野球・ソフトボールがレスリング、スカッシュと共に五輪競技への復活候補として残った。だが筆者は野球の五輪競技復活に対し実に懐疑的な心境にあることを述べたい。その最大の理由は野球が五輪競技に復活した際には、7回制になるためだ。7回制の野球というのは、日本では中学野球と同じになる。果たして五輪競技に復活させるために、ここまでのルール変更をすべきなのか。野球の魅力を十分理解している筆者からすれば、とても理解し難い対応策として思えないのである。

確かに五輪競技に復活すれば、野球が世界中の人の目に映るようになる。それはきっと競技人口を増加させる要素にもなるだろう。だが野球が五輪競技だった頃、果たして世界中の野球競技人口はそこまでの増加傾向にあっただろうか。否、そうではなかったから五輪競技から除外されてしまったのだ。サッカーならば、サッカーボール1つあれば22人で同時にプレーをすることができる。しかし野球はそうではなく、18人で試合をするためにはボールだけではなく、18個のグラブが必要であり、さらにはミット、プロテクター、バット、ベースなども必要になってくる。1試合行うためには、サッカーとは比較にならないほど多くの道具が必要になってくるのだ。

野球界がまずやらなくてはならないのは五輪競技復活を目指すことではなく、もっともっと発展途上国に対し野球道具を寄贈することではないだろうか。そして日本球界でプロになれれば年俸1億円だって夢ではない。メジャーリーガーになれれば年俸500万ドルだって夢ではない。そのような夢を世界中の子どもたちにもっともっと話し聞かせることではないだろうか。それこそが世界の野球競技人口を増やす最たる近道であるように筆者には感じられる。

筆者が野球の五輪競技復活に対し懐疑的な理由はもう一つある。それはIOCがテレビなどのメディアに媚び過ぎているという点だ。表向きには世界の野球競技人口の少なさが五輪競技からの除外理由とされた。しかし実際にはそうではなく、野球というスポーツは1試合を終えるための時間がまったく計算できない。プロ野球だけを見ても2時間ちょっとで終わる試合もあれば、5時間以上かかる試合もある。そうするとテレビ放映が難しくなり、それが理由にIOCは放映権料を吊り上げることができなくなってしまうのだ。つまり今騒がれている五輪競技復活という話題の裏面には、IOCの収入問題が大きく関わっているのだ。穿ち過ぎる見方をするならば、IOCの収入に最も貢献できる競技が最後に選ばれるという図式になるのだ。

果たしてそんなことのために野球を7回制にすべきだろうか。IOCやメディアに媚びてまで野球を五輪競技に復活させることが、それほどまでに重要なことなのだろうか。もちろん野球本来の形で五輪競技に復活できるのであれば、筆者はそれに対しては大いに賛同をしたい。しかし試合時間が長いことや、メジャーリーガーが出場しないために視聴率を稼げないことを理由にされるのであれば、野球界はオリンピックよりもWBCにもっと心血を注いだ方が良いのではないだろうか。

例えばWBCの予選を野球先進国だけで行うのではなく、野球後進国で行うことができれば、その国の子どもたちは生で野球の素晴らしさを体感することができる。160kmの速球にしても、150mも飛んでいくホームランにしても、やはり実際に目で見ることが何よりも重要だ。自らの目で、目の前で目の当たりにすることにより、子どもたちはプロ野球選手という職業に憧れを抱いていけるのだ。

野球を五輪競技に復活させることは非常に大切なことだと思う。だが子どもたちの夢を置き去りにし、現状のように利益ばかりを追い求めるような形では、野球の世界普及は今後も速まることはないだろう。だからこそ筆者は、現時点の五輪競技復活への過程に対し賛同することができないのだ。IOCや野球協会は今、もう一度クーベルタンが言い遺したアスリートの義務を思い返すべきではないだろうか。現状のIOCには、とてもクーベルタンの意志が継承されているとは思えないのである。