「彼をどれだけ好きか教えてくれたら、近づかない」ライバル美女の挑発に乗った女の誤算
東京にいる一部のアッパー層の間で、最近、密かに“噂”になっている女がいる。
彼女の名は、春瀬紗季―。
一聞すると爽やかで可愛らしい女性を想像するが、彼女の“噂”はそれを鮮やかに裏切る。
大抵の者は「悪魔のような女だ」と言うが、ごく一部の間では「まるで聖女のようだ」と熱狂的に支持されているのだ。
そんな噂の女に、IT企業が主催したパーティーで出会った宮永爽太郎(29)は、政治家・黒田源の不正をしているという情報を得るため、彼女に近づこうとする。
そして、偶然にも亜希子は紗季と遭遇するのだった。
亜希子の戦い
ー春瀬紗季…!?
『バー ア ヴァン メゾン サンカントサンク』の2階へ上がり、カウンター席に腰掛けようとした時、目の端に彼女を捉えた。
他にも数人ほど綺麗な女性たちが座っていたのに、紗季はひと際目立っていた。彼女も一人で来ているようで、チーズをおつまみに赤ワインを愉しんでいる。
ただ座っているだけ。それなのになぜこれほど人を惹きつけるのだろうか、と同じ女性として感心してしまう。
ーどうしよう、話しかける…?多分今が彼女の本性を暴く絶好のチャンス…。
一瞬迷ったが、私は意を決して彼女に声をかけた。
「あの…、すみません。春瀬紗季さんですか…?」
突然話しかけたにも関わらず、彼女は親しい人に向けるような笑顔で答える。
「…はい。えっと、あなたは?」
きっと彼女は、目が合えば誰にでも微笑み返すのだろう。それがまた、男を勘違いさせる原因なのかもしれない。
「あの、私、原田亜希子と申します。あの、爽太郎の友人で…」
「あぁ、爽太郎君の…」
彼女はそう言ってニコリと笑った。見た目から推測するに、私と同じ歳か、それより上か…。大人っぽい雰囲気から年上のように見えるが、肌や髪質は20歳そこそこのように瑞々しい。
「あの…、隣、いいですか?」
「亜希子ちゃんね、どうぞ。丁度一人で退屈していたの…」
亜希子は紗季の本性を暴こうとするが、彼女のペースに呑み込まれてしまう…
心が読めない春瀬紗季という女
初めの印象とは違い、気さくで親しみのある雰囲気に何だか拍子抜けする。緊張している私に気を使ってか、彼女は色々と話しかけて来た。
「ねぇ、亜希子ちゃんは何をしているの?」
「爽太郎くんとはいつからの付き合いなの?」
紗季は、イメージしていた取っ付きにくい感じが一切なく、長年の友人のようにリラックスして話す。
その後も「ここにはよく来るの?」とか「そのピアス素敵ね、どこで買ったの?」とか、実際話してみると普通の女性と変わらないように思えた。
初めはどんな女かと警戒していたのだが、徐々に彼女のペースに呑まれ、居心地の良さを感じている自分がいた。少し気を緩め、会話を楽しんでいると、彼女がバーテンダーに追加のドリンクを注文した。
「亜希子ちゃんは何を飲む?」
「あ、私は今日はそんなに…」
すると紗季から先ほどの無邪気な笑顔がすっと消え、急に目を細めて妖しい微笑みを浮かべる。
「そう…?でも、私と話したかったんじゃないの?爽太郎くんと親しい女が、どんな女か見極めたいんでしょう?」
紗季はフフッと笑う。やはりこの女は、何を考えているのか分からなくて気を許せない。
「えぇ、そうですね。じゃあ、私も同じものを」
先手を打たれてしまった。でもここからが本当の勝負。女同士の戦いに、簡単に負ける訳にはいかないのだ。
「じゃあ遠慮なく、色々と質問させてもらいますね?」
そして私は聞きたいことを並べ立てた。年齢、出身地、結婚歴、子供がいるかどうか、職業は何かなど基本的なことから、爽太郎のことをどう思っているかなど。
初対面の女に不躾な質問をされているのに、紗季は全く嫌な顔を見せない。年齢についてはやはり答えてはくれなかったが、他のことは大体教えてくれた。
「爽太郎くん?勿論、好きよ」
「本当に…?あなただったら、もっと素敵な人がいるでしょう?」
今日話してみて、紗季がモテるのが改めて分かった。警戒する私の心にすっと入り込んで、トーンや相槌で居心地の良さを感じさせたかと思うと、今度は急にさっと引いて謎めいた部分を見せる。
女の私でさえ、彼女がどんな人なのか気になってしまうのだ。そんな女に、爽太郎は物足りないだろう。すると、あまりに正直な私が可笑しかったのか、彼女は笑った。
