ホームのウズベキスタン戦では阿部を選択した岡田監督だったが…<br>(photo by Kiminori SAWADA)

写真拡大

 攻撃のブロックが固まりつつあるなかで、岡田監督が適任者を探しているポジションもあった。左サイドバックである。

 5月24日のコートジボワール戦で代表デビューを飾った長友佑都は、6月2日のオマーン戦まで3試合連続で先発出場した。しかし、同7日のオマーン戦はケガで駒野にポジションを譲り、3次予選最終戦では安田理大が左サイドバックに指名された。
およそ2か月ぶりのゲームとなった8月20日のウルグアイ戦では、阿部勇樹が左サイドバックに入った。直後のバーレーン戦でも、最終ラインの左サイドを担ったのは阿部だった。

 阿部は純粋なサイドバックではない。浦和移籍後は最終ラインが定位置だが、本職はボランチである。タッチライン際をアップダウンして、クロスやシュートをどんどん狙っていくタイプではない。サイドで起用される際は、対人プレーや空中戦の競り合いを粘り強くこなしていく働きが要求される。ストッパーの性格が強いサイドバックだ。

 日本代表の最終ラインでは、阿部が左サイドに入ることで、右サイドの内田篤人が攻撃に比重を置いたプレーができる。内田の攻撃力を生かしつつ、バーレーンのカウンターに対処するには、阿部こそが最適任者と言うことができた。内田、長谷部誠、中村俊輔のトライアングルが攻撃の重要なブロックになっていることを踏まえても、阿部の先発起用は申し分のないバランスである。

 長友がケガで離脱したこともあり、10月15日のウズベキスタン戦でも左サイドバックは阿部だった。しかし、11月19日のカタール戦では、長友が先発で起用された。

 「まず負けないこと」を優先すれば、阿部のほうがベターだったはずだ。ウズベキスタンとホームで引き分けたとはいえ、日本がいきなり危機に立たされたわけではなかった。チームの周辺には「勝たなければいけない」という空気が漂っていたが、アウェーで引き分けなら悪くない。手堅いゲームプランで戦うことも許された。勝ち点1を分け合うことに痛みを感じるのは、日本ではなくカタールだったからだ。

 それでも長友を選んだところに、指揮官の哲学が表れていたのではないだろうか。

「相手うんぬんではなく、まず自分たちのサッカーができるかどうかが大切」

 岡田監督は口癖のようにこう話す。「世界をアッと驚かす」ためには、どんな相手でも自分たちの強みを発揮できるようにしなければならない──カタール戦における長友の起用には、そうしたメッセージが込められていたのではないだろうか。

■関連リンク
第1回 「オシム流の継続と、封印された岡田色」
第2回 「加速する岡田流と、チームを去った黄金世代」
第3回 「アジリティ+アジリティ」

戸塚啓コラム - サッカー日本代表を徹底解剖