記者会見で「こども保険」について語る小泉進次郎氏。共に「500日間の激闘」を戦い抜き、「こども保険」などの政策提言に尽力した藤沢烈氏に、小泉進次郎氏の「知られざる素顔」を聞いた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

「選挙の顔」として大活躍だった小泉進次郎氏は、子育て世代への支援策として「こども保険」を提案し、政府が子育て支援を拡充する先鞭をつけた。この政策をまとめた「2020年以降の経済財政構想小委員会」(通称「小泉小委員会」)のオブザーバーを務め、「500日間の激闘」に伴走し続けたのが、一般社団法人RCFの藤沢烈氏だ。
小泉進次郎氏と20人の若手議員たちの激闘の記録を書籍『人生100年時代の国家戦略――小泉小委員会の500日』にまとめた藤沢氏に、国民的人気政治家小泉進次郎議員の、マスコミには見せない知られざる姿を語ってもらった。
聞き手:小関敦之(ライター)

単なる「世襲政治家」ではなかった

――実際に会う前、小泉進次郎議員にはどんな印象を抱いていましたか?

見た目もよく、人気も高いので、タレント議員的なイメージを勝手に持っていました。悪いイメージを持っていたわけではありませんが、若くして議員になられたので、何事につけ経験が少ないはずで、政治家として優れた素養があるとは想像していませんでした。

――小泉議員とはどのように知り合ったのでしょうか?


小泉議員と接点ができたのは、東日本大震災からです。私は、内閣官房震災ボランティア連携室という、非営利団体やボランティアによる取り組みを支援する政府機関に民間スタッフとして所属していましたが、上長の藤井直樹参事官(現、国土交通省鉄道局長)から、小泉議員の話を聞いたのが最初です。

小泉議員が東北入りしていたのは知っていましたが、多くの議員と同じように、視察だけしているのだと勝手に思っていました。ところが、石巻で土囊が足りないことを知った小泉議員が、政府に調達の要請をした話を聞いて驚きました。

石巻は他地域と違って1階だけが津波の被害を受けるケースが多く、住宅から大量に泥出しをする必要があったのですが、泥を入れる土囊袋がまったく足りませんでした。ここまで具体的に今必要な指示が出せる政治家はそこまで多くありません。

その後、小泉議員が復興政務官になり、直接お会いすることになりました。震災から3年が経ち、被災地ではインフラや住宅の復興は進んでいたのですが、ご家族を亡くされた被災者の心のケアが難しい課題として持ち上がっていました。そのあたりの事情を小泉議員はよく把握していて、復興庁が事業化する前から、いかに対応するかの議論をかわしていました。

さらに、被災自治体職員が県を越えて連携し、民間企業の支援を引き出す取り組みをご一緒しています。被災自治体がそれぞれ復興を進めて効率が高まっていないことと、特に産業復興において民間企業の知恵を引き出すことが課題になりつつありましたが、そのことを官僚以上によく理解されていました。

これらの活動を通じて感じたのが、小泉議員の「センスのよさ」です。誰かが言っていることの受け売りではなく、必ず現場を見て、自分なりに考えて必要なことを言葉にできる。しかも、周りに対してちゃんと働きかけ、問題解決できる力を持っている人なんだと感じましたね。

荷物が多い「メモ魔」

――実際にお会いして、驚かれたことはありますか?

まず驚いたのは、ブレーンがいないことですね。すべて自分で考えている。そのためか、颯爽(さっそう)としたイメージとは違って荷物がとても多いのです。会議には資料を大量に抱えてくる。さらに若手官僚顔負けの「メモ魔」でもある。案外、泥臭いところもあるのだなと感じました。

また、小泉議員は「言葉」を大切にします。小泉議員がスピーチの名手であることはよく知られていると思いますが、全部ご本人が考えているのです。私も会う前には、スピーチライター的な役割をする人がいると勝手に思い込んでいましたが、誰もいないのです。

演説だけでなく、シナリオのない場面でお話をされている様子を見ても、自分で考えてお話をされているのがわかります。

小泉議員はつねに「どういう言葉を使うと伝わるのか」「世の中に広がるのか」を意識して、言葉選びをしています。実際、小委員会の提言をまとめるのにあたって、言葉の選択のイニシアティブをとっていたのは小泉議員でしたし、流行語大賞にもノミネートされた「人生100年時代」も小泉議員の発案からです。

ヒットした『ライフシフト』という本に書かれていた「100年時代の人生戦略」という言葉が起源だと誤解されていますが、小泉議員は同じタイミングでこの言葉を選択していました。

――小委員会にオブザーバーとして参加されるようになったきっかけは?