「爽太郎くんも素敵よ?」
「まぁ、そうかもしれないですけど、でも…」
少し口ごもっていると、彼女の方から言ってきた。
「亜希子ちゃんは、爽太郎君が好きなのね。でも彼が、色々と悪い噂のある私と仲良くしていることが、気にくわないのよね?」
いきなり私の本心を突かれて、どう切り返していいか分からない。これでは完全に彼女のペースになってしまう。
私は何とか態勢を立て直そうと、取っておいた切り札を使った。
「私、先日見たんです、赤坂で。あなたが…その…ある政治家の車に乗り込むところを…」
紗季の目をしっかりと見る。先日爽太郎に彼女と黒田が会っていたことを聞いてみた。その時の彼の反応から、やはりあの日見たのは紗季と黒田に間違いないはず…。
だが、彼女の声は至って落ち着いたものだった。
「そう。それがどうしたの?」
「やっぱり…あの人ともそういう仲なんですか?男女の仲というか…」
シラを切られるかもしれない。それでも、少しはこのペースを崩せるかも…。そう思っていた。
亜希子の切り札は効くのか?紗季の答えとは…?
暖簾に腕押し
「だったら…何?」
紗季は私からの質問に全く動揺している様子がない。それどころか、私の方がどんどん彼女のペースに呑まれてどうしていいのか分からなくなってくる。
「だったらって…、そうなんですか?爽太郎にも近づいておいて…!?一体何が目的なんですか?」
少し腹が立った私は、酔った勢いもあり一気に捲したてる。すると紗季は「うーん」と困った顔をして首を傾げた。
「じゃあ、亜希子ちゃんが爽太郎くんをどれだけ想っているか聞かせて?それによって、もう近づかないって約束するわ」
「は…?なんですか、それ…」
ー何なのよ、この女…。
先ほどから必死な私を弄ぶように余裕の笑みを見せる彼女が、段々と腹立たしくなって来ていた。この女は私にそんなことを言わせて、一体何が楽しいのだろうか?
「ふざけてるんですか!?爽太郎もこんな風に弄んでいるんでしょう?」
「どうかな?私は真面目に聞いたつもりなんだけど?」
彼女と話していてもなんだか会話が噛み合わない。何を言っても上手くかわされて暖簾に腕押し状態だ。そんな苛立ちが伝わったのか、紗季が私を懐柔しようとする。
「怒らないで?でも、私も爽太郎くんが好きなの。だから、亜希子ちゃんの気持ちがどれほどか聞いてみたかっただけよ」
この人はどこまで本気なのだろう?でも…。彼女とのやりとりに若干疲れていた私は考えた。
ー私の想いを話すことで爽太郎から手を引いてくれるのなら…。
そうして私は仕方なく、この馬鹿げた取引に乗ることにした。
「分かりました…。でも、約束は守ってください。それと、爽太郎には内緒にしてください…」
「えぇ、もちろん」
そうして仕方なく、私は彼女に爽太郎の好きなところを話したのだ。
「爽太郎は…、一緒にいると楽しくて、誰にでも平等に優しくて。彼、産まれる前にお父さんを亡くしていて…。そのせいで色々と苦労してきたのに、そんな素振りは全く見せずに、常に前向きでいい奴なんです。それに、彼が慕っている恩人に対してはすごく義理堅くて、一生をかけて恩を返すつもりだって言っていて…。
そういう真面目で本当は不器用なところが放って置けなくて、いつの間にか彼を側で支えたいって思うようになりました」
自分でも恥ずかしかったが、口に出して改めて爽太郎が好きなんだと実感する。だが、紗季は何に引っかかったのか「そう、恩人…」と呟いて、黙ってしまった。
少し考え事をした後、紗季は私の方を見てニッコリと微笑む。
「ありがとう。亜希子ちゃんの素敵な想い、伝わったわ」
「それじゃあ、爽太郎から離れてくれますね?」
私は紗季に念を押す。けれど彼女は私の言葉に反応をせずに伝票をスッと手に取って立ち上がった。そして肩越しに私の方に顔を向けると、こう返した。
「そうね。いずれね」
「え、いずれって…?」
約束が、違う…。そう言いたかったが、紗季は初めの気さくな雰囲気ではなく、それ以上聞き出せないような鋭い目を一瞬私に向けると、「じゃあね。楽しかったわ」と帰っていった。
「何なのよ、あの女…」
去ってからふと気がつくと、紗季は黒田とのことに関して、「だったら何?」としか答えておらずきちんと認めていない。つまり私は結局、彼女から肝心なことは聞き出すことができていなかったのだ。
爽太郎が黒田の不正の核心に近づく…?
