3連休の最終日、都心では記録的な大雪により、一時的に都市機能が麻痺した。JRをはじめとする鉄道、航空に運転見直しや運休が相次ぎ、高速道路では通行止めが翌日以降も続いた。
 予定されていた第91回全国高校サッカー選手権の決勝戦も、雪の為、19日に順延された。

 プロ野球界はすでに、シーズンオフに入って久しい。なので、今回の豪雪による被害は特段無かったことだろう。
 だが、もし野球がウィンター・スポーツだったら、選手もファンも大変な影響を受けたに違いない。


 ニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)対フィラデルフィア・フィリーズの1907年の開幕戦は、前日までに降り積もった雪が残るポロ・グラウンズで行われた。グラウンドに積もった雪を払いのけ、何とか試合が始まった。
 だが、肝心の試合は、気温と同様にお寒い内容。ジャイアンツは8回まで、フィリーズに3点のリードを許し、打線もわずかヒット1本に抑えられていた。
 寒さに耐えられなくなったジャイアンツのファンは、ついに行動に出た。手を伸ばせば、おあつらえむきに雪がある。それを握って雪球にすれば・・・。
 この後の様子は、想像に難くない。ファンはグラウンドの試合そっちのけで、雪合戦を始めた。
 雪球の標的は、ファン同士から次第にグラウンドの選手、そして審判員へ。グラウンドには雪球が雨あられのように降り注ぎ、選手や審判も、ボールなんだか、雪球なんだか、区別がつかない。慌ててダッグアウトに避難したが、前代未聞の雪合戦は一向に納まらない。
 はたして、主審のビル・クレム審判員が没収試合を宣告。試合は、9対0でフィリーズの勝利となった。


 思わぬ異常気象にテンションが上がってしまうのは、老若男女、洋の東西を問わないようだ。
 1974年、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地、コミスキー・パークで行われた開幕戦は、摂氏1度と極寒の中で行われた。こうも寒いと、スタンドのファンはそれぞれ防寒具が手放せないのだが、なぜか、男女合わせて数人のストリーキングストリッパーが登場した。
 まず、最上段に座る女性がトップレス・ショーを始めると、放送席の下にいた男も、これに負けじと、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。続いて、口髭が立派な紳士がパンツ一丁になり、ごま塩頭の老紳士は下着姿でグラウンドに降り立った。
 こうなると、もう、誰にも止められない。しまいには、ホワイトソックスのヘルメットだけを身につけた若者がグラウンドに飛び出し、アドリブでバレエダンスを披露。文字通り裸一貫のショーは、なんと1分近くも続き、最後には逆立ちのポーズで大歓声を浴びた。(わが国にも、昔はこんなファンがいたなぁ)
 ホワイトソックスのチャック・タナー当時監督も、「もしも、これが開幕戦でなかったら、普通の客はとてもじゃないが、帰っていただろう」と、呆れるばかりだった。


 われわれとしても、野球がウィンター・スポーツでなかったことを、心から感謝している。