「そう言えばあのころも、こんな感じだったよなあー…。」

いまやサッカー界という枠すら飛び越えて、ちまたは「なでしこフィーバー」に湧いている。

でもこの光景に、ある種の既視感を覚えた人もいるだろう。

20年前まで、日本は「サッカー不毛の地」だった。

厳密に言えば ’68年のオリンピック銅メダルや ’80年代の『キャプテン翼』をきっかけにした「サッカーブーム」は存在したんだけれども、それらはどれも単発なものだった。
それが強化に直結することはないまま、日本代表チームはアジアを勝ち抜けず、国内リーグには閑古鳥が鳴く。
それが ’80年代までの日本サッカー界のデフォルトだったのである。

ちなみに僕はJリーグ発足後にサッカーファンになったので、それ以前の時代をリアルタイムで知っているわけではない。
それでも伝え聞くところによると、日本リーグの試合では観客が数百人なんてこともザラにあったそうだ。

しかしある時そんなスタンドの風景が、わずか数カ月で一変してしまう。

1993年のJリーグ・ブームをきっかけに、日本のプロサッカーは急激な発展を遂げたのだ。

代表戦は驚異的なテレビ視聴率を叩き出し、スタジアムには人が詰めかけ、一瞬にして有名になった選手たちが連日テレビをジャックする。

そう、まるでなでしこたちが置かれている状況と同じようなことが、18年前にも起こっていたのである。

なでしこリーグに生まれた「新記録」

前節でなでしこリーグ新記録となる17,812人の観客を動員したINAC神戸レオネッサ。

その1週間後となる今節は無料試合ということもあって、前節をさらに上回る大観衆が訪れた。
その数、実に21,236人。

ちなみに前節では会場に1時間前に到着したにも関わらず座席の確保に苦労した僕は、その教訓を活かしてこの日はキックオフ2時間前に神戸ユニバーを訪れた。

「我ながら、今回ばかりは抜かりはないぜ……フフフ。」

スタンドへ抜けるゲートをくぐるまでは、デスノートの夜神ライトもビックリなほど勝利を確信し、その美酒に酔いしれていた僕。
しかし次の瞬間に奈落の底に突き落とされようとは、この時は夢にも思っていなかった。

なんと2時間前にして早くも、メインスタンド中央付近はほぼ満席になっているじゃぁーないか!!

聞けば前日からの泊まり組もいたそうで、この日のユニバー記念競技場は花火大会にも負けないほどの、一大イベント会場と化していたのである。

それでも悪あがきをして空席を探してみたけれど、メインスタンドはコーナー付近まで行かなければとても入り込む余地がない。

試合をちゃんと観れないのは嫌なので、けっきょく泣く泣く移動して、僕はこの記録に残る試合をバックスタンドから観戦することになった。

さすがに2時間前には空席が目立ったバックスタンドも、キックオフ30分前にはほぼ満席状態に。
その後はゴール裏も埋まってきて、なでしこリーグ最多記録となる2万人大観衆の見つめる中、試合の火ぶたは切って落とされたのである。

岡山湯郷の見せた大健闘

この日、INAC神戸が迎えた相手は、前節まで無敗でリーグ3位につけていた好調・岡山湯郷Belle。
ちなみに「おかやま・ゆのごう・ベル」と読み、温泉地として有名な岡山県美作市をホームタウンとするチームだ。

代表選手7人を抱えるINACに比べ、湯郷の代表選手は2人。
総合力でINAC優勢は揺るがないけれども、湯郷にはワールドカップでも大活躍したなでしこジャパンのゲームメーカー、宮間あやが所属している。

その宮間のひらめき次第では、INACに一泡吹かせる可能性もあるだろう。
そんなアップセットを狙って、岡山湯郷とそのサポーターたちは神戸へと乗り込んできた。