爽太郎の元に届いた、黒田の重大な情報
「面白いことが分りました、お会いできますか?」
例の情報屋からいつものように僕のスマホに連絡が入った。前回彼に依頼を入れてから、3週間ほど経っていた。
あれから紗季とは会えていない。何とか彼女をこちらの味方につけたかったのだが…。
だが、彼の言う“面白いこと”によっては、この先の攻め方が変わるかもしれない。
僕は昼休みに会うことを了承し、仕事に戻った。
◆
「結論から言いますと、金の流れが分かりました。國村興業の他に、もう一社絡んでいます」
「もう一社…?他にも協力者が?産業革新会の代表がいた、國村興業の下請けか?」
下請け業者がゼネコンの言いなり、なんてのはよく聞く話だ。だが監査の厳しくなった現在もそんなことをしているのか…?
「そうですね、それもあります。が、私が言ったのはそれとは別の、コンサルティング会社です」
「別…?一体どうなってるんだ…?」
情報屋の話はこうだった。
5年ほど前、國村興業は下請け会社に追加発注などの架空発注で裏金を作り、下請け業者は儲けた金を役員の報酬や社員の給料として渡していた。國村興業自身は架空発注分まで国に請求していたので、痛くも痒くもない。
そして報酬を受け取った下請業者の役員や社員たちはその金を、OBの作った産業革新研究会に寄付する形で黒田に渡していた。
それがどういう訳か、2年ほど前から急に、彼らからの寄付が無くなったそうだ。それなのに黒田の金遣いは一向に変わらない。
「では爽太郎さんに質問です。黒田が豪遊する金はどこから出ていると思います?」
「國村興業…?でも、どうやって…?」
「ピンポーン!ここから、最初の話に戻るんです」
情報屋には黒田を張ってもらっていたのだが、同時に國村も張ってもらっていた。黒田の方は無駄に終わったが、國村が動きを見せたのだ。
「國村が会っていたのが、コンサルティング会社の女社長です」
女社長と聞いて緊張が走る。それがもし紗季だったら…。だが僕のそんな不安は一瞬で消えた。
「この女社長ですが名前は上村翔子と言って、年は40代半ばの地味な女性です。2年前までは事務や受付などの派遣の仕事をしていたみたいなんです。それがどういう訳か、急にコンサルティング会社を立ち上げて…」
「2年前…?黒田が寄付を受け取らなくなってからか…?」
黒田は國村興業の例の下請業者を使う代わりに、このコンサルティング会社を使っていた…?でも、なぜ…?
「そうです。そしてこのコンサルティング会社、ある不動産会社に投資しているんですよね…。あなたならもう想像がついていると思いますが、この会社…」
「ペーパーカンパニー…?」
情報屋は声を抑えながらも嬉しそうに含み笑いをする。
「お、み、ご、と!つまり、元の下請け業者になんらかの不都合が生じた。
そこで、國村興業は今度はこのコンサルティング会社に架空発注を行い、できた金をそのままペーパーカンパニーへの投資に回した。だが、実際には投資されずに、裏で黒田に金を渡していた、という訳です。ちなみに、このペーパーカンパニーの代表は、國村興業のOBです」
これは、かなり有力な情報だ。ここまで分かれば、あとはこのコンサルティング会社の裏帳簿を探るか、ペーパーカンパニーに証言をさせるか…。
そうすると、もう紗季を利用しなくてすむ…。
僕はずっと心に引っかかっていた心配事の一つが無くなり、小さく安堵した。
だが、情報屋はそんな僕を見てタイミングを見計らったように「そう言えば…」と言うと、また嬉しそうにニタニタと笑う。
こんなイケ好かない男が発した次の情報が、結局僕の心を一気にざわつかせることになるのだが…。
「このコンサルティング会社ですが…、出資者はあの、春瀬紗季だそうです」
▶︎NEXT:5月4日 土曜日更新予定
紗季と黒田の関係が見えた爽太郎。爽太郎がついに仕掛ける…?