非営利団体の立場で政策提言をしたり政策実現のサポートをしていて、各党の代議士とは接点がありました。小泉議員はじめ若手議員が中心になって「2020年以降の経済財政構想小委員会」を立ち上げる話になり、民間の人間も入れようということで声をかけてもらいました。小泉議員とは復興関係でお付き合いがあったので、「いいね」と言ってもらえたようです。

小委員会は議員同士が意見を戦わせる場ですので、私は求められた場面で補足説明やコメントをしたり、あとは事務局的な役割も担っていました。また、小委員会の運営や発信方法について議論する役員会にも参加していました。

「一匹狼」から「闘う集団のリーダー」に

――500日間の活動を一緒にやってきて、小泉議員になにか変化はありましたか?

小泉議員が初当選した選挙のときは、自民党に大変な逆風が吹いていて、たった4人しか自民党の新人議員は当選しない、非常に厳しい選挙でした。今となっては信じがたい話ですが、小泉議員も渡した名刺を目の前で破られたこともあったようです。

そういう厳しい選挙を戦ってきたのと、当時は若手議員と呼べる存在が小泉議員しかいない、しかも野党ということもあり、小泉議員は一匹狼というか「戦う人」のイメージが強かったように思います。有権者に接するときはとてもすてきな笑顔が印象的ですが、非常に鋭い目をしながら、いつも考えながら言葉を選んで発している姿を見ると、内面は非常にファイティングスピリッツにあふれている印象でした。

500日間の活動を経て変わったことがあるとすれば、それまではひとりで孤軍奮闘してきた存在から、闘う集団を率いる存在になってきたと、私の目には映りました。おそらくこの小委員会ができたことによって、小泉議員にとって初当選以来、初めて仲間が持てた感覚が芽生えてきているのではないでしょうか。

小泉議員は他の議員に自分の携帯電話の番号を教えないことで有名で、議員同士で飲みに行ったりしないタイプだったのですが、500日の後、他の議員を食事に誘うようになり、その豹変ぶりが議員の間でも話題になっているのです。

実際いまではすごく仲間を大切にしていて、仲間の考えを発信することこそ、自身の役割だととらえています。

「こども保険」は小泉議員の発案ではなく、議員の間の議論の中でつくられたものですが、まるで自分が発案者であるかのように、貫き通す姿勢はものすごいものがあります。おそらく自分がいいと思ったものは、仲間の代わりになって自分が発信するという役割を強く自認しているのだと思います。

本人の意識の中にも、これまでのひとりで戦う小泉進次郎から、集団を引っ張っていくリーダーとしての自覚が芽生えてきたのだと、見ていて感じました。

首相を目指している? 彼女はいるの?

――小泉議員は将来の首相候補と呼ばれることが多いですが、本人も意識はしているのでしょうか?

この手の質問を受けると、「首相になってほしいと言われるような議員になりたい」という言い方をして、ぼかすのが小泉議員の流儀です。委員会では議論に集中しているので、そんな浮わついた話はいっさいしませんし、本人もこの件に関しては、自分はもっと経験を積まなくてはいけないということしか言いません。

ただし、周りの若手議員の小泉進次郎議員を見る目には、大分変化があったように感じます。500日間の議論を経て、小泉議員の考え方だとか、スタンスとかを肌で感じ、小泉議員の持つリーダーとしての素養を感じ取った議員が多かったように思います。

小泉議員自身は、自分からああしたい、こうしたいという発言をするタイプではなく、まず他の議員の発言に熱心に耳を傾け、どう思っているのかを把握した後で、自分の意見を述べる。そして、議論がまとまっていくという場面を何度も目にしました。

首相になる、ならないは当分先の話だとは思いますが、少なくても若手議員の中では、小泉議員が存在感のあるリーダーとして認められ始めています。

――最後に下世話な質問で恐縮ですが、進次郎さんには付き合っている彼女はいるんですか?

どうなんでしょう?(笑) 進次郎さんとそういう話をしたことはないので、よくわかりません。議員の間でもいろいろうわさが飛び交ってはいるのですが、「いる」派も「いない」派もいます(笑)。誰も確証はないみたいですね。