時には、福島でゲームジャムを開催した。その時には「ソフトウェアは放射能に汚染されない」をキャッチフレーズにした。共感したプロのクリエイターが数十人参加し、現地の子どもたちが集まりゲーム「作り」に熱中した。子どもたちに夢を与えたのだ。
そしていま、清水さんは語る。
「プログラミングは人類の叡智を効果的に応用する最も効率的な方法である」と。
だから、誰でもがプログラミングできるよう尽力している。神様がくれた大切な贈り物を活かすために。そんな人物の半生記である。プログラミングに対する興味のあるなしに関わらず、一人の天才の生き方を知るために、ぜひ読んでほしい。
彼の生き方は、ある天才的な医学者の言葉を思い出させた。その医学者は、医学部生向けの講演で次のように語った。
「僕は、自分が人並み外れて頭の良いことを自覚している。これをビジネスに使えば、いくらでも金儲けができるだろう。けれども僕にはそんな時間はない。僕は、自分の才能を人の命を救うために与えられたと思っている。だから医学の研究に人生を捧げている。」
願わくば、彼らに続く天才がまた、同じ思いを抱かんことを。